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Prefecture List > 東京都 > 文京区 > 東京都文京区 千駄木5丁目遺跡

東京都文京区 千駄木5丁目遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/115044
For Citation 文京区教育委員会 2009 『B-93:東京都文京区 千駄木5丁目遺跡』文京区教育委員会
文京区教育委員会 2009 『東京都文京区 千駄木5丁目遺跡』B-93
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File
Title 東京都文京区 千駄木5丁目遺跡
Participation-organizations 文京区 - 東京都
Alternative とうきょうとぶんきょうく せんだぎ5ちょうめいせき
Subtitle (仮称)文京区千駄木5丁目計画に伴う埋蔵文化財発掘調査
Volume
Series
Series Number B-93
Author
Editorial Organization
文京区教育委員会
Publisher
文京区教育委員会
Publish Date 20090930
Publisher ID 13105
ZIP CODE 1128555
TEL 0358031305
Aaddress 文京区春日1-16-21
Report Type Codes
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
NII Type Research Paper
Research Report 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
NCID
JP Number
Other Resource
Remark
Articles
Site
Site Name 千駄木五丁目遺跡
Site Name Transcription せんだぎごちょうめいせき
Order in book
Address 文京区千駄木5-3・4
Address Transcription ぶんきょうくせんだぎ5-3・4
City Code 13105
Site Number 117
North Latitude (JGD)
East Longitude (JGD)
North Latitude (WGS) 354319
East Longitude (WGS) 1394545
Dd X Y 35.721944 139.7625
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
Research Period
20090721-20090724
20090728-20090730
Research Space
184
Research Causes マンション建設工事
OverView
Site Type
散布地
Main Age
近世(細分不明)
Main Features
大型土坑4
土坑・ピット32
Main Foundings
縄文土器
弥生式土器
磁器
陶器
Remark 包蔵地
江戸時代・千駄木御林跡
Abstract  宝永2年まで根津神社のあったことで知られる元根津の西に位置する当該地は、江戸時代、千駄木千駄木御林のまさに所在する地域にあたる。当該地の現地名「千駄木」の由来は、千駄木御林にちなんだ名称で、『風土記稿』にも記載されている。「昔此辺すべて雑木にて薪を伐出し、一日に凡千駄にも及べるを以て称すると土人いへり、或説に此林は太田道灌が植し所にて栴壇の木多かりし故、栴檀木林といへる後文字を改めしなり」などがそれにあたる。
 絵図によれば、宝暦江戸切絵図によると、当該地は、「千駄木村」の記載がみえ、寛政江戸切絵図では、「千駄木林跡・畑」の記載が窺える。安政三年の絵図では、「駒込千駄木町 御林跡地」とある。
 また、江戸情報地図に拠れば、「上野山内 寒松院持」の記載がある。このように、江戸時代の初期
には、鬱蒼とした林であったことが窺え、その後、上野寛永寺所有の林となり、寛政期には、畑地となっていたことが分かる。その後、上野山内寒松院持になっていたようである。
 このように、絵図で追う限り、江戸時代、当該地は、人為的で活発な土地活用の様相は認められない。
 ところで、当該地の遺跡調査の状況を見ると、前章で述べているとおり、1区では、26基、2区では10基の合計36基の遺構が検出しており、大型土坑も4基を数え活発な土地活用状況を窺い知ることができる。時期は江戸時代後期から幕末に量的なピークを迎えることが分かり、引き続き明治時代へと利用の様子が窺える。
 以上のように、絵図では窺い知れない土地活用の様子を知ることは、今回の発掘調査の成果の一つと
言えよう。
 これらの調査成果が、今後の当該地の地域史を知る上で一助となれば幸いである。今後の発掘調査に
期待したい。

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