茨城県
常陸太田市集中曝涼【文化財解説(中野冨士山古墳)】
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中野冨士山古墳は、常陸太田市中野町の小独立丘陵頂部(標高49m)の自然地形を巧みに利用し、当時の交通や物流の大動脈である久慈川とその支流からの視線を強く意識して、丘陵頂部の西縁に築造されています。
墳丘規模については、前方部の短小な前方後円墳で、主軸方向は北西~南東です。主体部は不明ですが、墳丘の遺存状況から未盗掘とみられます。測量・清掃時に多量の底部穿孔壺片(壺形埴輪)が採集されており、壺形埴輪の樹立が想定されます。周溝は、後円部の東側を中心に幅約11m、深さ約1mで遺存しますが、後円部の南側および東くびれ部付近では、自然消滅します。したがって前方部先端付近から西側面および後円部南側にかけて周溝は巡らず、地山を削り出すことで墳形を画しています。墳丘中軸線よりも西側は地山を削り出し、東側は周溝状に地山を掘削して墳形を整えたとみられます。
築造時期については、採集遺物も少なく、正確な築造時期を絞り込めませんが、墳丘の規模や立地など他の古墳との共通性や類型から推測すると、古墳時代前期後葉頃とみられます。
墳丘規模については、前方部の短小な前方後円墳で、主軸方向は北西~南東です。主体部は不明ですが、墳丘の遺存状況から未盗掘とみられます。測量・清掃時に多量の底部穿孔壺片(壺形埴輪)が採集されており、壺形埴輪の樹立が想定されます。周溝は、後円部の東側を中心に幅約11m、深さ約1mで遺存しますが、後円部の南側および東くびれ部付近では、自然消滅します。したがって前方部先端付近から西側面および後円部南側にかけて周溝は巡らず、地山を削り出すことで墳形を画しています。墳丘中軸線よりも西側は地山を削り出し、東側は周溝状に地山を掘削して墳形を整えたとみられます。
築造時期については、採集遺物も少なく、正確な築造時期を絞り込めませんが、墳丘の規模や立地など他の古墳との共通性や類型から推測すると、古墳時代前期後葉頃とみられます。