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東京都文京区 千石1丁目南遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/115039
引用表記 文京区教育委員会 2010 『B-102:東京都文京区 千石1丁目南遺跡』文京区教育委員会
文京区教育委員会 2010 『東京都文京区 千石1丁目南遺跡』B-102
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
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ファイル
書名 東京都文京区 千石1丁目南遺跡
発行(管理)機関 文京区 - 東京都
書名かな とうきょうとぶんきょうく せんごく1ちょうめみなみいせき
副書名 (仮称)文京区千石1丁目4番地内における公共施設建築計画に伴う埋蔵文化財緊急発掘調査報告書
巻次
シリーズ名
シリーズ番号 B-102
編著者名
編集機関
文京区教育委員会
発行機関
文京区教育委員会
発行年月日 20100730
作成機関ID 13105
郵便番号 1128555
電話番号 0358031305
住所 文京区春日1‐16‐21
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 千石一丁目南遺跡
遺跡名かな せんごくいっちょうめみなみいせき
本内順位
遺跡所在地 文京区千石1‐4
所在地ふりがな 文京区千石1-4
市町村コード 13105
遺跡番号 119
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 354328
東経(世界測地系)度分秒 1394435
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.724444 139.743055
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20100615-20100622
調査面積(㎡)
184
調査原因 公共施設建築計画
遺跡概要
種別
その他
時代
縄文
主な遺構
主な遺物
土器
特記事項 包蔵地
加曾利E3式など中期後半を主体とする土器の出土。
種別
集落
時代
江戸
主な遺構
地下室1
土坑19
井戸1
溝2
植栽痕8
小穴17
主な遺物
特記事項 屋敷 江戸時代(17~19世紀)
17世紀中葉~19世紀中葉を主体とする遺物(磁器・陶器・炻器・土器・瓦・土製品・金属製品・銭貨・石製品など)。
階段部と足掛け穴を有する地下室の検出。
要約 【遺跡検出遺構】総計48基 【遺跡出土遺物】総点数1,920点、総重量72,164g
 調査地点は、白山台地に立地する江戸時代の遺跡である。当該地は少なくとも幕末頃には、江戸の範囲の北端部に位置する武家屋敷であり、「東都駒込辺絵図」によると村田新五郎の氏名が窺える。
 遺構は、屋敷の表間口に相当する調査区南東側の2区やトレンチD、中央のトレンチCなどでは分布状況は散漫であった。だが、屋敷の裏手空間にあたる北側の1区においては、西側に地下室や大型の土坑が、東側に植栽痕が、それぞれ集中する傾向が認められ、遺構分布が比較的に密であるばかりでなく、土地利用は西側と東側で大きく異なっていることが確認された。また、1区西側で検出された005号遺構(地下室)は、使用時の昇降用の階段部と、遺構建築時の昇降用の足掛け穴を有する、特殊な構造の地下室であった。
 遺物は、17世紀前葉から19世紀中葉までの幅広い時期のものが遺構内から出土しており、時期的な纏まりは認められなかった。それでも、上記の005号遺構や同じ1区西側検出の010号遺構の出土遺物は、17世紀末葉から18世紀前葉を主体とするものであった。このうち、005号遺構出土の凝灰岩製の硯は、裏面に生産者、石の産地、製造日と推測される線刻が認められた。

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