奈良文化財研究所 ホーム
Search
List
Others
おすすめ
report count (with pdf)
41268 reports
( Participation 755 Orgs )
report count
132447 reports
( compared to the privious fiscal year + 1763 reports )
( Participation 1917 Orgs )
site summary count
147600 reports
( compared to the privious fiscal year + 2158 reports )
Article Collected
120578 reports
( compared to the privious fiscal year + 1583 reports )
video count
1306 reports
( compared to the privious fiscal year + 122 reports )
( Participation 117 Orgs )
Event Collected
1253 reports
( compared to the privious fiscal year + 203 reports )
※過去開催分含む
Prefecture List > 滋賀県 > 滋賀県埋蔵文化財センター > 弘川佃遺跡・弘川宮ノ下遺跡

弘川佃遺跡・弘川宮ノ下遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/25525
For Citation 滋賀県教育委員会事務局文化財保護課他 2007 『都市計画道路今津川線緊急地方道路整備事業に伴う発掘調査報告書:弘川佃遺跡・弘川宮ノ下遺跡』滋賀県教育委員会事務局文化財保護課他
滋賀県教育委員会事務局文化財保護課他 2007 『弘川佃遺跡・弘川宮ノ下遺跡』都市計画道路今津川線緊急地方道路整備事業に伴う発掘調査報告書
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=健二|last=中村|first2=真人|last2=堀|title=弘川佃遺跡・弘川宮ノ下遺跡|origdate=2007-03|date=2007-03|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/25525|publisher=滋賀県教育委員会事務局文化財保護課|location=滋賀県大津市瀬田南大萱町1732-2滋賀県埋蔵文化財センター内|ncid=BA81733475|series=都市計画道路今津川線緊急地方道路整備事業に伴う発掘調査報告書}} 閉じる
File
Title 弘川佃遺跡・弘川宮ノ下遺跡
Participation-organizations 滋賀県埋蔵文化財センター - 滋賀県
Alternative ひろかわつくだいせき・ひろかわみやのしたいせき
Subtitle 高島市弘川
Volume
Series 都市計画道路今津川線緊急地方道路整備事業に伴う発掘調査報告書
Series Number
Author
Editorial Organization
滋賀県教育委員会事務局文化財保護課
財団法人滋賀県文化財保護協会
Publisher
滋賀県教育委員会事務局文化財保護課
財団法人滋賀県文化財保護協会
Publish Date 20070300
Publisher ID
ZIP CODE 520-2122
TEL 077-548-9780
Aaddress 滋賀県大津市瀬田南大萱町1732-2滋賀県埋蔵文化財センター内
Report Type Codes
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
NII Type Research Paper
Research Report 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
NCID
JP Number
Other Resource
Remark
Articles
Japanease Title いわゆる「生駒西麓産」の胎土を持つ土器について
English Title
Author
堀 真人
Pages 321 - 332
NAID
Prefecture
Age
文化財種別
遺跡種別
遺物(材質分類) 土器
学問種別 考古学
テーマ 資料紹介
Related Url
For Citation
wikipedia 出典テンプレート : {{Citation ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Citation|first=真人|last=堀|contribution=いわゆる「生駒西麓産」の胎土を持つ土器について|title=弘川佃遺跡・弘川宮ノ下遺跡|date=2007-03|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/25525|publisher=滋賀県教育委員会事務局文化財保護課|location=滋賀県大津市瀬田南大萱町1732-2滋賀県埋蔵文化財センター内|ncid=BA81733475|series=都市計画道路今津川線緊急地方道路整備事業に伴う発掘調査報告書}} 閉じる
Abstract
Site
Site Name 弘川佃遺跡
Site Name Transcription ひろかわつくだいせき
