記録・保存・修復と利活用をワンストップでつなぐ文化財XR
Heritage XR as a One-Stop Solution for Documentation, Preservation, Restoration, Reconstruction and Utilization
奈良文化財研究所
- 奈良県
1.XRとは何だろうか?
XRはExtended RealityまたはCross Realityの略語とされる。またXを特定の単語と対応させず多様な要素を代入可能な変数と見做すことで、AR(Augmented Reality:拡張現実)、VR(Virtual Reality:仮想現実)、MR(Mixed Reality:複合現実)など既に実装されている複数の技術を総合する枠組みとする考え方もある。
XR概念の理論的な基点は、Milgram & Kishino(1994)である。コンピューター技術の発展とともに実現性が議論されるようになった仮想環境(Virtual Environment)が現実環境(Real Environment)と断絶ないし対立する概念ではなく、その中間には拡張現実(Augmented Reality)から拡張仮想(Augmented Virtuality)を含む連続的な様相があることを指摘した(図1)。

図1.Milgram & Kishinoによる現実-仮想連続体(邦訳筆者)
Skarbez et al. (2021)は、提唱から27年を経たMilgram & Kishinoの理論を、その間の技術発展と社会実装を踏まえて再検討し、現実と仮想を結ぶ単線的な連続体ではなく、現実世界のモデル化による世界知識の拡張(EWK: Extent of World Knowledge)、表示技術・手段の発展による再現性の品質(RF: Reproduction Fidelity)の向上、ユーザーの体験や相互作用(interaction)の変化による現実空間と仮想空間の視認(認識)の事実上の同一化を意味するメタファー(代替)表現の拡張(EPM: Extent of Presence Metaphor)の3つの軸における連続体を再定義した(図2)。その上で、MR(Mixed Reality)を多様な技術要素を包摂する「大きなテント」と定義した。本稿でいうXRは、Skarbez et al.によるMRとほぼ同義であると位置づけ、現実世界の中での仮想的な体験と情報利用を通じて、世界を拡張するより広い知識や経験を提供する技術とシステムとしておく。

2. XR技術の重要なリソースとしての3Dデータ
XR技術の実装にあたって重要になるのが3Dデータである。情報量・密度、視覚を中心とする身体感覚の再現性に置いて従来の計測記録手法より優れる3D計測データ、それもとづき現実世界のデジタル複製たる「デジタルツイン」を可能にする3Dモデルの実用化、高度化が、先に見たSkarbez et al.によるMR、すなわち本稿におけるXRを実現し向上させるために必須となる。
文化財分野では、遺跡・遺構、遺物など考古資料、民具等のその他有形文化財、建造物や記念物にとどまらず、庭園や景観そのもののデジタル化とアーカイブズが可能になっている。地球上における空間座標として位置情報が与えられると、それは全球規模のデジタルツインの構成要素にもなる1)。現在、先行的に取り組まれている都市のデジタルツイン2)が「現在」を主対象としていると見る時、文化財3Dデータはそれを「過去」に拡張するものとなり得る(野口2023)。世界中のあらゆるものを記録し、それをより高精細に、またはより「現実的」に再現することでSkarbez et al.の3要素を実現するものとなる。
また日本では2023年に施行された改正博物館法において、博物館の役割として「博物館資料に係る電磁的記録の作成と公開」、すなわちデジタルアーカイブの整備と運用が明記された。ここには当然、デジタルリソースとしての3Dデータも含まれる。これにより、政策的精度的にも文化財XRの展開が規定されたと言える。
3. モノ資料またはリアルと仮想情報またはバーチャルの悩ましい関係
しかしながら、博物館や、有形の物質資料を扱う人文科学分野においては、現実空間に実体を有するモノ資料=リアルの優越性がしばしば主張され、仮想情報を副次的なものと位置付けようとする傾向が甚だしい。
しかしながら、モノ資料そのものは単一存在で時間・空間的に一点に拘束され、検索性やアクセス性に劣る。モノ資料から切り離し可能なメタデータの整備、すなわちデータベース化、検索・閲覧プラットフォームの整備によりそれを克服する取り組みも進むが、依然としてモノ資料そのものにアクセスしないと得られないデータ・情報が多数ある。
そうした制約条件を軽減・解消する手立てとして、仮想情報のデジタルアーカイブが重要になる。要約的なメタデータよりも、情報量と再現性や視認性の点でより優れた仮想情報、そのための手段としての3Dの利用可能性が整備されることで、モノ資料が持つポテンシャルを有効化できることが重要である。
例えば博物館においては、大多数の収蔵資料は展示公開されず、収蔵庫内に収められている。専門家以外はアクセスが困難であり、その根本には、どこに何があるのかを知ることができない問題がある。仮に台帳やデータベースが公開されていても、専門家以外の利用者が資料番号や分類体型に基づいて検索し閲覧利用を請求することは限りなく不可能に近い。この点、路上博物館の森健人が繰り返し指摘する通り、図書館におけるリアルな図書の検索・利用可能性に対して博物館は著しく劣後している。
これでは、モノ資料の優位性を唱えても、現実的な利用における不利な点が際立ってしまうだろう。
そこで、モノ資料またはリアルと仮想情報またはバーチャルの二項対立的な位置付けから離れ、Milgram&Kishinoの定義した「連続体」、それを拡張したSkarbez et al.のフレームに即して、リアルとバーチャルの間を適切に論じる必要がある。
4. リアルとバーチャル、そして真正性と代替性
リアルな文化財は、それ自身の物質性(entity)と位置・所在(location)からなると考える。その上で、それらの現実性(reality)と仮想性(virtuality)をマトリクスとして表示する(図3)。

