URL |
https://sitereports.nabunken.go.jp/114971
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引用表記 |
2012 『神戸市立博物館研究紀要』神戸市立博物館
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2012 『神戸市立博物館研究紀要』
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wikipedia 出典テンプレート :
{{Cite book|和書|first=|last=神戸市立博物館|title=神戸市立博物館研究紀要|origdate=2012-03-31|date=2012-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/114971|ncid=AN10177091|volume=28}}
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ファイル |
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書名 |
神戸市立博物館研究紀要 |
発行(管理)機関 |
神戸市立博物館
- 兵庫県
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書名かな |
こうべしりつはくぶつかんけんきゅうきよう |
副書名 |
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巻次 |
28 |
シリーズ名 |
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シリーズ番号 |
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編著者名 |
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編集機関 |
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発行機関 |
神戸市立博物館
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発行年月日 |
20120331 |
作成機関ID |
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郵便番号 |
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電話番号 |
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住所 |
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報告書種別 |
年報・紀要・研究論集・市史研究等・文化財だより
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資料タイプ |
Research Paper |
発掘調査報告 |
掲載されていない(発掘調査報告書総目録の掲載対象外) |
所蔵大学(NCID) |
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JP番号 |
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他の電子リソース |
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備考 |
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所収論文 |
タイトル |
嘉永七年 (一八五四) のロシア船来航と大坂船手頭の役割 ー「大坂御船手目論見之図」にみる大坂船手頭の機能的限界ー |
英語タイトル |
The study about the role that the flag ofticer Osaka district carried out in Gulf of Osaka invasion case with the Russian warship which occurred in l854 |
著者 |
髙久 智広
, Takaku Tomohiro
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ページ範囲 |
3 - 23
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NAID |
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都道府県 |
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時代 |
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文化財種別 |
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遺跡種別 |
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遺物(材質分類) |
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学問種別 |
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テーマ |
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
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抄録(内容要約) |
嘉永7年 (1854) 9月に起ったロシア海軍中将プチャーチン率いる軍艦ディアナ号による大坂湾侵入への対応は、幕末期における幕府の上方支配機構の特質を考える上で、非常に重要な出来事の一つである。本稿では、この時、大坂城代土屋寅直の下、大坂町奉行とともにロシア使節との交渉やロシア船に対する警備に携わった大坂船手頭に注目し、その役割と幕末期における権能の限界について検討するものである。そのためにまず、歴代の大坂船手頭就任者の補任状況及び、知行配置と役扶持給付に関する分析を行い、享保改革を画期として幕府官僚化していく姿を追う。またその上で、大坂船手頭がロシア使節に対する応接と警備にどのように携わったのかを検証する。そして次の異国船来航時の対策として大坂船手方が作成した「大坂御船手目論見図」の分析を行い、なぜ大坂船手方が神戸海軍操練所に吸収されることになったのか、その道筋を捉える。 |
タイトル |
岡田春燈斎「大日本勝景一覧」にみる地理情報 |
英語タイトル |
Geographic information of Japanese bird’s-eye viewーOkada Shuntosai published ‟Dainihon Shokei Ichiran” |
著者 |
小野田 一幸
, Onoda Kazuyuki
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ページ範囲 |
25 - 54
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NAID |
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都道府県 |
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時代 |
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文化財種別 |
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遺跡種別 |
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遺物(材質分類) |
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学問種別 |
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テーマ |
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=一幸|last=小野田|contribution=岡田春燈斎「大日本勝景一覧」にみる地理情報|title=神戸市立博物館研究紀要|date=2012-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/114971|ncid=AN10177091|volume=28}}
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抄録(内容要約) |
本稿は、鍬形蕙斎の一枚刷りの日本鳥瞰図である「日本名所の絵」と、岡田春燈斎の手になる模倣版とでもいうべき同構図の「大日本勝景一覧」(天保11年刊) を素材として、前者の地理情報が、どのように後者に「継承」、そして「改変」が加えられているのかを探ったノートである。 両鳥瞰図の文字注記を拾い上げると、「日本名所の絵」に比して「大日本勝景一覧」では約三割が省略されているが、一部の文字注記については訂正が施されるとともに、城下の位置関係については錯綜あるいは修正がみられることが確認できた。また、各地に図示されている寺社などの構造物については、記号化が図られているものと判断できる点もあるが、構造物の特徴も一部図示されるなど、新たな情報を付加していることも看取できた。 |
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所収遺跡 |
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要約 |
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