Order in book
Address 滋賀県高島市今津町弘川
Address Transcription しがけんたかしましいまづちょうひろかわ
City Code 252123
Site Number 522-016
North Latitude (JGD) 352412
East Longitude (JGD) 1360147
North Latitude (WGS)
East Longitude (WGS)
Dd X Y 35.4065 136.0268
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
Research Period
20030302-20050318
Research Space
4842
Research Causes
OverView
Site Type
集落
Main Age
縄文
Main Features
落ち込み
流路
住居
土坑等
流路
住居
土坑等
Main Foundings
土器
石器
石器
Remark
Site Type
集落
Main Age
飛鳥白鳳
Main Features
竪穴住居
掘立柱建物
掘立柱建物
Main Foundings
須恵器
土師器
土師器
Remark
Site Type
集落
Main Age
平安
鎌倉
南北朝
室町
Main Features
掘立柱建物
土壙墓等
土壙墓等
Main Foundings
土師器
灰釉陶器等
灰釉陶器等
Remark
Site Name 弘川宮ノ下遺跡
Site Name Transcription ひろかわみやのしたいせき
Order in book
Address 滋賀県高島市今津町弘川
Address Transcription しがけんたかしましいまづちょうひろかわ
City Code 252123
Site Number 522-013
North Latitude (JGD) 352400
East Longitude (JGD) 1360147
North Latitude (WGS)
East Longitude (WGS)
Dd X Y 35.4032 136.0268
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
Research Period
20030302-20050318
Research Space
4842
Research Causes 道路整備(都市計画道路今津川線)
OverView
Site Type
集落
Main Age
縄文
Main Features
落ち込み
流路
住居
土坑等
流路
住居
土坑等
Main Foundings
土器
石器
石器
Remark
Site Type
集落
Main Age
飛鳥白鳳
Main Features
竪穴住居
掘立柱建物
掘立柱建物
Main Foundings
須恵器
土師器
土師器
Remark
Site Type
集落
Main Age
平安
鎌倉
南北朝
室町
Main Features
掘立柱建物
土壙墓等
土壙墓等
Main Foundings
土師器
灰釉陶器等
灰釉陶器等
Remark
Abstract [弘川佃遺跡 要約]
縄文時代から室町時代に至る集落跡が検出された。縄文時代の集落では、特に落ち込み・流路といった遺構から大量の土器および石器が出土している。土器の中には、搬入品と思われるものや水銀朱で装飾したり、加工・貯蔵したものと思われるものがある。水銀朱の例としては原産地を除くと初期のものと位置づけられるものである。石器では、頁岩製の石器や剥片が目立ち、当遺跡内で製作していた可能性をうかがわせるものであった。飛鳥時代の集落では、竪穴住居が集中して検出されている。これらの竪穴住居は、遺存状態が良好で、壁溝・かまど・入り口などの屋内施設が復元できるような状況であった。また、平安時代〜室町時代に至る掘立柱建物の変遷が追える。そして、周辺遺跡の状況から、条里形成から集村にいたる景観を復元することができ、石田川右岸地域の遺跡の動態を明らかにすることができた。これらの状況は、当遺跡が立地する北陸道と若狭街道の分岐点という交通の要衝であることが大きく関わっていると考えられ、それは、時期を問わず変わらないことが判明した。 
[弘川宮ノ下遺跡 要約]
縄文時代から室町時代に至る集落跡が検出された。縄文時代の集落では、特に落ち込み・流路といった遺構から大量の土器および石器が出土している。土器の中には、搬入品と思われるものや水銀朱で装飾したり、加工・貯蔵したものと思われるものがある。水銀朱の例としては原産地を除くと初期のものと位置づけられるものである。石器では、頁岩製の石器や剥片が目立ち、当遺跡内で製作していた可能性をうかがわせるものであった。飛鳥時代の集落では、竪穴住居が集中して検出されている。これらの竪穴住居は、遺存状態が良好で、壁溝・かまど・入り口などの屋内施設が復元できるような状況であった。また、平安時代〜室町時代に至る掘立柱建物の変遷が追える。そして、周辺遺跡の状況から、条里形成から集村にいたる景観を復元することができ、石田川右岸地域の遺跡の動態を明らかにすることができた。これらの状況は、当遺跡が立地する北陸道と若狭街道の分岐点という交通の要衝であることが大きく関わっていると考えられ、それは、時期を問わず変わらないことが判明した。 

Related Cultual Data

このエントリーをはてなブックマークに追加
Page view : 425
File download : 0

All Events

外部出力