図3.資料と空間のリアルとバーチャル
これまでは物質性と位置・所在を組み合わせた「リアル」「バーチャル」で考えられることが多かったが、XR技術の実装により様相は複雑化している。例えばARは、現実空間に仮想情報の投影を可能にしたし、MR(狭義)はリアルなモノ資料を仮想空間で扱うことを可能にする。もちろんVRはモノ、空間ともに仮想という組み合わせを扱う。
このように拡張的にリアルとバーチャルの関係を整理したところで、Skarbez et al. の議論を参照すると、これまで見落とされていた課題が浮上する。現実空間に物質性を保持している、すなわち「リアル」と認識されているものの中にも、実は仮想性を帯びているものがある。博物館展示等で多用される複製(レプリカ)や模型は、真正性(Authenticity)という視点からは「リアル」ではないが、しかしデジタルデータではない。いわば「リアルツイン」とでも言うべきものである。博物館資料や文化財において重視される真正性の観点からは代替的(alternative)ということになるが、これまではなんとなく「リアル」の延長上で扱われていたのではないだろうか?
また位置・所在についても同じことが言える(図4)。例えば遺跡で検出された遺構、出土した遺物にとって、真正な所在地は検出された、または出土したその場所(=遺跡)となる。それらが博物館展示に供される時、その所在は「代替位置」となるだろう。さらにレプリカや模型が代替位置に置かれる場合もある。このように、真正性と代替性という軸を設定することで、リアルとバーチャルの差異はさらに交錯的になる(野口2024)。

図4.資料と空間の真正性と代替性
5. XR技術がひらく文化財利活用の未来
前項では物質性と所在・位置における真正/代替の軸を検討した。文化財に関しては、他にも状態の多様性に対して、リアルで真正なモノではひとつの様相・様態しか示すことができないという課題がある。
例えば、割れてしまった欠片の状態で出土した土器の、考古資料としての真正な状態は土器片である。一方で、それらが接合され修復(復元)される時、その全体は集合的に過去の使用時における真正な状態となる(または近似する)。
例えば、複数回の建て替え・建て直しが行われた建物遺構について、ある時期の状態を修復(復元)することは、一つの過去における真正な状態を再現したことになるが、同時に、他にもあり得る過去の真正な状態の再現は放棄することでもある。
これらを克服するための代替手段として、これまでは複製や模型を作成することにより異なる様相・様態の表示・表現が並立されてきた。XR技術は、それをさらに拡張展開するものと位置付けられる。文化財の状態・様相の保存と再現において生じる対立を解消することで、より多様な表示・表現が同時並行的に可能になる。これは利用者の体験とそこから得られる知識を拡大することに他ならない。つまりリアルなモノ資料の利活用に対して、XRは対立概念ではなく拡張概念と定義できる(図5)。

図5.資料と空間のリアルとバーチャル:XR技術の導入による拡張
なお、3DやXRの導入により、リアルが「代替」されることから、モノ資料の保存が不要になるという指摘、そのような論理で保存が否定されるから3DやXRの導入には慎重であるべきという主張が一部で見られる。しかしここまで見てきた通り、両者は対立概念ではない。リアルなモノ資料だけでは3DやXRが達成できる知識や体験の拡張が不可能であるが、一方でそれらはどれだけ現実感(リアリティ)が向上されたとしてもリアルなモノ資料そのものにはなり得ない。したがって3DやXRを導入するからリアルなモノ資料が不要になるという論理は成立しない。
資料保存に関する議論は、文化財マネジメントの課題である。利活用に関する技術的な拡張と切り離して議論すべきであることを、文化財に関わる専門家が明瞭に理解する必要がある。
6. XR技術がひらく文化財利活用の未来
ここまで、Milgram&Kishidaを出発点とするSkarbez et al.の議論を足がかりとして、主として表示(可視化)と利用体験(相互作用性)を中心とした利活用について述べてきた。しかしながら、文化財XRの可能性はそこにとどまらない。
一例として、行為者・行為主体(Agent)からみたリアルとバーチャルを考えてみる。前項までは、モノ資料とその所在・空間的位置を基準とする、つまり対象(Object)を基点としてリアルとバーチャルを議論したが、そこにおける行為主体は基本的に利用体験者であり、固定的な視点であった。しかし、文化財の利活用においては、利用・体験者だけでなく、提供者、運営者も存在する。後者について、対象におけるリアルとバーチャルの区分を「現地(onsite)」と「遠隔(remote)」に当てはめて考えると4つの象限が成立する(図6右)。

