「愛知登文会」Wikipedia全会員項目作成とその展望
The Owners Association of Registered Tangible Cultural Properties of Japan in Aichi: Creating Wikipedia Articles for All Members and Its Future Prospects
奈良文化財研究所
- 奈良県
1 Wikipedia編集活動がもたらす文化財保存活用の可能性
(文責:伊達深雪)
1.1 適切な史資料への簡易なアクセスを実現する「ウィキペディアタウン」
1.1.1 ウィキペディアタウンとは
2022年11月、愛知登文会(愛知県国登録有形文化財建造物所有者の会)主催のシンポジウム「情報発信による登録有形文化財の保存と活用」を聴講した。そこで半田市観光協会観光ディレクター(当時)の池脇啓太氏から「文化財×ウィキペディアタウン −基礎知識と成功のコツ」と題して発表された事例のひとつが、2019年に半田市で開催されたウィキペディアタウン「ふるさと半田応援団」の取り組みと、その反省点であった。
ウィキペディアタウンとは、Wikipediaにある特定の地域に関連する項目を充実させ、その二次的な作用で当該地域を活性させようという情報活動である。2012年に英ウェールズの地方都市モンマスで、町議会の協力のもと約500のWikipediaの項目が編集され、それらの項目にリンクする二次元バーコードを史跡や博物館など関係地約1,000カ所に設置した事例がよく知られている。
日本では2013年2月に横浜で開催されたオープンデータ系イベントでの市民企画が最初のウィキペディアタウンであったと位置づけられている。この企画に代表される日本のウィキペディアタウンは、一般には、まちあるきをして現地の写真を撮るなどした後、図書館などGLAM機関の所蔵する豊富な文献資料を活用し、題材に関連するWikipedia項目を編集する1日イベントという形がスタンダードな形態としてよく知られている。しかし、実際にはまちあるきを伴わない編集企画や、地域の他のイベントに出展してWikipediaのワークショップや展示を行う広報活動的な企画、Wikipedia編集者を養成する市民講座のような企画まで、ウィキペディアタウンの手法やねらいは多岐にわたり、企画の主催者も個人・団体を問わず多様である。講師として協力するウィキペディアン(Wikipedia編集者)も専門的な研修を受けた者が組織的に派遣されるわけではなく、独学によって多少の編集経験があり講師ができると自認する個人が依頼を受け、あるいは自発的に取り組んでいる(よって、Wikipediaの講習や編集指導の内容や水準はまちまちで、統一されていない)。
2019年2月に半田市で開催された「ふるさと半田応援団」は、この頃、日本各地で急増していたウィキペディアタウンの取り組みを把握した市や大学講師によって、半田市に関する情報を充実させたいと企画されたものだった。20余名の参加者による分担作業でWikipedia日本語版に2項目を新規作成、3項目を加筆修正し、参加者の満足度はおおむね高かったという。だが、新規に作成された2項目のうち、1項目はイベントに参加していないウィキペディアンにより即時移動(項目名の変更)がされ、もう1項目は既存項目からの転載の際に履歴継承の手続きが無かったことから即時削除の対応が取られた。それぞれ、Wikipediaにおいてはよくある些細なミスに過ぎないが、初の取り組みで赤の他人から一方的にダメだしをされたとも取れる結果は関係者に重く受け止められた。シンポジウムに登壇した池脇氏はこの経験を踏まえ、「(Wikipediaの)実際の編集企画の開催にあたってはWikipedia編集者に相談し、慎重に検討するべき」と繰り返したが、同時にその有用性についてもアピールされたので、視聴者の関心は高く、その場で筆者から簡単にWikipediaの方針と編集上の留意点について解説する流れとなった。その結果、翌2023年から「ウィキペディア愛知登文会」の取り組みがスタートした。
筆者は、京都府の公立高校で2002年から学校図書館司書として勤務し、その教育課程に寄与する目的で2018年から主に地域資料を活用したWikipediaの編集を行っている。地域について網羅的に収集した情報を学習教材として使える水準でまとめるにあたり、個人で取り組みを続けることは情報に偏りを生じさせるリスクが大きい。そこで活動初期から地域に在住する研究者や市民団体などと協力し、一般市民に広く開かれた企画としてウィキペディアタウンを開催してきた。2024年末までに京都府北部地域の3市1町[1]では、延べ50回以上の公開編集会[2]と90回以上の編集勉強会が開催されており、筆者自身は他26都道府県のウィキペディアタウンで講師またはWikipedia編集者として協力している。
この経緯から学び得た知見は、『ウィキペディアでまちおこし みんなでつくろう地域の百科事典』[3]に詳説しているので、未読であればお読みいただけると嬉しい。各種のウィキペディアタウンの紹介に関連し13本のコラムにおいて、ウィキペディアタウンあるいはWikipedia編集を行うなかで遭遇しやすい様々なトラブルやその対処法について、1冊を通しておおよそ解説したと自負している。また、本書にリンクで付与したウィキペディアタウンなど複数人での編集活動を想定したWikipedia編集マニュアルは、書籍刊行後も更新しWikipediaの最新の方針を反映できることを想定しているので、今後も長く活用できるテキストとなっており、編集イベント開催に際して自由に印刷し配布いただいて構わない。
1.1.2 Wikipedia編集前の準備と注意点
Wikipediaを編集するにあたり、アカウント(ユーザー名)の取得が推奨される。アカウントは無料で、任意の利用者名とパスワードを登録するだけで作成することができ、ウィキメディア[4]の他のサイトでも同じアカウントの使用が推奨されている。これは、アカウントでログインして編集すれば編集活動履歴の蓄積が可能であるというだけの理由ではなく、アカウントでログインした状態でないと編集できない機能的な制限のある環境が多いため、編集活動に支障があるという理由もある。大規模なフリーWi-Fiや携帯電話回線では過去の不適切な利用者が原因でアカウントを作成できないケースが近年急増しているため、ウィキペディアタウンなど編集イベントの実施にあたっては、事前に一定の編集経験を重ねたアカウント利用者が、Wikipedia日本語版における「アカウント作成者[5]」と「IPブロック適用除外[6]」の権限申請を行っておくと安心である。なお、過去に発表されたWikipedia編集についての論文を読むと、アカウントを取得するにあたりメールアドレスが必要であるとする紹介があるが、2025年現在Wikipediaのアカウント取得に際しメールアドレスの登録は任意であり、必須ではない。
また、グループでひとつの項目を編集するにあたり1つのアカウントを共有した例を紹介する論考もあるが、Wikipediaの方針は1人1アカウントの運用を原則としており、組織など複数人でアカウントを共有することは明確に禁止されている(また、逆に1人がひとつの項目で複数のアカウントを使いまわすことも厳禁である。)。特に未成年者などに教育活動の場でWikipediaを編集させるにあたり、個々にアカウントを取得させて児童生徒のその後を把握できなくなることに不安を覚える指導者側の心理は、私も高校で教育指導に携わっているのでよく理解できるのだが、Wikipediaについて理解の浅い初心者にこの取り組みを推奨するのであれば、くれぐれもWikipediaの方針やガイドラインの遵守をお願いしたい。なぜなら、往々にして初心者は最初に教わった手法を無条件に正しいと信用し、自らが指導者となる際にも踏襲しがちなものだからである。そして不適切な運用が拡散した結果、Wikipediaの既存コミュニティから厳しい指摘をされたり、偏見を持たれるなどの不利益を被り、その後の取り組みが困難になるのは、そうと知らずに不適切な運用を行ってしまう初心者や主催者と、他の無関係なウィキペディアタウンの講師なのである。これはほんとうに継続的に編集活動の普及に取り組む他の人々の妨げとなっている実態があるので、Wikipediaという公共の庭を耕す以上は、その方針を尊重することを主催者・講師・参加者一同が心掛けていただきたい。
ただし、新しく作成された項目に諸注意のタグだけを貼り付けていくウィキペディアンや、Wikipediaの会話ページやSNSなどであれこれと指摘するウィキペディアンの判断が適切ではないことも多い。Wikipediaは方針やガイドラインそのものも常時、不特定多数の有志による議論を経て改変されていく未完成のものであるため、すべての方針に精通している者などそもそもいないうえに、複数の方針が互いに矛盾していることもある。そのため、発言者がたとえWikipediaの管理者や熟練者や大学教授など世間的には有識者と目される人物であっても、その言を鵜吞みにするのは適切ではない。Wikipedia編集において尊重すべきは個人の主張ではなく、Wikipediaの各言語版のその時点での方針やガイドラインの文言を文字通り正確に読み解き、各位が自らの責任においてケース・バイ・ケースの判断をすることが重要であることも申し添えておく。
1.1.3 題材の識者によるWikipedia編集のメリット
1.1.3.1 ウィキペディアタウンに識者が参加するメリット
Wikipediaを編集するにあたり必要な準備は、まず、その根拠となる文献と、文献の内容を正しく読解することである。特に地域資料を必要とするウィキペディアタウンにおいて、適切な史資料と専門的な知識を持つ研究者等が地元住民と協力してWikipediaに文化財などの項目を作成することは、研究者等にとっても大きなメリットがある。
第一に、地元住民への文化財等の保存・活用への啓蒙・啓発とともに、地元でしか知られていない一次情報や口伝的な知識、独自の視点や一般家庭に眠る古資料を発掘・発見する機会となることである。同時に、専門的な知識を持つ人々の参入は、世間一般の多くの人々が情報を検索した際に無防備に参照しインプットしてしまうことが多いWikipedia情報の正確性を高めることができるので、広く世間に対して研究分野そのものの周知につながる。
第二に、地域及び題材の関係者にとっては、Wikipediaにその項目ができることが、広域における関係事物の知名度を向上させるとともに、地域の歴史や文化をデジタルアーカイブとして次世代に継承することを可能とする。また、その情報を発信する過程で題材の背景や価値を再発見し、愛着や誇りを育む効果が期待できる。一般社会の人々のそうした心境の変化は、それまで傍観者であった人が主体的に文化財の保存や活用に向けた行動を起こす原動力となることもある。さらには、そうした一連の活動の結果Wikipediaに公開された情報が、無関係な第三者の関心を喚起し、広く題材そのものに対しても再評価を促しそのものの活性化につながることもある。
