デジタル技術による文化財情報の記録と利活用 > XR・LiDAR・3D・デジタルアーカイブ・知的財産権 7 号 > 「遺跡deウィキペディア」 ―地域で進める埋蔵文化財の理解と活用―

「遺跡deウィキペディア」 ―地域で進める埋蔵文化財の理解と活用―

中川 佳三 ( 福井県教育庁埋蔵文化財調査センター ) 青木 和人 ( 福井県立大学 地域経済研究所/Code for 山城 ) 魚津 知克 ( 福井県教育庁埋蔵文化財調査センター )

《Iseki de Wikipedia》: Editing by Dialogues and Sharing Knowledge on Archaeological Sites, Fukui, Japan

Nakagawa Yoshizou ( Fukui Prefectural Center of Archaeology ) Aoki Kazuto ( Research Institute for Regional Economics,Fukui Prefectural University/ Code for Yamashiro ) Uozu Tomokatsu ( Fukui Prefectural Center of Archaeology )
このエントリーをはてなブックマークに追加
データ登録機関 : 奈良文化財研究所 - 奈良県
詳細ページ表示回数 : 209
中川佳三,青木和人,魚津知克 2025 「「遺跡deウィキペディア」 ―地域で進める埋蔵文化財の理解と活用―」 『デジタル技術による文化財情報の記録と利活用』 XR・LiDAR・3D・デジタルアーカイブ・知的財産権 https://sitereports.nabunken.go.jp/online-library/report/63
 福井県教育庁埋蔵文化財調査センターでは、普及グループにて発掘調査等で得られた情報等を計画的・効率的に発信できる体制を整えた。具体的な普及活動の1つとして、過去に発掘調査をおこなった遺跡の現地から、地元住民や関心をもつ一般の非専門家が主体的に情報を発信していく「遺跡deウィキペディア」を、県立図書館と連携しつつ本年度に開始した。
 「遺跡deウィキペディア」はこれまで2回開催し、記事を考古学の非専門家が中心となって当日中に公開している。福井県さらには日本の遺跡関連のオープンデータやデジタルアーカイブの充実につながり、「全国遺跡報告総覧」とも関連させながら文化財資料へのアクセスの拡大が期待される。
目次

はじめに

  本稿の目的は、福井県教育庁埋蔵文化財調査センター(以下、埋文センター)が福井県立図書館と連携して2024(令和6)年度に開催した「遺跡deウィキペディア」の概要を示すとともに、今後のさらなる活動の拡大にむけて課題等を明確化することである。

 本稿の構成としては、まず、開催に至る経緯を示し、つづいて、当日の進行内容と編集記事について記す。そして、参加者からの視点による「遺跡deウィキペディア」の意義と課題を論じる。

 なお、1を中川、3を青木、2・4を魚津が分担して執筆した。


1. 開催に至る経緯

(1) 背景

 埋文センターは、1981(昭和56)年開設当初から記録保存を目的とした発掘調査を優先業務として組織運営されてきた。同時に発掘調査報告会や県内の小中学校などへの埋蔵文化財の出前授業等の教育普及活動についても随時行ってきたが、積極的な情報発信には至っていなかった。近年、新型コロナ感染症予防対策に伴うSNSの活用【注1】が起因となり、福井県の埋蔵文化財の情報を県内外へ一定量提供できる状況になった。奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」への報告書の登録活用もその一例である。

 今年度(2024(令和6)年度)から埋文センターでは教育普及活動を組織業務の一環として位置付けるため、これまでの発掘調査、遺物整理、調整業務に加えて普及活動を独立したグループとして立ち上げ、発掘調査等で得られた情報等を計画的・効率的に発信できる体制を整えた。