図6.対象(Object)と行為者(Agent)からみたリアルとバーチャル
このうち第4象限(図右下)は「メタバース」に相当する。第2象限(図右上)はコロナ禍の時期に試行された動画配信等による情報提供が相当すると言えるだろう。XR技術はこれらの取り組みを支え、または拡張するものとなる。さらに第3象限についてもすでに岐阜県飛騨市飛騨みやがわ考古民俗館で試行されている「無人開館」3)をベースに、現地にいる利用者に遠隔から運営者がさまざまな情報や体験を提供するといった展開を想定することができる。もちろんそこでもXR技術が極めて有効である。
そして行為者・行為主体を基準とした視点もまた、リアルとバーチャルの2項だけで整理されるものではない。XR技術と、その他の技術要素との連携、複合により、多様な中間的様相があり得る。
一例として、筆者が山梨県南アルプス市と共同で取り組んでいる博物館展示と関連資料、情報、および遺跡(史跡)現地を結ぶ「バーチャルミュージアム」4)を挙げる。ここでは現実空間では距離を持つ博物館と遺跡が仮想空間内で連続しているだけでなく、利用者は携帯端末を利用することで、博物館内で遺跡へ、または遺跡で博物館へアクセスすることが可能になっている。もちろん、それ以外の遠隔からのアクセスも可能である。運営者の関与は、現時点では予め設定された固定的な情報の提供にとどまるが、相互作用性を向上させることができれば、図5の最下段または最右列について様々な実装を可能にするだろう。
おわりに
本稿は、2024年6月21日に奈良文化財研究所で開催されたXRミートアップ奈良5)、2024年11月24日に東京文化財研究所で開催されたXRミートアップ東京6)での講演内容をベースに、2023年11月18日に帝京大学文化財研究所で開催された日本ICOMOS-EP委員会によるオーセンティシティに関する連続研究会記録集第4回「デジタル時代における文化遺産のオーセンティシティ」での講演内容7)を一部加味して再構成したものである。各イベントの企画、開催の過程でご協力いただき、また議論をいただいた皆様に謝意を表する。
また山梨県南アルプス市における取り組み事例は、同市教育委員会・ふるさと文化伝承館の全面的な協力・協働によるものである。
本稿は、日本学術振興会科学研究費基盤研究(B)24K00142「考古学ビッグデータの統合と3D-GISによる古代寺院立地・造営・景観論」( 研究代表者: 野口 淳)の成果を含む。
注
1) 実装例として、奈良文化財研究所・産業技術総合研究所による全国文化財情報デジタルツインプラットフォーム:3DDB Viewer https://sitereports.nabunken.go.jp/3ddb
2) 日本国内での取り組みとして、国土交通省PLATEAU(https://www.mlit.go.jp/plateau/)、東京都デジタルツイン実現プロジェクト(https://info.tokyo-digitaltwin.metro.tokyo.lg.jp/)など。
3) 飛騨市「飛騨みやがわ考古民俗館を試験的に一部を無人営業」https://www.city.hida.gifu.jp/site/koho/2023-11-20-2.html
4) 南アルプス市「【「文化財Mなび」HP内に『バーチャルミュージアム』公開!】」https://www.city.minami-alps.yamanashi.jp/docs/17070.html
5) 「XRとの出会いは文化財に何をもたらすか」 https://researchmap.jp/anoguchi/presentations/46924778
6) 「文化財・博物館資料のリアル ってなんだろう?」 https://researchmap.jp/anoguchi/presentations/48526040
7) 「文化遺産デジタル情報のオーセンティシティ? 議論の足場づくりのために」 https://researchmap.jp/anoguchi/presentations/44066705
引用文献
野口 淳 2023「市民参加による都市と文化財のデジタルアーカイブス」『情報処理』65(1) https://doi.org/10.20729/00231419
野口 淳 2024「文化遺産デジタル情報のオーセンティシティ 議論の足場づくりのために」『オーセンティシティに関する連続研究会記録集第4回 デジタル時代における文化遺産のオーセンティシティ』日本イコモス国内委員会EP(若手専門家)委員会 https://icomosjapan.org/media/%E7%AC%AC4%E5%9B%9E%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A%E8%A8%98%E9%8C%B2.pdf
Milgram, P., and F. Kishino 1994 A Taxonomy of Mixed Reality Visual Displays. IEICE Transactions on Information and Systems, E77-D(12), 1321–1329.
Skarbez, R., M. Smith and M.C. Whitton 2021 Revisiting Milgram and Kishino's Reality-Virtuality Continuum. Frontiers in Virtual Reality, 2: DOI10.3389/frvir.2021.647997