一方で、だれでも編集することができるWikipediaは、作成された項目、掲載された情報がつねに提供されているとは保障されていない。投稿した情報そのものは管理運営元であるウィキメディア財団が半恒久的に保存し提供することを前提としているが、それを検索した人々の目に映る情報は、あくまでその時その瞬間の最新版でしかない。すべての編集活動がボランティアの手作業で行われているWikipediaの項目は、だれかが更新しなければ古い情報が残り続け、後世の読者に誤解を生む恐れがあり、また、題材に詳しくない人物や悪意により内容が改悪されるリスクもある。
このリスクについては次節で事例を挙げて詳説する。前提として、適切な情報を保持・提供し続けるには、継続的な監視と修正編集が必要であり、そうしたWikipedia情報の維持管理が、題材関係者の負担になる可能性は否定できないが、なればこそ、ウィキペディアタウンは特定個人の自由意思に期待するのではなく、研究者や関係組織・団体ほか不特定多数の良識ある人々により積極的に取り組まれるべき活動であると考えている。
1.1.3.2 「集合知」の限界とWikipediaの影響力
Wikipediaは、不特定多数のユーザーが任意で共同編集することができる「wiki」システムで構築された「百科事典Encyclopedia」であり、その項目の作成や加筆修正はすべて原則無償のボランティアによって行われている。こうした不特定多数の人々による編集活動の結果は「集合知」と呼ばれ、多くの人が正しいと言っていることがおおむね正しいといった概念に基づいているが、残念ながら不特定多数の人々が少しずつ情報を書き足したWikipediaの項目はあまり正確ではない例も少なくない。
例えば熊本県荒尾市の偉人・宮崎滔天は、革命家として名高い孫文を支援した社会活動家であるが、自身は革命に関与してはいない。しかし、Wikipedia日本語版ではある時点まで、宮崎滔天は「革命家」であり「浪曲師」であると見出し文に書かれ[7]、この見出しはGoogleなど多くの検索ブラウザで検索結果に引用されていた。「浪曲師」という肩書も正確ではなく、実際は宮崎滔天は若い頃に浪曲師を志した時期はあったものの数年でやめているので、終生の肩書のように紹介するのは違和感がある。
題材についてあまり詳しくは無い人々が、それぞれある「点」のみを見て自由に加筆していった結果、嘘ではないまでも全体としてはまったく別の物になってしまう、こうした項目がWikipediaには無数に存在する。なかには出典の文意を曲解して書かれた項目もあり、例えば韓国ののりまき「キムパブ」の項目には3年以上、韓国の国立国語院編纂の『韓国伝統文化事典』を出典に「(キムパブの)韓国起源説を公式に否定する」という説明が書かれていたが、この出典とされる文献には「日本の海苔巻きに由来し、韓国人は近代以後、たくさん食べるようになった。[8]」とあるだけで、キムパブの韓国起源説を否定していない。
不特定多数のユーザーによって大量の情報が瞬時に反映される反面、こうした書き手の理解の危うさがそのまま反映されてしまうのは「wiki」の特徴でもあり、読者はこれらの項目の内容を無条件で信用することなく情報源である出典の文献等で検証することが望ましいが、実際のところ、なにか少し知りたいことがあってインターネットで検索したときに、たまたま目にしただけのWikipedia項目の内容を逐一検証する人はほぼいない。
宮崎滔天のWikipedia日本語版の項目は、たまたまある編集イベント[9]でWikipediaを編集することになった研究者が、不正確な内容になっていることを指摘して丁寧に修正をした[10]4日後、NHKの番組「ファミリーヒストリー」でわずかに取り上げられ、その日1日のアクセス回数は1,423回を記録した。もし、この研究者・野田真衣氏がWikipediaの誤りに気づき修正編集を行っていなかったら、少なくはない人々の脳裏に宮崎滔天の誤った人物像がインプリンティングされ、場合によっては他のwebサイトなどに引用され拡散していただろう。インターネットで何かを検索した折に、Wikipediaに項目があると検索結果の上位に表示されるので閲覧されやすいという理由だけでなく、Wikipediaの記述は少なくはない数のLLM(大規模言語モデル)が学習に利用しているコンテンツでもあることから、文章生成AIなどによっても世間一般の多くの人々に認知されやすい。もし、本稿の読者が自身のよく知る分野の項目で、Wikipediaの誤りに気がつくことがあった時は、決して「しょせんウィキペディアだしな」と放置することなく、編集し、内容を修正してほしい。誤った歴史が見過ごされた結果、後世の研究に重大な支障をきたしたケースは、日本では椿井文書が有名だが、今世紀においてはWikipediaが簡単にその温床となってしまう可能性があり、実際に他言語版ではすでにそうなりかけたケース[11]も報告されている。
と、このような話をすると、多忙な諸氏はよく「でもWikipediaって本人や関係者は編集したらダメなんだよね[12]」とWikipediaのガイドラインを口にするが、安心してほしい。研究者が自らの研究分野について、すでにどこか公的な機関で公刊された情報を、その公刊した文献を出典として編集される分には、まったく問題がない。むしろこのガイドラインは、内容の誤りや古い基礎情報は当事者であっても自由に編集することを推奨しているので、心置きなく取り組まれたい。
1.1.4 「認知」から拓ける、保存・活用への道
ウィキペディアタウンを通して筆者がこれまでに携わった「文化財の保存・活用×Wikipedia」の事例を振り返ると、いくつか興味深いケースがあるので紹介しておきたい。ひとつは京都府京丹後市丹後町に明治時代に建造された、経ヶ岬灯台[13]のWikipedia日本語版の項目である。
この項目は地元住民の自治組織が主催したウィキペディアタウンに関係する題材として、2021年9月15日に新規作成した。その後、同年11月13日までに筆者を含む5名の編集者による加筆修正を経て、Wikipedia日本語版内の査読により「良質な記事[14]」に認定された。この項目の作成後365日間のページビュー回数[15]は4,960回である。
当時の経ヶ岬灯台は、地元においては多くの観光客を集める町のシンボルであり、産業技術分野においては明治期の日本で導入された最新技術を採用する現役の灯台として高く評価されていたが、文化財としては国のみならず京都府にすら明確な評価は示されていなかった。そのため、地元以外の一般社会ではさほど認知されていなかったものと思われ、経年劣化する建造物の維持と保全が課題となっていたが、Wikipedia作成から1年3ヵ月後の2022年12月12日に国の重要文化財に指定された。
もちろん、Wikipedia日本語版に詳細な項目が作成されたことと、国の重要文化財指定に直接的な因果関係があるわけはない。地元の住民や自治体が灯台の価値を訴え、文化庁などに保存と重要文化財指定を働きかけた結果であろうことは想像に難くないが、重要文化財指定以前の経ヶ岬灯台は、国の登録有形文化財でも府の指定文化財にもなっていなかった点に注目したい。だれかが(もちろん文化庁の関係者も)インターネットで検索すれば容易に知れるWikipediaに、地元の関係者が主導したウィキペディアタウンでありとあらゆる経ヶ岬灯台に関する文献情報を収集し記載しておいたことが、経ヶ岬灯台の飛躍ともいえる再評価につながるなんらかの過程において、レファレンスツールとして貢献した可能性は大いにある。
また、Wikipediaはクリエイティブ・コモンズ・ライセンスを採用しており、その情報をだれでも自由に利活用できることの影響も大きい。京丹後市丹後町東部の宇川地区に拠点を置く市民活動団体「宇川加工所」のWikipedia日本語版の項目[16]は、2021年4月にウィキペディアタウンによって新規作成されたが、その後、Wikipedia情報をベースに京都市内の龍谷大学のゼミが通信販売の機能を付与したホームページ「うかわの実[17]」を作成し、これによりそれまで地元の商店にしか販路のなかった宇川加工所の生産物の全国販売が可能となった。商品は京丹後市のふるさと納税の返礼品にも採用され、宇川加工所は2022年には総務省の「ふるさとづくり大賞」において総務大臣表彰を受賞している[18]。
この事例もまた、Wikipediaが直接的に宇川加工所の評価に影響したわけではない。しかし、その貢献は明らかであり、価値ある情報が誰にでも、どのようにでも利活用できるオープンアクセスで広くインターネット上に公開されることのメリットは、そのものの認知度を高め、再評価を促し、ひいてはその継承活動の原動力となるものと考える。
1.1.5 ウィキペディア愛知登文会について
1.1.5.1 編集者の協力体制
2023年7月からスタートした「ウィキペディア愛知登文会」の取り組みについて、主催者からの具体的な最初の相談は同年5月であった。「まずは登文会会員を対象にWikipedia作成にむけた勉強会を実施し、その後3回のワークショップで実際にWikipedia日本語版に『愛知登文会』の項目を新規で作成する。その次のステップとして、個別の登録有形文化財のWikipediaを作成したいが、これは翌年度以降になるだろう」、というのが愛知登文会としての当初からの見通しであり、筆者に期待されていたのは初回の勉強会の講師と、ワークショップ運営のアドバイスである。まず、初期から登文会の会員自身による編集活動を目指し、継続的な取り組みを想定されていたことを高く評価したい。
しかし、Wikipediaの編集活動はケース・バイ・ケースで検討する必要がある事象が多く、講習スタイルの勉強会で習得できる内容は、参加者各位がWikipediaの主要な方針ページを熟読する手間を省き、編集活動へのモチベーションを上げる程度の意味しかない。活動の質を保障するキーパーソンとなるのは、編集活動を行うワークショップの場で的確なサポートを行えるWikipediaの執筆経験者である。そこで筆者は、「ウィキペディア愛知登文会」に対して長期的なサポートが可能な近隣のウィキペディアンを紹介することが最重要と考え、主催者の了承を得たうえで、それまでに愛知県内でウィキペディアタウンの講師を経験している複数名に相談し、協力をお引き受けいただいた。
