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中之島蔵屋敷跡発掘調査報告5

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/141769
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.141769
引用表記 一般財団法人大阪市文化財協会 2024 『中之島蔵屋敷跡発掘調査報告5』一般財団法人大阪市文化財協会
一般財団法人大阪市文化財協会 2024 『中之島蔵屋敷跡発掘調査報告5』
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File
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Title 中之島蔵屋敷跡発掘調査報告5
Participation-organizations (一財)大阪市文化財協会 - 大阪府
Alternative なかのしまくらやしきあとはっくつちょうさほうこく5
Subtitle 高松藩船入の調査
Volume 5
Series
Series Number
Author
Editorial Organization
一般財団法人大阪市文化財協会
Publisher
一般財団法人大阪市文化財協会
Publish Date 20241031
Publisher ID 27100
ZIP CODE 5400006
TEL 0669436833
Aaddress 大阪府大阪市中央区法円坂1-6-41
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
NII Type Research Paper
Research Report 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
NCID
JP Number
Other Resource
Remark
所収論文
Site
Site Name 中之島蔵屋敷跡
Site Name Transcription なかのしまくらやしきあと
Order in book
Address 大阪市北区中之島5丁目
Address Transcription おおさかしきたくなかのしま5.ちょうめ
City Code 27127
Site Number
North Latitude (JGD)
East Longitude (JGD)
North Latitude (WGS) 344129
East Longitude (WGS) 1352917
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.691388 135.488055
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
Research Period
20220906-20230412
Research Space
2160
Research Causes その他建物
OverView
Site Type
その他
Main Age
江戸
近代(細分不明)
Main Features
蔵屋敷船入の石垣
階段(雁木)
護岸
係留用杭
近代の船入石垣
建物
下水網
Main Foundings
陶質土器
陶磁器
土師器
土製品
金属製品
木簡
煉瓦
ガラス瓶
コピーインク瓶
Remark 近世高松藩蔵屋敷の船入遺構および近代に改修された船入遺構
Abstract  調査対象は高松藩大坂蔵屋敷の船入で、今次の発掘によりほぼ完全に残っていることが判明した。水門と隣地になる東辺以外を検出し、その規模は水域部(内堀)で奥行約48m、幅が北辺で推定約31m、南辺で推定約32mである。これは護岸の位置で、階段などを含む周囲5 ~ 6mの範囲が船入の遺構となる。入口部には高石垣と石築階段があり、北辺は2段築成、西辺は北側が階段状(雁木)で南側がスロープ状、南辺から西辺南端が階段状(雁木)と造り分ける。水が当る護岸は石垣で、全域にわたって前面を杭止めの板で覆っていた。板材のほとんどは船材である。西辺スロープの前面には、史料に残る船団構成と対応する数の係留用杭があった。
 江戸時代の船入は明治30年頃、西半が埋められ、新たに西護岸の石垣を築いて細長く改造され、逓信省海事局と大阪工業学校造船科で共用された。海事局の堅固な建物基礎や下水網も検出した。船入の改造は、海運業の奨励と造船業の育成という国策のなかで行われた。
 100以上あった大坂蔵屋敷で船入をもつ藩は7邸に過ぎず、経済の中心であった大坂を象徴するとともに、明治時代の産業の近代化に関係する遺構として貴重な実物資料である。

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