(2)経緯

 普及活動を進めていくにあたり、埋文センターでは埋蔵文化財の「活用を通じて社会に向けて文化財の価値を発信し、文化財保護意識の醸成に努めていくことで、次世代に確実に継承される基盤が整え」(『福井県文化財保存活用大綱』2020)ることを目的に、地元住民や県民の皆様と一緒に郷土の歴史をたどりながら郷土の誇りと愛着を感じてもらえる事業の取り組みを目指した。その一環として、今年度から福井県立図書館の司書が中心となって県内の地域情報の発信と合わせて図書館の資料の活用を行う「チーム福井ウィキペディアタウン」と連携して、「遺跡deウィキペディア」を企画した。事業を行うにあたり、地元住民や一般の方が主体となって県内の遺跡の情報発信を行うことを目的とし、対象となる遺跡の近隣に所在する公民館や市町博物館などと連携する形をとることも重要な要件とした。なお、全国各地で開催されている遺跡を対象としたウィキペディアタウンでは、構造物として遺存している古墳や城跡であることが多く、本事業のように記録保存目的の発掘調査で破壊された遺跡で、しかも現状では遺構の形状が見られない遺跡を主な対象とすることは、参加する一般の方にとって遺跡の内容を理解しがたいことは想像に難くなかった。そのため、本事業の参加者が実際に発掘調査で出土した遺物を実見し、文化財調査員による調査内容の講義を受けたうえで、少しでも遺跡の様相をイメージ化してもらうことに注力した。

2.当日プログラムと各回開催状況

(1) 当日プログラム

 当日は、埋文センターから5名程度、県立図書館からも3~4名が共同して運営を担当した。当日のプログラムは、以下のとおりである。

① 発掘時に現場で撮影した写真などを用いつつ、発掘の成果および遺跡の考古学的意義について、埋文センター調査員が解説する。

② 会場に設けた出土資料の展示コーナーで、埋文センター調査員が簡単な展示解説をおこなう。参加者は資料を随時撮影し、⑤で作成する記事の画像として利用する。

③ 現地のフィールドワークとして、遺跡の立地環境や発掘調査の状況についての調査員による説明を受けながら、遺跡周辺を歩く。終了後は、昼食休憩とする。

④ ウィキペディアの意義や記事を編集していく上での注意点等について、多数のウィキペディア編集・管理経験を有するウィキペディアンによる講義をおこなう。

⑤ 3~4人程度のグループに分かれ、対象遺跡の項目ごとにウィキペディア記事を編集する。適宜、県立図書館司書による関連図書の提示や、埋文センター調査員等による発掘調査報告書の解説、さらにウィキペディアンによる編集助言がおこなわれる。

 全体の構成としては、近年各地で活発に開催されている「ウィキペディアタウン(エディタソン)」(伊達2023・青木2024)の取り組みと、かなり類似する。県立図書館においても、2018年以来、「ウィキペディアタウン」を開催してきた実績があった【注2】。「遺跡deウィキペディア」は、「ウィキペディアタウン」をベースにしつつも、遺跡の発掘調査を実際に担当した機関が催しを設定し、発掘調査報告書として刊行した成果を一つの定点としているという特色がある。

(2) 第1回:福井市糞置遺跡 (https://w.wiki/AU5o

 第1回の「遺跡deウィキペディア」は、福井市の南側に位置する糞置遺跡を対象とし、2024年6月22日午前9時30分から午後4時まで開催した。参加者は18名であった。糞置遺跡は、縄文時代から古代にかけての複合遺跡であり、なかでも奈良時代にこの地に設けられた東大寺領糞置荘【注3】の実態を示す遺跡として、学史上著名である。

 午前の上記①~③のプログラムの会場は、遺跡近くの文殊公民館で実施した。①では各時代について埋文センター職員3名が説明し、②の展示コーナーでは縄文時代から古代にかけての出土品を展示・解説した。その後③のフィールドワークに移り、好天にも恵まれて、福井平野一円のランドマークである文殊山の北麓に広がる糞置遺跡の立地環境を実感していただけた。