ウィキペディアタウンにはできるだけその土地や題材の事情に明るく長期継続的に編集活動に関われる人が、自らウィキペディアンとなり、他の不慣れな参加者のサポートを担えることが望ましい。ただ、本稿1.1.1で紹介した半田市のようなケースもあることから、身内にその人材が育つまでは他のウィキペディアンにも助言を求めたほうが負担が少なく、イベントはそうした人材の斡旋や交流の機会となることが期待できる。しかし、現在はまだごく少数のウィキペディアンが個人的に相談を受けて対応し、何万円もの交通費を主催者あるいはウィキメディア財団が負担するケースも多く、こうした外部のウィキペディアン頼りの企画は、その後、当事者らで主体的な取り組みに繋げることができなければ費用対効果が少ない。筆者自身も相談があれば遠方の企画にも対応しているが、自身が出向いて講師などを務めるよりも適切な方法や適格者がいると判断した場合や、当該地域の関係者にイベントをやりたい気持ちは強くとも継続的な編集活動に繋がる見通しが立てられていないケースでは、情報提供やオンラインでのサポート参加に留めることもある。
Wikipediaはすべての項目及び編集者の更新記録が残されているため、履歴を見れば、2023年春の時点で、愛知県在住と思われるウィキペディアンで、質の高い編集活動を行っている人物が5名以上は確認できた。そこで、これまで講師などの役割ある立場ではWikipedia編集に関わっていないウィキペディアンでも、仮にその意思があるようなら愛知登文会の企画にサポート参加してくれることを期待し、Facebook上にグループ「愛知県の登録有形文化財のウィキペディアを作る会をサポートする会」を作った。筆者ら関係者が個別に声掛けしたケースもあったが、残念ながら講師未経験者のサポート参加には繋がらなかった。今後、「ウィキペディア愛知登文会」が毎年の恒例企画として安定的に開催され、一般社会をはじめWikipedia内においても広く認知されることにより、Wikipedia普及活動に関心を持ち、協力、あるいは、自ら取り組みたいと考える人々が現れることを期待したい。
1.1.5.2 2023年、2024年の取り組み概要
2023年の「ウィキペディア愛知登文会」は、7月下旬に2時間30分の勉強会が行われ、筆者から1時間程度のガイダンスと項目構成の検討、質疑応答ののち、1時間でWikipedia編集、30分でふりかえりを行い、次回以降のワークショップに繋げるプランを立てたが、実際に参加者が編集活動に集中して取り組めるまでには2時間弱を要し、勉強会自体が20分ほどタイムオーバーした。時間配分は見誤ったものの、この勉強会において「愛知登文会」の項目自体はWikipedia日本語版に作成された。その後8~9月に行われた3回のワークショップでは、この項目のブラッシュアップのほか「全国登文会」や愛知登文会に関係する文化財の4項目が新規作成され、「愛知県の登録有形文化財の一覧」など複数の関連項目が集中的に加筆された。
新規に作成されたうちの3項目はWikiepdia日本語版のメインページ「新しい記事」にも掲載され、わずか24時間ほどの間ではあるが、その項目名を検索しなくても1日約50万アクセスがあるメインページの訪問者に認知される可能性を生むことができた。なお、この掲載確率は新規に作成される項目全体の2~5パーセント程の狭き門であることを申し添えておく。
この初年度の「ウィキペディア愛知登文会」では、各回10名前後の愛知登文会会員が参加し、筆者のほか4名のウィキペディアンが主にサポート役として参加したが、ウィキペディアンのうち毎回参加してサポートを務めたのは同県内のウィキペディアン達である。そのうち本稿の共著者でもある澤田佳佑氏と円周率3パーセント(ユーザー名)氏は、共にウィキペディアタウンで講師を務める熟練者であり、それぞれ、自身がもともと愛知県内の登録有形文化財のWikipedia項目やWikimedia Commons(以下、コモンズと記す)[19]の充実に関心が高く、「ウィキペディア愛知登文会」のイベント外でも継続的に関連項目の充実に取り組まれていた。このウィキペディアタウン界隈におけるウィキペディアン層の厚さで愛知県はまちがいなく全国屈指の地域であり、他方でのウィキペディアタウンと比べて恵まれた条件下での企画であったことは間違いない。
この「ウィキペディア愛知登文会」は他県の登文会でも情報共有され、同年10月には大阪府松原市で開催されたウィキペディアタウンに、大阪登文会の会員が参加しWikipedia編集に取り組んでいる。
2年目となった2024年の「ウィキペディア愛知登文会」は、前年度同様に勉強会の後3回のワークショップが予定されたが、加えて2回の現地見学会が行われた。現地見学会では筧家住宅(名古屋市)と尾関作十郎陶房(犬山市)を訪問し、それぞれ所有者から邸宅の歴史や家業について紹介いただいた後、それらの項目をWikipedia日本語版に作成するにあたっての節構成などについて検討が行われ、実際にその次のワークショップの回でWikipedia日本語版に新規作成している。
この2年目の「ウィキペディア愛知登文会」では、ほかにも40以上のWikipedia日本語版の項目が編集され、主催者の「個別の登録有形文化財のWikipedia項目を作成したい」という当初の目的は、この時点での愛知登文会会員の所有する登録有形文化財に関してはひとまず達成される形となった。編集成果の大部分はサポーターとして参加したウィキペディアン達によるものであったため、今後継続的な内容の加筆修正を誰が担えるのかといった課題は依然として残るが、文化財の保存と活用の大前提として「広く世間一般に認知される」ことに関しては大きな前進であると言えるだろう。
ここまで、ウィキペディアタウンをはじめ文化財の保存と利活用につなげるべくWikipediaを活用するにあたり、多くの課題と注意点、及び、その取り組みの価値について述べた。
次からの章では、実際にどのような手順で「ウィキペディア愛知登文会」の全項目作成が行われ、どのような成果と展望を得る事ができたのか、一連の企画に他参加者のサポート及び執筆者として主に取り組まれた2名のWikipedia編集者に、それぞれが主体的に取り組まれた編集活動とその手法やねらいについて、詳細に解説いただくこととしたい。
2 愛知登文会の全会員項目を作成した経緯とその意義
(文責:澤田佳佑)
2.1 Wikipediaにおける登録有形文化財項目
筆者は2014年から、Asturio Cantabrioというユーザー名でWikipediaの編集に携わっている。もともと近代建築や登録有形文化財に関心があったことから、愛知登文会の企画とは無関係に文化財建造物のWikipedia項目などを多数作成してきた。文化財について個人的に作成した項目としては、「瀧文庫」(近代建築、指定/登録なし)、「望洲楼」(半田市景観重要建造物)、「オリエンタルビル屋上観覧車」(登録有形文化財)、「宝生院のシンパク」(特別天然記念物)などがある。また、「愛知県の登録有形文化財一覧」の初版も筆者が作成している。
様々な雑誌、新聞記事、ネットメディア等に登録有形文化財に関する情報が掲載されているが、重要文化財などと比べると登録有形文化財は一つ一つの情報が小さいことから、情報が散在していることが多く、全ての情報を集約するハブが存在しないことが多い。Wikipediaにおいても、重要文化財や国指定史跡については既に項目があることが多い一方で、登録有形文化財は価値が見出されたり評価が定まった時期が新しいものが多いためか、Wikipedia項目はまだまだ少ない。2025年現在、Wikipediaに項目が存在する登録有形文化財は1~2割程度だと思われる。
2.2 「ウィキペディア愛知登文会」における背景
筆者は2023年夏、2024年夏ともに、Wikipedia編集者のひとりとして「ウィキペディア愛知登文会」に参加し、他の参加者への編集サポートなどを行った。
両年ともに、Wikipedia編集を行うワークショップには数名の会員と数名の賛助会員が参加し、ワークショップを経るごとに参加者の編集スキルは向上していた。2024年には「愛知登文会会員すべてのWikipedia項目を作成すること」という到達目標が設定されたが、Wikipediaを編集するのが初めて、または数回目という参加者が項目の新規作成を行うのはハードルが高かった。登録有形文化財の所有者は地域の名士であることが多く、その教養レベルや文章力は総じて高いが、年齢層が高いことからパソコンに不慣れな方も多い。また、ワークショップの各回は1時間30分であり、この時間内に新規項目を作成するのは熟練編集者であっても難しい試みだった。
項目の新規作成というハードルは高くても、既存の項目の誤りを修正したり、既存の項目に一文で新たな内容を追加するだけならばハードルは低い。Wikipediaの熟練編集者が一定水準のWikipedia項目を作成しさえすれば、誤りの修正や文章の追加といった活動に専念できると考え、ワークショップ第2回から第3回までの間に筆者が全会員の項目を作成することを計画した。2024年のウィキペディア愛知登文会には熟練編集者が筆者を含めて4人参加していたが、その中で最も建築や文化財についての項目の編集経験が多いのが筆者であり、短期間に会員項目を網羅的に作成する役割は適任と考えられた。
2.3 会員項目作成に伴う目標値の設定
2024年初時点で愛知登文会には68名の会員がいたが、うち34名の会員項目は既に存在したため、新規作成が必要なのは34名(34項目)だった。この34項目を大まかに分類すると、「金城学院高等学校榮光館」などの近代建築などが12項目、「棚橋家住宅」などの民家(町屋・農家建築)が18項目、「浄照寺」などの寺社が4項目である。
この3つの分類の中で、近代建築については文化財として言及している文献が相対的に多く、さらに建造物の一般公開がなされていることも多い。筆者の関心の強い題材であることもあり、1万バイト(脚注等も含めた文字数で約2500字)程度の項目を作成することを目標とした。1万バイトを超える項目はWikipediaの平均を上回る充実した項目であり、Wikipedia内の投票を経てメインページで紹介されることも多い[20]。
登録有形文化財の寺社については、近代建築と比べると文化財として言及している文献は少ないが、自治体史などで言及されていることが多い。普段から境内や本堂を見学できる場合が多く、登録物件の写真を撮影することも容易である。5000バイト(脚注等も含めた文字数で約1200字)程度の項目を目標とした。
登録有形文化財の民家について言及している文献は、同じく登録されている近代建築や寺社と比べて圧倒的に少なく、特別公開時以外には見学不可能な施設であることがほとんどである。そこで、民家項目については3000バイトを超えることを目標とした。バイト数や文字数による明確な定義はないが、3000バイト(脚注等も含めた文字数で約500字)を下回る項目は書きかけの項目[21]とみなされ、あまり役に立たない項目という烙印を押されることが多い。
