古代・中世・近世の日向における火打石 〜基礎資料の報告(1)〜
Fujiki Satoshi
( 藤木 聡 )
火は、人の暮らしにおいて不可欠なものであり、マッチが登場する前までは、火を得る方法として打撃式発火法と摩擦式発火法の2つがみられた。打撃式発火法は、火打石と鉄製の火打金とを打ち付けて火花を発し、火口1)に火花を落として火種を得るものであり、それらの研究をとおして人と火の関係史を紐解くことが可能となってくる。
たとえば九州地方では、火打石・火打金を用いた打撃式発火法が遅くとも8世紀には採用されていることや、古代から近代までの火打石の石材が地域ごとに時期別に変化すること、近世には広域流通品と在地産火打石がともに用いられること、火打金の変遷の総体等について明らかとなっている2)(藤木2020a・2020b ほか)。このうち、宮崎県域においては、中世以降の火打金20点・民具資料4点によって、火打金の型式的な変遷や考古資料と民具資料の連続性が明らかとなり(藤木2017)、15 年前の集成では2点のみであった火打石も、2020 年度末には284 点の出土が知られるまでに増加した。宮崎県域における火打石出土例の増加は、考古資料としての火打石への認識が深まったことによる大きな成果である。
しかし、この284 点の内訳を見ると、特定の遺跡や地域へ集中していることや年代の絞り込める遺構出土品が少ないこと等により、宮崎県域における火打石の石材やその変遷、消費・流通の状況等を知る上では、未だ資料の不足や偏りがあると言わざるを得ない。この現状の解消に向けて、新資料の出土を待つとともに、すぐに着手できるのが、各地の収蔵庫に赴いて膨大なコンテナ群を悉皆的に検索し、発掘調査報告書に未掲載のままとなっている資料を“再発掘”していくことである。本稿は、その途中経過として宮崎県内の遺跡出土火打石61 点を新たに報告し、今後の研究の基礎資料とするものである。
火打石は、その獲得から廃棄までのライフサイクルの視点から、採集・購入されて使用に至る前の“未使用の火打石”、使用過程にある“火打石”、使用による打ち欠けや鋭い稜線の再生により生じた“火打石の欠片”の3つに分類される(図1)。以下の報告では、個々の資料を分類の上で法量や石材、消費・使用状況等の所見を述べるとともに、資料に付された注記やラベル書き等から出土状況を復元し、出土遺構や包含層の位置づけでもって火打石の年代を推していく。
たとえば九州地方では、火打石・火打金を用いた打撃式発火法が遅くとも8世紀には採用されていることや、古代から近代までの火打石の石材が地域ごとに時期別に変化すること、近世には広域流通品と在地産火打石がともに用いられること、火打金の変遷の総体等について明らかとなっている2)(藤木2020a・2020b ほか)。このうち、宮崎県域においては、中世以降の火打金20点・民具資料4点によって、火打金の型式的な変遷や考古資料と民具資料の連続性が明らかとなり(藤木2017)、15 年前の集成では2点のみであった火打石も、2020 年度末には284 点の出土が知られるまでに増加した。宮崎県域における火打石出土例の増加は、考古資料としての火打石への認識が深まったことによる大きな成果である。
しかし、この284 点の内訳を見ると、特定の遺跡や地域へ集中していることや年代の絞り込める遺構出土品が少ないこと等により、宮崎県域における火打石の石材やその変遷、消費・流通の状況等を知る上では、未だ資料の不足や偏りがあると言わざるを得ない。この現状の解消に向けて、新資料の出土を待つとともに、すぐに着手できるのが、各地の収蔵庫に赴いて膨大なコンテナ群を悉皆的に検索し、発掘調査報告書に未掲載のままとなっている資料を“再発掘”していくことである。本稿は、その途中経過として宮崎県内の遺跡出土火打石61 点を新たに報告し、今後の研究の基礎資料とするものである。
火打石は、その獲得から廃棄までのライフサイクルの視点から、採集・購入されて使用に至る前の“未使用の火打石”、使用過程にある“火打石”、使用による打ち欠けや鋭い稜線の再生により生じた“火打石の欠片”の3つに分類される(図1)。以下の報告では、個々の資料を分類の上で法量や石材、消費・使用状況等の所見を述べるとともに、資料に付された注記やラベル書き等から出土状況を復元し、出土遺構や包含層の位置づけでもって火打石の年代を推していく。