 午後は県立図書館に移動し、④~⑤のプログラムをおこなった。昼食をはさんだ移動では、公共交通機関利用の場合、ダイヤの都合で午後は少し遅れて参加となる。そのため、事前にアンケートを取ったものの、実際には各自車で10分あまりの移動となった。④では2名のウィキペディアン(伊達深雪氏・かんた氏)による講義があった。その後、⑤の記事作成・編集に1時間30分程度取り組んだ。調査時の検出遺構や出土遺物等の写真画像は、事前にウィキメディア・コモンズにアップロードしていた。講師の的確な助言指導もあり、図書館資料を活用しつつ、時間内に大枠を完成することができた。

図1 糞置遺跡の概要説明


図2 糞置遺跡現地フィールドワーク


(3) 第2回:三方上中郡若狭町ユリ遺跡 (https://w.wiki/CRoY

 第2回の「遺跡deウィキペディア」は、県土全域にわたる県民参加を意識し、福井県南部(嶺南地域)で開催した。今回の対象遺跡は、三方五湖の南畔の若狭を代表する縄文遺跡である鳥浜貝塚に近接するユリ遺跡で、2024年12月22日午前10時から午後4時まで開催した。参加者は10名であった。ユリ遺跡の時期は、縄文時代から古墳時代と長いものの、縄文時代が中心である。埋文センター及び若狭町(旧三方町)の発掘調査により、縄文後期から晩期のものと考えられる合計9艘もの丸木舟が出土したことが特筆される。

 今回は、午前・午後とも、若狭町の若狭三方縄文博物館が会場となった。①では発掘調査を担当した埋文センター職員が、遺跡の概要や丸木舟の出土状況を中心に説明した。②の展示コーナーでは、博物館という会場の利点を生かし、9艘が一堂に会する(埋文センター調査分は長期貸出中)常設展を中心に解説し、きわめて好評であった。当日朝は雪まじりの天気であったが、③のフィールドワーク中は今回も好天にも恵まれ、鳥浜貝塚からユリ遺跡にかけての立地環境を要所で実地に解説し、参加者は歩いて確かめることができた。荒天時に③に代わる見学予定であった福井県年縞博物館には、全員では訪れられなかったものの、昼休み時間帯に観覧した参加者も多かった。

 引き続き、午後に同じ会場で④~⑤のプログラムをおこなった。④では今回も2名のウィキペディアン(伊達深雪氏・かんた氏)による講義があり、「限られた時間で記事の大枠を固めるため、第1回糞置遺跡の記事をベースとして生成AIによる項目のたたき台を作成した」との説明が印象的であった。その後、⑤の記事作成・編集に1時間30分程度取り組んだ。今回も講師が的確に助言指導したことに加え、参加者の多くが教育職で第1回経験者も複数名存在しており、作業は順調に進んだ。若狭町や埋文センターが刊行した各次の発掘調査報告書、県立図書館から搬送した図書資料を活用しつつ、時間内に大枠を完成することができた。

図3 ユリ遺跡の概要説明


図4 完成した「ユリ遺跡」ウィキペディア記事

 

3. 参加者から見た「遺跡deウィキペディア」

 本章を担当する青木は、これまで日本の黎明期からウィキペディアタウン活動を行ってきた(青木2024)。ウィキペディアタウンでは、地域住民が公共図書館の地域資料にて地域のことを調べて、引用文献に基づく記述にて、まちの情報発信を行ってきた。そして、ウィキペディアタウンの枠組みを、そのまま文化財資料に読み替えたウィキペディア文化財の取り組みを提案し、今後の開催に期待した(青木2022)。

 コロナ禍の当時から3年を経て、ウィキペディア文化財を実現する「遺跡deウィキペディア」が2024年に福井県にて2回開催された。本イベントは、福井県立図書館・県教育庁埋蔵文化財調査センターの主催にて、2024年6月22日「遺跡deウィキペディア in 糞置遺跡」、同年12月15日(日)「遺跡deウィキペディア in ユリ遺跡」が開催された。その参加記と今後の課題について記したい。