Wikipediaは「百科事典」を標榜するウェブサイトであり、その定義は「データベース」でも「まとめサイト」でもない。Wikipediaの現状は不完全な百科事典であり、データベース的項目、まとめサイト的項目は多数存在するものの、そのような項目を増やすことは歓迎されていない。今回は作成する34項目全てが3000バイトを超えることを目標とした。より多くの時間をかけて文献調査を行えば、目標値として設定した3000/5000/1万バイトを大きく上回ることも可能だが、今回は全項目を一定レベルの水準で作成することを最優先とし、必要以上の文献調査を行っていない。
2.4 節構成や内容の決定
Wikipediaに明確な編集方針はなく、必ず従わなければいけない節構成や文字数などの決まりもない。とはいえ、項目評価制度として「秀逸な記事」(約100項目、全体の0.007%)や「良質な記事」[22](約2000項目、全体の0.15%)があり、節構成や文章の内容などの大まかな見本になりうる。建築物や文化財に関する「良質な記事」としては「佐原三菱館」などがあるが、節構成や文章の内容などの書き方が分野全体で確立されているとは言えない。
筆者が過去に執筆した文化財建築の項目なども踏まえて節構成を検討した結果、各項目とも「歴史」「建築」の2節、または「地理」「歴史」「建築」の3節を設置してから文献調査にあたることとした。近代建築や民家の場合、「地理」節はその町の特色やその家がその土地に土着した背景、「歴史」節はその家が隆盛または衰退した経緯、「建築」節は建築面の基本的情報や特徴について書いていくことで質の高い百科事典項目となるという考えである。文献調査を行う前に節構成を検討しておくことで、作成する項目の最低レベルを引き上げたり、重要な要素の書き漏らしを減らせるメリットがある。
寺社の場合は登録有形文化財を主題とするのではなく、寺社項目のなかで登録有形文化財について言及するという形をとるため、他の寺社項目の節構成を踏襲するのが基本である。寺社に関する「良質な記事」としては「気比神宮」や「陸奥国分寺」などがあるし、その他にも無数にある寺社項目が参考になる。Wikipedia内には編集の方向性を決めるために各分野に「ウィキプロジェクト」[23]があり、寺社に関連するウィキプロジェクトとしては「プロジェクト:仏教」「プロジェクト:神道」があるが、各ウィキプロジェクトは現状に即した内容のアップデートがなされていない傾向があるので、これに囚われる必要はない。
2.5 文献調査と文章の作成
全ての登録有形文化財が登録されているウェブ上の文献として、文化庁が運営する文化遺産オンラインや国指定文化財等データベースがある。登録物件の竣工年代、構造、所在地、登録日などが箇条書きで掲載されているほか、数行程度で文章による解説もなされている。登録有形文化財のWikipedia項目を作成するためには欠かせない文献であるため、まず34項目全てについて、文化遺産オンラインのみを出典として建築面に関する文章を作成し、インフォボックス、定義文、冒頭部、節構成、参考文献、外部リンク、カテゴリなどを付与した下書きを作成した。
過去の文化財関連項目の作成を通じて、筆者は愛知県の登録有形文化財の項目の作成に有用な書籍を把握している。具体的には、『愛知県の近代化遺産』/『愛知県の近代和風建築』(愛知県教育委員会)、『あいちのたてもの』(愛知県国登録有形文化財建造物所有者の会)、『保存情報 東海四県ふるさとの歴史環境を訪ねて』(日本建築家協会東海支部愛知地域会保存研究会)などである。このほかに複数の項目に用いている文献として、建築史家の瀬口哲夫が著した『わが街ビルヂング物語』と『街の歴史建築を訪ねて』などもある。複数の登録物件を同じフォーマットで解説しているという点で、これらの書籍は事典などの参考図書に近い。OPAC上で登録物件名をキーワード検索しただけでは見つからない書籍も多く、過去に行った文化財関連項目の編集経験が役に立った。文化遺産オンラインを出典として作成した下書きに、これらの書籍から内容の核となる文章の加筆を行った。
個別の題材を主題とする文献がある場合は、文化遺産オンラインや参考図書の後に文章を加えた。『南山学園の歩み』や『滝学園70周年記念誌』や『堀田家の由来』などである。最後に、中日新聞記事データベースで登録物件名のキーワード検索を行い、新聞記事に掲載されている有益な情報を文章として加えた。基本的には重い文献から軽い文献、つまり参考図書、その他の書籍、新聞記事という順で文献調査を行うと、無駄の少ない執筆につながる。

図1 愛知登文会2024年作成項目分類
2.6 会員項目作成の意義と課題
Wikipediaの特徴として圧倒的な知名度がある。何かのキーワードをウェブ検索した際に、Wikipediaに項目がある場合は全ウェブサイト中のトップから3番目あたりに出てくることが多いため、作成した項目が閲覧される回数も多い。2019年に気象庁長官が狩野川台風に言及した際には、半世紀以上前の1958年に発生した台風の項目「狩野川台風」が46万ビュー/日を記録したこともあった。
二次利用が容易であることもWikipediaの大きな特徴であり、Google検索した際にナレッジパネルにWikipedia情報が含まれていることはこの特徴によるものだろう。この数年で生成AIの利用が一般的となったが、生成AIが学習できるのはウェブ上の情報のみである。Wikipediaは生成AIの学習ツールになっているとされるが、紙媒体の有益な情報をWikipediaという形でウェブ化すれば、生成AIの情報もより正確になっていくだろう。
愛知登文会は登録有形文化財所有者の互助組織であり、建造物の保存と活用に関する知識やノウハウを得るために参加している会員が多いと思われる。Wikipedia項目があることが即座に所有者の利益につながるわけではないが、所有する建造物の認知度の向上には一定程度の効果があると思われる。全国の登録有形文化財所有者の会の中でも、愛知登文会は特に精力的な活動を行っている団体であるが、紹介冊子の作成や特別公開イベントの開催などの活動資金が潤沢なわけではない。「Wikipediaという知名度の高いウェブサイトに全会員の項目が作成された」という今回の結果は、会員・全国登文会・文化庁などに対して活動を紹介する際に一定程度のインパクトがあると思われる。
筆者はWikipedia項目の作成が自身の学びにつながると考えており、興味関心のある文化財という題材を理解したり知識を得るために、時間をかけてWikipediaを作成することは遠回りではないと考えている。とはいえ、熟練編集者であっても34項目の作成は負担が大きいし、建築や文化財についての知識がないWikipedia編集者が同様のことをすれば、誤った情報をウェブ上に垂れ流すことにもつながりかねない。他都道府県の登文会で「ウィキペディア愛知登文会」と同様の企画が成立するかどうかは悩ましい。
3. Wikipedia項目大量作成の現場から-Wikipediaの「中の人」の目線-
(文責:円周率3パーセント)
3.1 自己紹介
筆者、円周率3パーセント(ユーザー名)は、日本語版Wikipediaのユーザーとしては古参を名乗ってもよい人間であると思う。Wikipediaではすべての編集履歴が保存されているのは知られている事実であるが、編集した記憶と記録をたどると最古の編集履歴は「2003年11月29日(土) 18:57(日本時間)」、「北区 (名古屋市)」なる項目に「名古屋市の北部に位置する区。」と1行だけ書き込んで新規作成したものである[24]。
現在であれば、明らかにいたずら扱いされて、削除依頼を掛けられるであろう記述でしかないが、自分の知識を世の中の貢献に変換する行為の快感を、以来20年以上引きずるハメになるとはこのときには思いもしなかった。
ユーザー登録は「2003年11月29日 (土) 21:51」[25] 。ここから数年は、散発的に愛知県に関する編集をいくつかしたのみであった。この空白期間にはWikipediaを離れて、自作で地元の情報を事典形式で扱うWEBサイトを運営していた。そこに情報を蓄積していたが、そのWEBサイトは消滅してしまっているため、記録に残っていない。
個人運営のサイトの儚さとWikipediaに情報を残すことへのこだわりはこのあたりに由来するのだと思う。
Wikipedia編集回数が急増した理由を自己分析してみると、「執筆依頼」と「画像提供依頼」という2つの編集依頼ページがきっかけだったのではないだろうか。
Wikipediaでは、未作成のページのリンクは赤、ページが存在する場合には青の字で表示されるようになっている。だから、前者を赤リンクと通称している。この赤リンクをまとめて表示しておき、作成できる自信のある者がそこから自由に作成するというページがいくつかある。それが「執筆依頼」のページである。
執筆依頼はジャンルごとにページが分けられており[26]、その中から、数が多くて大変だが、パターン化すれば次々に処理できる分野である「県道項目」を選び、次々に作成していった覚えがある。
また、項目に画像を求めるテンプレートを貼ると自動的に付与されるカテゴリ(Wikipedia項目の一番下に表示される)が「画像提供依頼」である。そのカテゴリページにアクセスすれば、現在画像を求めている項目を一覧することができる。地域ごとに分類されているので(以前は雑然としていたが、日本国内のものに関してはすべて市郡単位に整理した)、自分の居住する地域や旅行先など、行けそうな場所を撮影し、その画像をアップロードするだけで、貢献ができるというものである。
誰でも撮影できる画像であっても、そんなものを撮影してアップロードしておこうなどという奇特な人物が少ないと見えて、市内の画像を撮りに行ってはアップロードするということを、周りがちょうど位置情報を使ったスマートフォンゲームに興じているころに自転車に乗って一眼レフカメラをぶら下げては出かけていた。
最終的に現在も続けている愛知県内の町字項目の作成であるが、これに発奮したきっかけは作成した項目が削除依頼に掛けられたことであった[27]。
その項目は、「曖昧さ回避」と呼ばれている種類の項目であった。Wikipediaの仕組みとして、項目名をURLの一部とする都合上、重複する名称のものが複数ある場合には、なんとかしなければならない。日本語版Wikipediaでは、項目名の後に「半角スペース+半角括弧書き」を使って区別する「曖昧さ回避」を行うという形式に落ち着いている。すでに町字項目を書き始めていたが、町名ほど重複しやすい題材もない。そのため、事前に重複する町名を調査しておいた方が作業がしやすい。そう思った。そのため、同名の地名リストを作成したのである。ただし、これには大量の赤リンク、つまり、まだ作成されていない(場合によっては作成される見込みが未来永劫存在しない)項目へのリンクが含まれていた。
