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史跡松前氏城跡福山城跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/140922
引用表記 松前町教育委員会 2014 『史跡松前氏城跡福山城跡』北海道松前町教育委員会
松前町教育委員会 2014 『史跡松前氏城跡福山城跡』
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File
Title 史跡松前氏城跡福山城跡
Participation-organizations 松前町 - 北海道
Alternative しせきまつまえししろあとふくやまじょうあと
Subtitle 平成25年度発掘調査報告書
Volume 9
Series
Series Number
Author
Editorial Organization
松前町教育委員会
Publisher
北海道松前町教育委員会
Publish Date 20140328
Publisher ID 01331
ZIP CODE 0491594
TEL 0139423060
Aaddress 北海道松前郡松前町字神明30番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
NII Type Research Paper
Research Report 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
NCID
JP Number
Other Resource
Remark
所収論文
Site
Site Name 福山城
Site Name Transcription ふくやまじょう
Order in book
Address 北海道松前郡松前町字松城
Address Transcription ほっかいどうまつまえぐんまつまえちょうあざまつしろ
City Code 01331
Site Number B-02-53
North Latitude (JGD) 412538
East Longitude (JGD) 1400641
North Latitude (WGS)
East Longitude (WGS)
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 41.4298 140.1079
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
Research Period
20130801-20130930
Research Space
42
Research Causes 史跡整備事業
OverView
Site Type
城館
Main Age
近世(細分不明)
明治
Main Features
庭池
築山
景石抜き取り跡
Main Foundings
縄文土器
石器
幕末陶磁器
Remark
Abstract  本庭園はI~V期に分けられる(左挿図)。I期は、忍海上人による築庭当初である。遺構確認調査にあたっては、導水・排水遺構について注目してきたが、これまでの調査で検出されなかったため、おそらく築庭当初は枯山水式の庭園であったことが想定される。
 Ⅱ期は、幕末~明治初期にかけて庭池を掘り込んだ時期である。 庭池については地山ロームが急角度で深く掘り込まれ、池底は平坦で、そのレベルは標高28.70~28.90mに集約される。掘り込まれた池底には黒色土・黒褐色土の流れ込みがみられ、その上に火災残滓を含む土砂を埋め戻し、ロームを版築して池底を均している。これがⅢ期である。この版築ロ ームより下層からはガラス片が出土せず、19世紀中葉の陶磁器が最も新しい遺物であることから、Ⅱ~Ⅲ期にかけての造成は極めて短期間に行われたとみられる。ロームにより防水機能を持った池底を形成した背景には、火災に備えて貯水池とする目的があったとみられ、坊主沢から築山裏まで延びるトンネルは、導水路として素掘りされたが、崩落や坊主沢の河床低下などにより幣備が断念されたものと考えられる。
 Ⅳ期は明治36年本堂火災の直後である。光善寺本堂は明治36年に焼失しており、Ⅲ期で版築されたロ ーム上には、この時のガラス片や火災残滓を含む土砂が堆積している。さらに、 東西の出島の構築とともに、州浜石や景石などが据えられて庭園としての景観復元がなされたことが土層断面から判明する。そして、V期(昭和•平成)に至るまで、歴代住職や檀家により、州浜石の追加や樹木の手入れなどが成されてきた。
 なお、滝口石組遺構については、一部が地山ロームに据えられており、築庭当初の位置を保っている可能性が高く、その背後にある築山についても、掘削により窪地となった以外は、築庭当初の形状を保っていることが判明した。

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