茨城県
常陸太田市集中曝涼【文化財解説(梵天山古墳)】
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県指定文化財 梵天山古墳群
島町の丘陵一帯に分布する前方後円墳、円墳および台地西南端の崖面に点在する横穴墓群からなりたっている。主墳の梵天山古墳は、全長151mの県内第2位の規模を持つ前方後円墳で、西方を向く前方部は、長さ67m、高さ8m、東側の後円部は直径84m、高さ13mで、後円部が5m高い。古くから久慈川流域を支配した首長の墳墓とされ、時期は、古墳時代前期前半(4世紀前半頃)の築造と推定されており、この時期の前方後円墳としては、東日本最大級の古墳である。当地を支配した支配者層と、前方後円墳を採用して各地に支配を広げるヤマト王権との関係性についても注目される。
周辺には他に13基の古墳が存在し、一部はすでに調査がなされ、直刀等が出土している。台地西南端に存在する島横穴墓群では、戦後の調査で66基確認されていたが、落石や地崩れなどにより、確認できる横穴墓は15基程度である。
島町の丘陵一帯に分布する前方後円墳、円墳および台地西南端の崖面に点在する横穴墓群からなりたっている。主墳の梵天山古墳は、全長151mの県内第2位の規模を持つ前方後円墳で、西方を向く前方部は、長さ67m、高さ8m、東側の後円部は直径84m、高さ13mで、後円部が5m高い。古くから久慈川流域を支配した首長の墳墓とされ、時期は、古墳時代前期前半(4世紀前半頃)の築造と推定されており、この時期の前方後円墳としては、東日本最大級の古墳である。当地を支配した支配者層と、前方後円墳を採用して各地に支配を広げるヤマト王権との関係性についても注目される。
周辺には他に13基の古墳が存在し、一部はすでに調査がなされ、直刀等が出土している。台地西南端に存在する島横穴墓群では、戦後の調査で66基確認されていたが、落石や地崩れなどにより、確認できる横穴墓は15基程度である。