Wikipediaの成長過程には、大量の項目を立てたがる人との戦いがあった。最初期には鉄道駅のコンプリートを目指す勢力がおり[28]、さらには交差点項目、バス停(各バス停の個別項目である)項目の作成を目指す勢力が出てきたのを見た。項目作成は簡単だが、これを網羅されたらメンテナンスが困難である。だからこそ、そうした項目の作成を防ぎ、ルールを策定し、戦ってきた人たちがいる。そうした人たちにとっては、無責任な項目作成は悪であり、早々と対処しなければ、蔓延して大変なことになると思っているのである。
Wikipediaの新規項目作成には、こうした勢力と戦うというイニシエーションが存在している。
作成した項目を削除されないようにするためには、執筆の実績が必要であり、特にこの範囲については可及的速やかに項目の作成をする必要がでてしまったのであった。
これらの経緯により、現在の執筆スタイル(項目の大枠を先に整備し、現地に向かい写真を撮り、図書館に向かい資料を見つけては五月雨式に加筆する)が形作られてきたため、十分に事前準備を行った上で質の高い項目を初稿から用意するという、おそらくこの論文の読者層の主流派の執筆態度とは異なる態度でWikipediaに臨んでいるということをご留意の上、小論をご笑覧いただきたい。
3.2 Wikipediaのエスノグラフィー
すでに述べているが、Wikipediaの項目作成にはイニシエーションが存在する。Wikipediaは賃金労働による作業ではないので、人々の思いがダイレクトに渦巻いている(賃金労働でもそうだが、賃金をもらう以上、ある程度割り切らないとならないので、ある程度調整や交渉が効く)。公式のルール以外にもそういった見えない暗黙の了解が存在するのは、Wikipediaも人間が作業する空間である以上、一種のコミュニティであり、かかわりあい方があるのも当然である。Wikipedia編集者コミュニティの文化人類学的アプローチの可能性もあり得るだろうが、こうした指摘は寡聞にして知らない。
3.3 大量に項目作成を行うノウハウ
先に断っておきたいのは、マニュアル的なものを希望する人には、大量の項目作成には携わってほしくない、ということである。大量の項目を一斉に作成するノウハウというのは一種、核兵器をはじめとする大量破壊兵器の作成法のようなもので、使い方によっては悪影響の方が大きくなるというのはご理解いただきたい。大量生産を可能にする技術は、手工業的な文化を大きく破壊する可能性がある。それはすでに産業革命時に世界が経験した事実である。Wikipediaは基本的には職人による手工業的工場である。
発生した災禍をすべて負う必要はないが、トラブルに対処する気がない人、良いことをしていると一方的に思う人、対処できる自信がない人などは、回れ右するか、十分にWikipediaの文化について参与観察を行った上で、実行に移すかどうかを考えていただきたい。かつてのインターネットカルチャー的に言うならば「半年はROMれ」である。
同ジャンルの項目を大量に作成する場合には、細心の注意を払う必要がある。まずは先住民が生息しているかどうかを確認する必要がある。
専らそのジャンルの編集を行う編集者がいるかどうかというのはかなり重要な情報である。特定の地域を得意分野としている編集者、もしくは特定の分野を得意分野としている編集者の存在を確認する。いるならその編集者のスタイルを尊重する、作業スピードを緩やかにする、もしくは作業の断念も検討しなければならないかもしれない。協力者となるのか、敵になるのか、その分かれ目でもある。
2つ目には、アカウントの信頼性を上げる必要がある。
大量に項目を作ることは、少数のボランティア編集者がメンテナンスを担っているWikipedia日本語版において、さらなる負担を増やす行為ともなり得る。したがって、それらの項目について、無責任に作成しているのではない、メンテナンスに責任をもつ覚悟や技術があることを示す必要がある。
Wikipediaでは編集した履歴がすべて保存されるようになっているため、編集者がどの分野で編集をしているのか、それが適切な行為なのかをすべて検証できるようになっている。このため、関連分野についての適切な編集を繰り返している、また、長期間にわたって活動しているというのは大きな指標となる。
仕事のキャリアを示す書類にポートフォリオというものがあるそうだが、編集履歴はWikipediaのポートフォリオである。
3.4 愛知登文会イベントに関連して
3.4.1 イベントにあわせ行った文化財項目の一斉作成の実際
準備としては、まず一覧の作成を行う。作業範囲が県内全域であれば、県内全域の文化財の一覧を作成する。Wikipedia内で作成すれば、内部リンクや画像の表示などのWiki記法を利用することができるため、便利である。Wikipedia用語で「標準記事空間」と呼ばれる一般の項目内であればその後の利用もできるし、自分の「利用者ページ」内に作ればある程度、自分のペースで作成することができる。
今回の場合、愛知県の登録有形文化財一覧の項目はかなり詳細なものが作成されていたため[29]、この整備の段階は省略することができた。
しかし、このままでは使いにくい部分もあることから、自分の利用者ページのサブページに複製した上で、自分の作業のスタイルに合うように改変して利用することにした。
Wikipediaのすべてのページは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに基づいて、一定条件を満たせば複製して利用することができる。複製先のページを作成する際に、複製元のページとそのバージョンを示しておくことで、基本的には使用することができる。
今回の作業では、画像が存在しているかどうか、所在地はどこなのか、名称は何なのか(これは後に項目名となるはずである)以外の情報は必要なかったので、これを削った表を利用者ページのサブページ内に作成した[30]。
Wikipediaに使用する画像については、Wikipediaに直接アップロード[31]することもできるが、基本的にはコモンズにアップロードすることになっている。各言語版に個別にアップロードするより、共有の場(コモンズ)に一元的に保管しておくことにより利用がしやすくなるという趣旨である。愛知県内の画像を積極的に撮影してアップロードする利用者が複数活動しているという事情があり、その莫大な画像を整理するため、県内全市町村の画像を町・大字単位(場所によっては小字単位)のカテゴリに納められるように整備している。また、前述の通り、筆者が精力的に町・大字項目を新規作成した結果、県内のほとんどの市町村の町・大字項目が何らかの形で存在する。その整備過程で、コモンズのカテゴリが存在する町・大字にはそのWikipedia項目の末尾にコモンズのカテゴリへのリンクを準備したことから、文化財一覧項目にある所在地の文字列(○○町もしくは大字○○)に内部リンクを設定すれば、ほとんどの場合にWikipedia項目が存在し、さらにコモンズに画像がある町・大字であれば、クリック2回でその文化財の画像がアップロードされているかどうかを確認することができるのである。
既に表内に貼られている画像のほか、コモンズにアップロードされているものの、Wikipedia項目に貼られていないような画像を表内に貼り付けると、残ったのは画像がコモンズに存在しない物件のみになる。
これをどうすればいいかといえば、あとは自力で撮りに行けばいいだけである。
物件の所有者に撮影を依頼し、アップロードしてもらうという手順も考えられるが、交渉し、説明し、操作方法を習得してもらう手間を考えると、完全に非公開の撮影困難なものを除けば、自分で撮影して、自分でアップロードする方が早い。日本の法律では、公道から撮影するのを建物所有者が止める根拠はないとされる。
個人で移動するため、交通費も滞在費もすべて自費であるが、それは趣味の範囲であって、観光の一種と割り切って撮影する。ついでに寄り道をしても誰にも怒られるわけでもないし、出張費の横領にもならない。
また、今回の場合には、澤田氏が未アップロードの画像のストックを持っていたらしく、こうした作業中に同時並行的に大量にアップロードされたため、実際に撮影に行った物件はかなり少なく済んだ。
画像の確認後には、項目が既に存在するかどうかの確認に移る。ここでは画像は一覧ページの読み込みを遅くするだけになるので、除去し、代わりに下書きページへのリンクを作成した[32]。
Wikiの機能として、項目名の後に「/」を入れると、その後の文字列をサブページとして認識するというものがあるので、それを利用する。具体的には、例えば「/田中家住宅」と書いて、そこに内部リンクを貼ると、自動的にサブページ「田中家住宅」へのリンクが作成されるので、そこをクリックして、新規作成すればよい。
また、既に作成された項目であれば、Wikipedia上ではいわゆる青リンク状態、されていない項目であればいわゆる赤リンク状態になるので、物件名の内部リンクをすべて作成するだけで、基本的には項目の有無は簡単に確認することができる。
ただし、赤リンクの場合、別の名称で作成されている可能性もあるため、カテゴリ内を改めるなど、一応確認するとよい。
また、今回は同時並行で編集活動を行う作業者がいたため、下書きページからその人の利用者ページ内の下書きページへのリダイレクトを作成している。
3.4.2 下書きページの作成の意味
下書きページを作成することで、必要に応じて作業を中断し、いったん保存することができる。注意すべき点は、下書きページとはいえ、機能的には一般の項目ページと同じものを下書きページと称しているだけなので、編集履歴は保存され、誰でも見ようと思えば見ることができる状態になるということである。
個人の利用者ページ内に作成した下書きについては、原則として他人の編集を拒否する紳士協定[33]があるため、どんな中途半端な状況であっても、一般の項目として新規作成したときによく起こる項目削除などの憂き目に遭う可能性はなくなる。
また、「{{編集許可}}」というテンプレートを下書きページ内に設置することで、他人の編集も許可できるため、インターネットを通じた共同作業が可能となる。
さらには、この下書きページはある程度育った後に、Wikiの機能である「移動」を利用することで、実際の項目としてリリースすることができる。
このときの留意点は、下書きページ時代の履歴も含めてすべて保存された状態になるということである。履歴を見られたくない場合には、下書きページの内容をすべてコピペして、新規作成するという方法を選択することになるが、この場合には「下書きページの著作権がすべて1人にある」必要がある。つまり、編集を許可して、共同作業によって下書きページの編集を進めた場合には、「移動」でしか項目を作成できないことになる。