 両開催ともに、ウィキペディアタウンと同じく、休日の全日開催で、午前は遺跡の講義と遺跡所在地周辺のまちあるきを行う。午後はウィキペディアの講義ののち、文献調査・記事執筆を行うという日程であった。両開催ともに、ウィキペディア講師は、京都府丹後地域でウィキペディアタウン活動を活発に開催しているウィキペディア日本語編集者を務める2名であった。また、参加者は文化財専門家ではない約15名程度であった。特にウィキペディアタウンが図書館関係者に注目されていることから、図書館関係者や教育関係者が多い構成であった。

 午前の遺跡の講義では遺跡の専門家から、時間を取って、しっかり説明があることはとても望ましいと感じられた。また、両開催ともに、発掘調査が終了しているため、遺跡自体は直接、見学できないが、出土遺物が会場にて見学できること、ユリ遺跡の場合は、若狭三方縄文博物館が会場であったため、遺跡を再現した展示の見学もできた。その後、遺跡所在地周辺のまちあるきを行うことで、遺跡のある場所の雰囲気を直接、感じることができるのも、午後からの執筆意欲を高めるために効果的であると感じられた。

 午後からのウィキペディア執筆作業では、講師が事前に、遺跡に関する良質と思われるウィキペディア記事を参考にして、記事の基本骨格となる概要、地理的・歴史的環境、発掘調査、遺跡の概要、出土品などの各項目を事前にウィキペディア上に作成したうえで、執筆作業が進められた。そして、参加者はグループごとに各項目を分担して執筆を行った。これにより、1記事への項目ごとの同時執筆を可能にしていた。また、「遺跡deウィキペディア in ユリ遺跡」の際は、生成AIであるChatGPTを活用し、執筆するという新たな方法が試みられた(Miyuki Date2024)。具体的には、講師が事前にChatGPTに作成させた各項目の文章についての出典を参加者が確認し、確かな文章には全国遺跡報告総覧の出典情報を参加者が追加して、ウィキペディア文章を作成した。この手法は生成AIが作成した、すなわち機械が作成する著作権のない文章を、検証可能性のある文章に、人間たる参加者が修正するという手法である。人間の目が入ることで、仮に機械が他人の著作性のある文章を学習して生成した場合、それをチェックするという事も可能にするであろう。ウィキペディア執筆のこれからの可能性を示唆する新たな試みであった。

 また、ウィキペディア記事に遺跡や遺物の写真を挿入するために、事前に埋蔵文化財調査センター側で、写真がウィキメディア・コモンズにアップロードされていたため、スムーズな写真挿入が行えた。この取り組みは、ウィキペディア遺跡イベント当日の記事作成を助けるという意義だけでなく、ウィキメディア・コモンズ上に、日本の遺跡関連のオープンデータ・デジタルアーカイブを充実させることにもつながっている。これら主催者側の配慮もあり、両イベントともに1日の開催、しかも、ウィキペディア執筆は約2時間程度であるにもかかわらず、充実した遺跡のウィキペディア記事が作成された(ウィキメディア財団2024a, ウィキメディア財団2024b)。

 この結果、両遺跡のウィキペディア記事の出典情報記述から、多くの人が利用するウィキペディアを入り口とした全国遺跡報告総覧の文化財資料へのアクセスの入り口が作られた。この結果、専門的な文化財資料アクセスへの一般人の門戸が開かれるであろう。

 さらに、今回のウィキペディア遺跡への参加者は、文化財専門家でなく一般人であった。一般人が、多くの人が利用するウィキペディアの遺跡記事を記述するという文化財情報発信へ市民が参加するウィキペディア文化財実現の意義は高いであろう。

