奈良文化財研究所 ホーム
Search
List
Others
おすすめ
report count (with pdf)
33574 reports
( Participation 638 Orgs )
report count
125274 reports
( compared to the privious fiscal year + 14228 reports )
( Participation 1875 Orgs )
site summary count
140800 reports
( compared to the privious fiscal year + 2415 reports )
現在の文化財論文件数
117290 reports
( compared to the privious fiscal year + 93710 reports )
video count
908 reports
( compared to the privious fiscal year + 133 reports )
( Participation 87 Orgs )
文化財イベント件数
753 reports
( compared to the privious fiscal year + 134 reports )
※過去開催分含む
Prefecture List > 長崎県 > 全域 > 今富城跡

今富城跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/46519
引用表記 大村市教育委員会 2008 『大村市文化財調査報告書32:今富城跡』大村市教育委員会
大村市教育委員会 2008 『今富城跡』大村市文化財調査報告書32
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=哲史|last=安楽|first2=哲史|last2=安樂|title=今富城跡|origdate=2008-06-30|date=2008-06-30|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/46519|location=長崎県大村市玖島1丁目25|ncid=BA8656075X|series=大村市文化財調査報告書|volume=32}} 閉じる
File
3次元画像
Title 今富城跡
Participation-organizations 大村市 - 長崎県
Alternative いまとみじょうあと
Subtitle 携帯電話無線基地局建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告
Volume
Series 大村市文化財調査報告書
Series Number 32
Author
Editorial Organization
大村市教育委員会
Publisher
大村市教育委員会
Publish Date 20080630
Publisher ID
ZIP CODE 856-8686
TEL 0957-53-4111
Aaddress 長崎県大村市玖島1丁目25
Report Type report
NII Type Research Paper
Research Report 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
NCID
JP Number
Other Resource
Remark
所収論文
Site
Site Name 今富城跡
Site Name Transcription いまとみじょうあと
Order in book 1
Address 長崎県大村市皆同町
Address Transcription ながさきけんおおむらしかいどうまち
City Code 42205
Site Number 5-55/77-63
North Latitude (JGD)
East Longitude (JGD)
North Latitude (WGS) 325700
East Longitude (WGS) 1295730
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 32.95 129.958333
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
Research Period
20070718-20070903
Research Space
180
Research Causes 携帯電話無線基地局建設
OverView
Site Type
城館
Main Age
戦国
Main Features
空堀
柱穴
Main Foundings
輸入陶磁器
国産陶磁器
Remark
Site Name 今富城跡
Site Name Transcription いまとみじょうあと
Order in book 2
Address 長崎県大村市皆同町
Address Transcription ながさきけんおおむらしかいどうまち
City Code 42205
Site Number 5-55/77-63
North Latitude (JGD) 325700
East Longitude (JGD) 1295730
North Latitude (WGS)
East Longitude (WGS)
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 32.9533 129.9561
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
Research Period
20070718-20070903
Research Space
180
Research Causes 携帯電話無線基地局建設
OverView
Site Type
城館
Main Age
戦国
Main Features
空堀
柱穴
Main Foundings
輸入陶磁器
国産陶磁器
Remark
Site Name 今富城跡
Site Name Transcription いまとみじょうあと
Order in book 3
Address 長崎県大村市皆同町
Address Transcription ながさきけんおおむらしかいどうまち
City Code 42205
Site Number 5-55
North Latitude (JGD) 325700
East Longitude (JGD) 1295730
North Latitude (WGS)
East Longitude (WGS)
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 32.9533 129.9561
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
Research Period
20070718-20070903
Research Space
180
Research Causes 携帯電話無線基地局建設
OverView
Site Type
城館
Main Age
戦国
Main Features
空掘
柱穴
Main Foundings
輸入陶磁器
国産陶磁器
Remark
Abstract [今富城跡 要約]
戦国期の大村氏の城郭である今富城跡での携帯電話無線基地局建設に伴う緊急発掘調査。今富城は16代純伊が有馬氏に備えて築いたとされ、純忠の代に三城城へ移ってからも、大村氏領国の防衛上重要な城であった。今富城の所在する郡川周辺は、古くから穀倉地帯として発展してきた地域であり、古代には彼杵郡一帯でも最大の条里が敷かれた。また、「こおり」の地名から彼杵郡家の存在がうかがえる。今富城が成立する丘陵は明治の鉄道建設時に南側を削られ、太平洋戦争時に日本海軍の高射砲陣地が築かれたため、本来の地形が変容している。調査地は丘陵先端の北側に位置し、周辺には高射砲跡と弾薬庫として利用された壕が残っている。調査は200平米を対象に実施した。その結果、調査区を東西に横切る逆台形状の断面形をもつ空掘を検出した。調査区の西側は近世の造成による攪乱で空掘は失われているが、東から西にかけて傾斜が上がっていることから、曲輪間の連絡通路として利用されたと考えられ、丘陵北側の低湿地から攻撃してくる敵に対し、小曲輪を配し横堀と土塁で守るを固めていたことが窺える。空掘は短時間のうちに埋められているが、堀底には自然堆積土がほとんどなく、埋め戻される直前まで管理が行届いていたと思われる。また、遺物は堀上部から少量出土しているが、16世紀末から17世紀初頭のものを下限としている。このことから空掘は17世紀初頭頃に埋められたものと思われる。
[今富城跡 要約]
戦国期の大村氏の城郭である今富城跡での携帯電話無線基地局建設に伴う緊急発掘調査。今富城は16代純伊が有馬氏に備えて築いたとされ、純忠の代に三城城へ移ってからも、大村氏領国の防衛上重要な城であった。今富城の所在する郡川周辺は、古くから穀倉地帯として発展してきた地域であり、古代には彼杵郡一帯でも条里が敷かれた。また、「こおり」の地名から彼杵郡家の存在がうかがえる。 今富城跡が立地する
[今富城跡 要約]
戦国期の大村氏の城郭である今富城跡での携帯電話無線基地局建設に伴う緊急発掘調査。今富城は16代純伊が有馬氏に備えて築いたとされ、純忠の代に三城城へ移ってからも、大村氏領国の防衛上重要な城であった。今富城の所在する郡川周辺は、古くから穀倉地帯として発展してきた地域であり、古代には彼杵郡一帯でも最大の条里が敷かれた。また、「こおり」の地名から彼杵郡家の存在がうかがえる。今富城が成立する丘陵は明治の鉄道建設時に南側を削られ、太平洋戦争時に日本海軍の高射砲陣地が築かれたため、本来の地形が変容している。調査地は丘陵先端の北側に位置し、周辺には高射砲跡と弾薬庫として利用された壕が残っている。調査は200平米を対象に実施した。その結果、調査区を東西に横切る逆台形状の断面形をもつ空掘を検出した。調査区の西側は近世の造成による攪乱で空掘は失われているが、東から西にかけて傾斜が上がっていることから、曲輪間の連絡通路として利用されたと考えられ、丘陵北側の低湿地から攻撃してくる敵に対し、小曲輪を配し横堀と土塁で守るを固めていたことが窺える。空掘は短時間のうちに埋められているが、堀底には自然堆積土がほとんどなく、埋め戻される直前まで管理が行届いていたと思われる。また、遺物は堀上部から少量出土しているが、16世紀末から17世紀初頭のものを下限としている。このことから空掘は17世紀初頭頃に埋められたものと思われる。
このエントリーをはてなブックマークに追加
Page view : 99
File download : 0

All Events

外部出力