3.4.3 実際の項目作成
下書きページの作成は、そのままWikipedia項目の作成と同じ手順を踏むことになる。理由は前述した通りである。
したがって、ここに書く内容は項目作成の手順ということになる。
項目作成の手順は様々な流儀があるだろうが、ここでは、最小の手数で大量の項目を作成するための手順とはどのようなものかの一例を示したい。
(1) 「独立記事作成の目安」
Wikipediaの項目として、最低限存続が認められる水準とはどのようなものなのだろうか。
基準を示した文書として有名なものにいわゆる「特筆性」というものがある[34]。正式には「独立記事作成の目安」という。「特筆性」は、氾濫する項目を削除するWikipediaの防波堤としての機能を果たす文書ではあるのだが、その「特筆性」という名称ゆえに誤解と過剰削除を招いてきた可能性がある。したがって、本稿ではすべて「独立記事作成の目安」と通すことにする。
「独立記事作成の目安」の文書自体は非常に長いのだが、その趣旨は「立項される対象がその対象と無関係な信頼できる情報源において有意に言及されている状態であること」の一文で表現されている。
まがりなりにも百科事典に掲載(編集)を希望する何かであるならば、何らかのメディアに掲載歴があるのではないか、ということで、そのメディアは自前ではなく、もしくはメディアプレスの丸写しのような項目でもなく、項目に見せかけた宣伝の類いでもない、何らかの特集かなにかが組まれているはずである、ということである。
その書誌情報なり、URLなりを示せば、独立項目を作成できる目安の説明責任の一歩は果たしたことになる。
あとは、項目削除を求める人はそのメディアの信憑性のなさやらなにやらを証明していけばいいことになる。
というのは、理想の状態で、実際にはそのような状況にはなっていないと思われる。誰も記述の書誌情報を書かないからである。
Wikipedia日本語版成長の過程で出典の明記が厳密に求められるようになったのは、そんなに古いことではない。当初は何の根拠もなく、思いつきや勘違いをそのまま書く編集者は大半だったし、未だにその感覚で活動する編集者は多い。
その後、項目の末尾に参考文献を列挙する方法(一括参照方式もしくはGeneral Reference方式)が長い間許容されてきたが、数年前についに「適切ではない」ということになった [35]。
一人もしくは少数が責任をもって執筆する論文などの文章とは違い、無限に書き換えが可能であるWikiシステム上の文章をメンテナンスするのに、一括参照方式は適さない。
例えば、Wikipediaの項目自体の分量が1万字ある、参考文献が500ページの大著が3冊箇条書きで書かれているのみである、という状況があったとしたら、誰がそのメンテナンスを行えるだろうか。
いやしくも百科事典を編集するのであるならば、その基礎文献を3冊も読まないでどうする、などという指摘はもっともである。しかし、明らかにいたずらと思われる編集があったから修正したい、明らかな誤字脱字であると思うので修正したいという編集者であれば、その行の記述が何の本の何ページを読めば確認できる、という情報があれば、すぐに確認して修正することができる。
日本の非学術系書籍は参考文献を列挙する方式が多く、そうした状況の中で形成されてきた文化の可能性はあるが、Wikipedia編集イベントで出典の明記を散々レクチャーした後でも、出典を書かない人が散見されるので、よっぽど情報源を知られるのが嫌なのだろうか。
いずれにせよ、項目を作成する人が情報源を書かないので、項目の削除を求める人も削除の基準を作って自衛するようになる。情報源を書いていないのだから、外見上は100冊の書籍を読み込んで書いた記述も、酔っ払って適当に書いたでっち上げの記述も区別がつくわけがないのである。
Wikipediaの三大方針(Wikipedia内の数ある文書の中では唯一絶対遵守の鉄の掟である)の内、「検証可能性」および「独自研究は載せない」の2点にも反する。
ということで、項目を作成するためには、必ず参考文献(参考資料)が必要になる。この参考文献は、必ずしも書籍であったり論文である必要はない。Wikipediaの編集者の多くはインターネット上の資料だけで項目を書いている印象がある。
ところで、「独立記事作成の目安」に戻るが、ここで求められている資料の数の最低限はいくつなのか、と質問されることがある。答えは、「特に決まっているわけではない」となる。
個人的には、「書籍」「論文」「WEB」資料のうち、いずれか2点以上の資料があるかどうか、で判断している。
書籍2冊あれば十分な記述ができるし、書籍1冊と論文1本でもいい。ただし、WEBサイト2つでは心許ないので、慎重に作成するといった具合である。
(2) 「タケノコ式編集法」
Wikipediaの記述はすべていずれかの資料の中からしか出てこない、ついつい書誌情報を書き忘れる、というのであれば、最初から書いておく方がいい。

図2「ソースモード」の編集画面の一部 「== 参考文献 ==<改行>*」を入力した状態
普段の編集モードが「ソースモード」であるため、以下はすべてソースモードによる説明になる。
最初に書くべきマークアップは、「== 参考文献 ==<改行>*」である。アスタリスクは箇条書きを作るための記法である。
次にする操作は、編集画面にあるパズル型のアイコンを押すことである。これは、テンプレートの入力を補佐するウィザードである。ここにテンプレートの名称を書き込むことで、何を入力するかを教えてもらいながら進めることができる。

図3テンプレートウィザード

図4参考文献節を「Cite book」テンプレートで記述した状態(ソースモード)

図5参考文献節の表示
書籍であれば「Cite book」、論文であれば「Cite journal」、新聞であれば「Cite news」、WEBサイトであるなら「Cite web」と指定すれば、それぞれ適切なテンプレートが出てくる。ただし、出力されたあと、ソースの部分に「{{Cite book」なら「{{Cite book|和書|」と追記する必要がある。そうしないと、日本語でよく見る書誌情報の表示にならない。
こうした書誌情報テンプレートを用いずにいわゆるべた書きで書くこともできるが、なぜテンプレートを用いるべきか、といえば、機械による自動メンテナンスが容易になるからである。また、項目を別言語版に翻訳する際に非常に便利な機能を使えるからである。
引数はさまざまなものが用意されており、これを組み合わせれば、国立国会図書館デジタルコレクションへのリンクを貼ったり、国立国会図書館の書誌に一発で飛ばすリンクを貼ったりすることも容易である。
次に用意すべきは、「脚注節」である。

図6脚注節の準備
ここからの編集方法は、筆者が長年の経験から編み出したほぼ独自の方法であって、一般的なものではない。
だが、参考文献の漏れにくさでは一定の採用メリットがあると思っている。
一般的には脚注節には「{{Reflist}}」のテンプレートを置くだけで、実際の参考文献は本文中に書き込む。すると、勝手にいつも閲覧するWikipediaの項目の見た目を実現してくれる。
この方法では、この脚注節で全部の参考資料を集中管理する。

図7「タケノコ式編集法」における脚注節のソース
_______________
{{R|group="WEB"|文化遺産}}
{{R|group="WEB"|国指定}}
{{R|group="新聞"|毎日2020-01-01}}
{{Sfn|山田|2024|p=250}}
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
==== WEB ====
{{Reflist|group="WEB"|refs=
<ref name="文化遺産">{{Cite web|和書|url=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/116967|title=明治村帝国ホテル中央玄関|publisher=文化庁|work=文化遺産オンライン|accessdate=2025-01-10}}</ref>
<ref name="国指定">{{Cite web|和書|url=https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00003887|title=明治村帝国ホテル中央玄関|work=国指定文化財等データベース|publisher=文化庁|accessdate=2025-01-10}}</ref>
}}
==== 新聞 ====
{{Reflist|group="新聞"|refs=
<ref name="毎日2020-01-01">{{Cite news|和書|title=記事の見出し|date=2020-01-01|publisher=毎日新聞社|newspaper=毎日新聞朝刊|edition=名古屋本社版14版|page=24}}</ref>
}}
==== 文献 ====
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|title=書籍のタイトル|last=山田|first=太郎|year=2024|date=2024-09-10|publisher=なんとか出版社|isbn=978-4094530179|ref=harv}}
________________
特に今回の「ウィキペディア愛知登文会」項目の場合には、限られた資料で項目を作成することがほぼ確定的であるため、最初にこのひな形を作っておくと、URLと名称を差し替えるだけで、別の項目を作成することができる。
一番上にある「{{R}}」のテンプレートは、最小の記述でRef nameの管理ができるテンプレートである。<ref group="WEB" name="文化遺産">の形でも同じことができるが、なぜこれを使うかといえば、ソースを暗記しておくのに便利だからである。 これを最初に作っておいて、そこから記述を「生やしていく」。だから、「タケノコ式編集法」である。
「{{Sfn}}」テンプレートは、慣れればref name式より使い勝手が良い。ref nameは編集者それぞれが好き勝手に設定できるが、sfnの場合には同じ書籍の同じページであれば、勝手に統一される。
また、これは著者名と発行年で表示する方式であるため、一覧を見るだけで、どれくらい新しい(もしくは古い)学説を拾っているのかというのが一発で判別できる。さらには、同じ著者ばかりの学説を拾っているのか、それとも様々な立場の人の学説を拾っているのかを見ることができる。その分野に明るい人であれば、信用できる著者を拾っているのか、そうでないのかがわかる。