 今後の課題として、これら一般人が記述するウィキペディアの遺跡記事に対して、文化財専門家がどのような評価を下すのか。また、文化財専門家であれば、最低限記述すべき項目や内容などは、どのようなものなのか。本取り組みへの文化財専門家からの評価と意見により、一般人からも専門家からも共に評価されるウィキペディアの遺跡記事内容や執筆方法についての議論が必要であろう。それにより、ウィキペディア遺跡をきっかけとする遺跡関連のウィキペディア記述指導法が確立され、ウィキペディア文化財の取り組みが発展していくことが期待される。

図5 ウィキペディア執筆の様子(第1回)


図6 まちあるきの様子(第2回)


図7 出土遺物の見学(第1回)

 

4.まとめ

 以上、「遺跡deウィキペディア」の開催に至る経緯、構成と各回の開催状況、参加者の視点による意義と課題を記した。

 本稿では、できるだけ客観性や相互性を持たせるため、主催者側からの課題については、詳しくは記していない。実務的な注意点としては、プログラムの一部が屋外のため、荒天時の対策や参加者保険などが必須である。加えて、発掘調査報告書関連画像データをウィキメディア・コモンズにアップロードすると二次利用も可能となる点や、また「自著作物の持ち込み」に多くの制約がかかる【注4】ウィキペディアの方針との整合性については、厳密なすり合わせは必ずしも容易ではない。さらには、公的機関がどこまで記事の作成・編集段階で組織的に関与するのが望ましいかという点についても、広く議論する余地があろう。

 このような課題が存在するものの、「遺跡deウィキペディア」では、埋蔵文化財の理解と活用について、地域住民等の非専門家が主体的に進めることができるという、大きな利点がある。そこでは、発掘調査報告書はゴールではなくスタートであり、遺跡現地のフィールドワークは地域住民と専門職が一体となった時空間共有の場となる。課題も引き続き認識しつつ、今後も図書館・公民館等と広く連携した形で、県内での取り組みを続けていきたい。

謝辞

 第1回においては中村 准(福井市文殊公民館館長)、第2回においては永江寿夫(若狭三方縄文博物館長)、小島秀彰(若狭町歴史文化課課長補佐)、鷲田 剛(福井県年縞博物館)の諸氏から事前準備や当日運営に多大なご協力をいただいた。また、2回にわたり伊達深雪氏・かんた氏にはウィキペディアンとして基礎から実践まで懇切丁寧な解説及び指導を賜った。末筆ながら、心より御礼申し上げます。

1 発掘調査現地説明会等の動画配信については公式Youtubeチャンネル(福井県教育庁チャンネル )、各種行事等の周知については公式Instagramを用いている。

https://www.youtube.com/channel/UC_ZMXFvvu-YWEbk0wK79jhw

https://www.instagram.com/fukuiprefmaibun/  (2025年1月28日閲覧)

2「福井ウィキペディアタウン in足羽山」

https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/tosyo/category/past-event2018/10275.html (2025年1月16日閲覧)

3 東大寺開田地図 越前国足羽郡糞置村田図(766年(天平神護二))・東大寺開田地図 越前国足羽郡糞置村地図(789年(天平宝字三))の二幅、いずれも正倉院宝物として著名である。なお、二幅それぞれの名称は、宮内庁正倉院事務所「正倉院宝物検索」のものを用いた。( https://shosoin.kunaicho.go.jp/search  2025年1月17日閲覧)

4 「Wikipedia: 自著作物の持ち込み」 https://w.wiki/Cn3P (2025年1月20日閲覧)「著作権を侵害していないことの証明方法」「引用に関して」の項及び「執筆者名(ハンドル)について」の節について、特に注意が必要である。

引用文献

青木 和人(2022)「文化財×Wikipedia [8] ウィキペディアタウンからウィキペディア文化財へ」『奈良文化財研究所研究報告 : デジタル技術による文化財情報の記録と利活用』,4 (33),51-56.