WEB、新聞、文献で分離しているので、どの分野の情報が多いかも確認できるし、それぞれ確認するときに使う方法が異なるため、メンテナンスの際にはこれがやりやすい。
WEBであれば、URLを踏めば確認でき、リンク切れを起こしていれば、インターネットアーカイブを探す(Wikipediaからのリンクは優先的にアーカイブを取得しているはずである)。
新聞と書籍については、図書館に行って探すことになると思う。
(3) 文章構成
項目の文章構成については、それこそ議論百出であって、定まったものはないが、分野によってはウィキプロジェクト[36]なるものが項目のひな形を定めている場合がある。そういったものがあれば、参考にすればいい。それも別に編集者を拘束するようなものではない。
最低限必要なものは、「定義」と「概要」部分くらいである。これがないものは項目削除の対象になる可能性が高い。
しかし、これだけでは項目の最低ラインを下回ると判断する人がいる可能性がある。なので、いくつかのセクション(節)を設けるのをおすすめする。
文化財であれば、少なくとも「歴史」に類する節は設置できる。内容として考えられるのは、住居であれば「建造物としての歴史」「居住家族の歴史」そして「文化財指定を受ける経緯」は書けるのではないだろうか。
そして、文化財を構成する財産群各個の個別解説、写真を掲載する「文化財」節、「交通アクセス」節は最低限用意できると思われる。
そして、場合によっては、活用のために行っているイベントや店などの情報も新聞出典を中心にして書けることがある。
そして、新聞や雑誌などの逐次刊行物やWEBサイトなどの更新が頻繁になされるメディアで取り上げられるたびに、これらの内容を追記していけばいい。
その更新を担うのは別に誰でもいい。
(4) 移動機能による項目の新規作成
Wikiepdiaの新規項目作成の方法としては、複数の方法があり、どれを採用するかは好みでしかない。
日本語版WikipediaのURLは、「https://ja.wikipedia.org/wiki/」の後に、項目名がくるという規則になっているのを利用して、アドレスバーから作成したい項目の予定地にアクセスし、そこで編集する方法がひとつ。
Wikipediaの内部に用意されている検索窓に作成したい項目名で検索し、「このウィキでページ『○○○』は見つかりませんでした。」という、自動作成される赤リンクからアクセスする方法がひとつ。
また、同じく検索でも、実際にどこかの既設項目の文字列を編集し、先に内部リンクを貼り、その赤リンクからアクセスする方法がひとつ。この方法は、項目が孤立しないというメリットがある。
しかし、今回は利用者ページ内に下書きを既に作成しているので、この方法ではなく、下書きページを移動させるという、あまり一般的ではない方法を利用する。
移動機能は、移動したい項目に表示されている「ツール」メニューにある。
「新しいページ名」にある「利用者」を「(標準)」に変更し、その後ろにある文字列を作成したい項目名に書き換える。移動する理由として、移動による項目作成である旨を記入し、「ページ移動」ボタンを押せば、移動作業(項目の新規作成)は完了する。
3.5 新規作成項目はトップページに必ず掲載させるべきなのか
日本語版Wikipediaには、項目の顕彰方法のひとつとして、新規作成項目のうち、質の良いものを一日数項目ずつ選び、トップページに掲載するというものがある。目的としては項目作成のモチベーション向上をねらっているものだと思うが、逆にモチベーションを損ねる原因としても機能することがある。
ある題材についての項目を新規作成できるチャンスは1回限りなのである。
質の高い項目を作るためには、当然、準備期間と手間が掛かる。しかし、新規項目の作成自体は手間は掛からない。別に一行だけの記述を新規項目として作成すること自体はできるからである。
長い期間を掛けて準備していたものが、横からかっさらわれるときの気分がいいものでないのは容易に想像がつく。実際、そういう行為に遭ったWikipedia編集者がX(Twitter)で暴言を吐きまくっている様子を見たことがあるし、掲示板サイトで数年にわたって特定ユーザーに対する怨嗟を書き続けているのを見たこともある。気の毒ではあると思うが、新規作成の準備をどこで誰がしているかなんてわかりようがない。むしろ、準備していることを公表すれば、横からかっさらわれる危険性が上がるために、誰も公表しない。
こうなると、新規項目作成は地雷原でしかない。
編集イベントでの題材も同様である。編集イベントの際には、「新規項目」の作成を伴わせることが多いように思う。Wikipediaの編集者が皆無の地域では、イベント開催により新規項目が作成されるメリットの方が大きいのかもしれないが、活動中の編集者が多い分野、地域にとっては、むしろそうしたイベントが足かせになる可能性を指摘しておきたい。
特に愛知県内は活動中の編集者が多く、2024年12月だけでも70件以上の新規項目が作成される状況である[37]。
一方、編集イベントは年に1回開催できれば十分といえるほど、準備が大変なものであり、愛知登文会のイベントでも開催回数は多いものの、開催時期が限られており、年間に数件の項目が作成できればいい方であった。そのようなイベントで新規項目作成をしたいと思えば、翌年のイベントを開催するために、1年間その関連領域のすべての題材を塩漬けにしなければならないことも起こりうる。
実際、名古屋市内でウィキペディアタウンをさらに開催したいという声と新規項目作成がしたいという声を聞いたため、新規項目作成の準備を数年間にわたって塩漬けにしたことがある。当時はWikipedia編集イベントの開催が、Wikipedia発展のためになると思っていたのでそうしたのだが、むしろ参加しても継続的に編集活動をしない人たちのために、項目を立てるべき題材を数年にわたって放置するべきなのだろうか。それがWikipediaの発展のためになることなのだろうか。
新規項目作成のハードルさえ超えてしまえば、Wikipedia編集のハードルは実は大幅に下がる。そこに実際の項目があり、どの部分が改善できるのか、どの部分が足りないのかが一目瞭然になるからである。
会議に先立って議案のたたき台を作成しておくのと、何も用意せずに会議の中でまとめるのと、どちらがよりよい成果を生むか、と考えれば、お分かりいただけるのではないだろうか。
また、編集イベントにWikipedia編集に興味のある人を呼ぶこと(参加してもらうこと)に比べれば、Wikipedia内でWikipedia編集に興味のある人を探すことなんて、赤子の手をひねるより簡単である。
特に今回の「ウィキペディア愛知登文会」の場合、最終的な目標は愛知県内の全・国登録有形文化財の項目をコンプリートすることである、とのことだったので、さっさと項目を立ててしまって、Wikipedia内での処理段階に移行してしまった方が得策ではないか、と思った次第である。
愛知登文会は、国登録有形文化財の所有者の会である。新しいものを作るよりも、既にあるものをメンテナンスして次世代に渡す作業の大変さや大事さについては熟知されているのではないだろうか、と考えた。
1年に1回ないし数回、新規項目を作るワークショップを開き続け、数十年かけて全項目を作成する、という大事業の達成感を味わうのもよいだろうが、残念ながら人間の寿命はそれほど長くない。興味やモチベーションの持続力もそれほどは長くない。であるならば、新規作成ワークショップは諦め、1年数回程度、Wikipedia項目のメンテナンスワークショップを開催し続ける方が、よっぽど建設的である。
愛知登文会にはその持久力がある。あってほしい、と思っている。
登録有形文化財は有限であって、その新規項目の作成方法を学んだところで使いどころは少ない。メンテナンス方法は、各所でいつまでも使えるのである。
ただし、今回の懸念材料は、共同作業者[38]がこうした題材について、大量の事前準備を抱えるタイプの人間である可能性が大いにあることであった。
しかし、今回はトップページに掲載するというインパクト(このあたりの話は当論文の筆頭筆者の伊達深雪氏の著書に詳しい)よりも、愛知県内の全国登録有形文化財の項目をコンプリートすることを最優先とすることとした。
愛知登文会では、Wikipedia編集イベントの後の秋に大規模な一般公開イベントを控えており、それらの物件のWikipedia項目がある状態でイベントを迎える方がよいとも考えた。
3.6 マスメディアなのかパーソナルメディアなのか
Wikipediaは従来の書籍型の百科事典とは異なり、紙幅の都合や〆切などといった印刷メディアとしての制約からは解き放たれている。掲載基準を満たしたものであれば、無限に収録されるべきである。
それは、国立国会図書館と一般の図書館の違いに似ていると思う。いつか誰かが必要とするときのために、何のために出版されたのかよくわからない書籍まで全部保管しておく、それが国立国会図書館のひとつの役割であるはずである。
逆に一般の図書館は、受け入れ時に選書し、日々精選を繰り返して、ある程度蔵書を刈り込むことで利用しやすい図書館を作ろうとするし、そうあらねばならない。
筆者がWikipediaで編集する項目は、1日に1人程度がアクセスするか、しないか程度の項目がほとんどである[39]。だったら、それは存在意味がないのだろうか。アクセス向上のための努力をする必要があるのだろうか。
1日1アクセスと言っても、見方を変えれば1ヶ月に30アクセス程度はある。さらに言えば、数千項目を作成したので、全部合算すれば1日に数千アクセスはある [40]。
一撃必殺のマスへのアプローチではなく、地道で泥臭いパーソナルへのアプローチではないか、と思っている。誰にでも便利な情報ではなく、どこかにいるその情報が欲しい人に届ける。
ここでは、実際に「1人」に情報を届けられた例を示したい。
ある人は、半世紀以上前に小学生だった頃に在校していた名前も場所もはっきりわからない小学校のことを知りたくなり、Yahoo!知恵袋に質問した[41]。
すると、1時間もたたずに、ずばりその学校の詳細が貼られ、その人は満足した。
愛知県内の学校については、大学高等学校レベルではなく、小中学校レベルまで完備している。さらに言えば、小中学校の廃校項目についても、一部学校については整備されている。
特にこの学校については、名古屋市内から遠く離れた場所にあった名古屋市立の学校というかなり特殊な学校であって、国立国会図書館から論文のコピーを取り寄せてまで書いた覚えのある思い入れのある項目であった。
それが、誰かの思いをすくい上げる手助けになった。それは、たくさんの人にアプローチすることより、価値があるように思えた。
Yahoo!知恵袋の回答者氏であっても、これがWikipediaにあったから示すことができたわけで、なかったとしたらわざわざ図書館まで出向いてまで答えることはなかったと思う。これがWikipediaに大量の項目を作成しておく意味の一つである。
3.7 おわりに
筆者はWikipediaのオールドファンであって、決してWikipediaの専門家ではないし、プロでもない。プロ野球ファンが野球について詳しく語っているからと言って、それがすなわち専門家の意見とならないのと同じで、本論はプロ野球談義をする居酒屋の酔客の意見と同じであると割り引いて取り扱っていただきたい。
また、学術論文が筆者のキャリアの長さや組織においての肩書きの立派さだけで判断されたり組織の公式見解を示さないのと同様に、Wikipediaに関する論文も適切に扱われるよう強く願いつつ、筆をおきたい。
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[1] 京丹後市(旧6町全域)・宮津市・福知山市(大江町域)・与謝野町(旧加悦町域)
[2] ウィキペディアタウン、マッピングパーティ、地域イベントに出展しての編集相談会などがある。
[3] 『ウィキペディアでまちおこし みんなでつくろう地域の百科事典』伊達深雪著, 紀伊國屋書店, 2023年12月刊行 https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784314012027
[4] Wikipediaのサーバーを管理運用するウィキメディア財団のコンテンツの総称。Wikipediaには2024年12月時点で352の言語版と13の姉妹コンテンツがある。
[5] https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:アカウント作成者
[6] https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:IPブロック適用除外
[7] Wikipedia日本語版「宮崎滔天」の2022年8月20日 (土) 11:19時点の版(修正イベント直前の状態)https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=宮崎滔天&oldid=91065535
[8] カラー日本語版韓国伝統文化事典、国立国語院編、教育出版、2006年、p.90
[9] local knowledge主催、本の場第12回「ウィキペディアタウン」が繋ぐ地域と図書館の可能性 ④実践編~自分の地域でウィキペディアタウンを始めてみよう~https://books.localknowledge.jp/webinar/20220818/ 2022年8月25日
[10] 現在のWikipedia日本語版「宮崎滔天」https://ja.wikipedia.org/wiki/宮崎滔天
[11] https://ja.wikipedia.org/wiki/折毛事件 など
[12] https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:自分自身の記事
[13] https://ja.wikipedia.org/wiki/経ヶ岬灯台
[14] Wikipedia日本語版で内部の査読を経て高い品質の項目であると認定された記事の一つ。2024年12月7日時点でWikipedia日本語版全体で 1,439,476 本の記事があるなかの 2,219 本の記事 (0.15%) が該当する。https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:良質な記事
[16] https://ja.wikipedia.org/wiki/宇川加工所
[17] 宇川加工所公式サイト「うかわの実」https://www.ukawanomi.com/ukawakakosho
[18] 総務省「令和4年度ふるさとづくり大賞 受賞者一覧(敬称略)」 https://www.soumu.go.jp/main_content/000856491.pdf
[19] Wikipediaの姉妹サイトのひとつで、画像や音声、映像などのデータファイルを集積するウェブサイト。https://commons.wikimedia.org/wiki/メインページ
[20] https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:メインページ新着投票所を参照。Wikipediaにおいては、新たに作成された良い項目を顕彰してサイト全体の発展を促すために、利用者間の投票でメインページの一部に掲載する項目を決める制度がある。
[21] https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:スタブを参照。Wikipediaにおいては、主題について十分に説明していない項目を「スタブ」と呼んでいるが、明確なバイト数や文字数による定義は存在しない。
[22] https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:秀逸な記事、https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:良質な記事を参照。利用者間の選考による項目内容評価制度である。選考では「項目に記述されるべきトピックがある程度網羅され、検証可能性が信頼できる情報源によって担保されている」などの目安を満たしているかどうかが判断される。
[23] https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:ウィキプロジェクトを参照。分野ごとに260超のウィキプロジェクトがあるが、既に機能していないプロジェクトの方が多い。Wikipedia黎明期は編集者が少なく、各分野における編集方針もまちまちだったため、同好の士を集めて分野の大まかな方向性を定めるために作られたまとまりである。
[24] https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=北区_(名古屋市)&oldid=131268
[25] https://ja.wikipedia.org/wiki/特別:投稿記録/円周率3パーセント
[26]たとえば、愛知県であればhttps://ja.wikipedia.org/wiki/Portal:日本の都道府県/愛知県/執筆依頼というページがある。
[27] https://ja.wikipedia.org/wiki/削除依頼/赤リンクのみの曖昧さ回避20130821
[28] 日本語版Wikipediaには海外の鉄道を含め、ほとんどの駅の項目が存在しているのはそれなりに知られた事実と思う。
[29] https://ja.wikipedia.org/wiki/愛知県の登録有形文化財一覧
[30] https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=利用者:円周率3パーセント/愛知県の登録有形文化財&oldid=101814552
[31] 「ローカル・アップロード」と称し、Wikipedia日本語版の項目に必ず使用することを条件に、1項目あたり3枚まで、低画質におさえた画像に限りアップロードすることができる。
[32] https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=利用者:円周率3パーセント/愛知県の登録有形文化財&direction=next&oldid=101881975
[33] あくまで慣例であって、機能としても、またクリエイティブ・コモンズ・ライセンスとしても、他人による編集や複製を止める手段はない。
[34] https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:独立記事作成の目安
[35] https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:出典を明記する(2025年1月9日閲覧)
[36] 詳しくは澤田氏が本稿2.4にて述べている。
[37] https://ja.wikipedia.org/wiki/Portal:日本の都道府県/愛知県/新着項目(2025年1月10日閲覧)。ただし、このページは手動更新のため、見落としがある可能性がある。
また、伊達深雪氏が活躍する京都府は同じ月に1件(https://ja.wikipedia.org/wiki/Portal:日本の都道府県/京都府/新着項目、2025年1月31日閲覧)、愛知県の隣接県である三重県は7件https://ja.wikipedia.org/wiki/Portal:日本の都道府県/三重県/新着項目、2025年1月31日閲覧)、静岡県は64件https://ja.wikipedia.org/wiki/Portal:日本の都道府県/静岡県/新着項目、2025年1月31日閲覧)となっている。ただし、これもこのページを更新するユーザーがいるかどうかの問題もあり、正確に比較することはできない。
[38]「共同作業者」という言葉が適切かどうかわからない。Wikipediaでは非公開の場所(Wikipediaのノートページ以外の場など「検証不可能な場所」。Zoomなどのオンラインミーティングや電話、メール、公開されていない書簡やどこかの会議室など。ウィキペディアタウンもこれに含まれる可能性がある。)で打ち合わせを行って共同編集する行為を嫌がる傾向にあるので、今回も一切打ち合わせをしなかったためである。愛知登文会側にも一切の事前告知もしくは許可取りをしなかった。それは、Wikipediaの項目の「新規作成権」(という言葉はないが)が誰のものであってはならない、それについての権限が項目対象にあると思われてはいけないと思ったからである。共同編集行為における事前共謀については、「ミートパペット」(https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:多重アカウント)を参照されたい。
[39] Wikipediaの項目のアクセス数を知る方法は、「ツール」→「ページ情報」→「閲覧回数」→「ページビュー分析」。ユーザーごとのアクセス数を知るには、同じく「ユーザービュー分析」にアクセスする。
[40] 正確なことを言えば、1日1アクセスすらない項目が大半であるので、実際にはもっと数字は少ない。
[41] https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12169016252?__ysp=5qiq6aCI6LOA6YOK5aSW5a2m5ZyS (2025年1月10日閲覧)