青木 和人(2024)『ウィキペディアタウン・ハンドブック』,文学通信

ウィキメディア財団(2024a)「Wikipedia 糞置遺跡」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%9E%E7%BD%AE%E9%81%BA%E8%B7%A1(2025年1月17日閲覧)

ウィキメディア財団(2024b)「Wikipedia ユリ遺跡」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%AA%E9%81%BA%E8%B7%A1(2025年1月17日閲覧)

伊達 深雪(2023)『ウィキペディアでまちおこし』,紀伊国屋書店

Miyuki Date (2024)「遺跡deウィキペディア in ユリ遺跡」参加レポート まとめ|漱石の猫 or Miyuki Date@ウィキペディア展覧会」

https://note.com/wikipediaten/n/n7067bd766b17(2025年1月17日閲覧)

福井県教育委員会(2020)『福井県文化財保存活用大綱』,30

https://www.pref.fukui.lg.jp/doc/syoubun/bunkazaitaikou/fukui_bunkazai_taikou_2020_d/fil/bunnkazaitaikou.pdf(2025年3月4日閲覧)

引用-システム内 :
引用-システム外 :
Cultural data online report map :
中川佳三・青木和人・魚津知克「遺跡deウィキペディア」―地域で進める埋蔵文化財の理解と活用―『デジタル技術による文化財情報の記録と利活用7』 - 図1 糞置遺跡の概要説明
中川佳三・青木和人・魚津知克「遺跡deウィキペディア」―地域で進める埋蔵文化財の理解と活用―『デジタル技術による文化財情報の記録と利活用7』 - 図2 糞置遺跡現地フィールドワーク
中川佳三・青木和人・魚津知克「遺跡deウィキペディア」―地域で進める埋蔵文化財の理解と活用―『デジタル技術による文化財情報の記録と利活用7』 - 図3 ユリ遺跡の概要説明
中川佳三・青木和人・魚津知克「遺跡deウィキペディア」―地域で進める埋蔵文化財の理解と活用―『デジタル技術による文化財情報の記録と利活用7』 - 図4 完成した「ユリ遺跡」ウィキペディア記事
中川佳三・青木和人・魚津知克「遺跡deウィキペディア」―地域で進める埋蔵文化財の理解と活用―『デジタル技術による文化財情報の記録と利活用7』 - 図5 ウィキペディア執筆の様子(第1回)
中川佳三・青木和人・魚津知克「遺跡deウィキペディア」―地域で進める埋蔵文化財の理解と活用―『デジタル技術による文化財情報の記録と利活用7』 - 図6 まちあるきの様子(第2回)
中川佳三・青木和人・魚津知克「遺跡deウィキペディア」―地域で進める埋蔵文化財の理解と活用―『デジタル技術による文化財情報の記録と利活用7』 - 図7 出土遺物の見学(第1回)
NAID :
都道府県 : 福井県
時代 :
文化財種別 :
史跡・遺跡種別 :
遺物(材質分類) :
学問種別 : 考古学
テーマ : 活用手法
キーワード日 : オープンデータ ウィキペディア デジタルアーカイブ 市民参加 地域情報 埋蔵文化財 GLAM連携
キーワード英 : Open data Wikipedia Digital archive Citizen participation Local information Burial cultural properties GLAM collaboration
データ権利者 : 中川佳三・青木和人・魚津知克
データ権利区分 : クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
この 作品 は クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。
総覧登録日 : 2025-02-07
wikipedia 出典テンプレート : {{Citation ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Citation|first=佳三|last=中川|first2=和人|last2=青木|first3=知克|last3=魚津|contribution=「遺跡deウィキペディア」 ―地域で進める埋蔵文化財の理解と活用―|title=デジタル技術による文化財情報の記録と利活用|date=20250331|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/online-library/report/63|publisher=独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所|series=デジタル技術による文化財情報の記録と利活用|issue=7}} 閉じる