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大県郡条里遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/65627
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.65627
引用表記 公益財団法人大阪府文化財センター 2013 『公益財団法人大阪府文化財センター調査報告書241:大県郡条里遺跡』公益財団法人大阪府文化財センター
公益財団法人大阪府文化財センター 2013 『大県郡条里遺跡』公益財団法人大阪府文化財センター調査報告書241
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書名 大県郡条里遺跡
発行(管理)機関 大阪府文化財センター - 大阪府
有償頒布・配布ページ https://www.occh.or.jp/?s=book
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな おおがたぐん じょうり いせき
副書名 寝屋川水系改良事業(一級河川恩智川法善寺多目的遊水地)に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名 公益財団法人大阪府文化財センター調査報告書
シリーズ番号 241
編著者名
編集機関
公益財団法人大阪府文化財センター
発行機関
公益財団法人大阪府文化財センター
発行年月日 20131031
作成機関ID
郵便番号 5900105
電話番号 0722998791
住所 大阪府堺市南区竹城台3丁21番4号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 大県郡条里遺跡
遺跡名かな おおがたぐんじょうりいせき
本内順位
遺跡所在地 大阪府柏原市法善寺4丁目地内
所在地ふりがな おおさかふかしわらしほうぜんじよんちょうめちない
市町村コード 27221
遺跡番号 69
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 343558
東経(世界測地系)度分秒 1353737
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.599444 135.626944
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20110601-20121130
調査面積(㎡)
1980
調査原因 恩智川法善寺多目的遊水地
遺跡概要
種別
集落
田畑
時代
縄文
古代(細分不明)
中世(細分不明)
主な遺構
条里畦畔
土坑
ピット
河川
主な遺物
陶磁器
瓦質土器
瓦器
土師器
須恵器
黒色土器
鉄製品
石製品
墨書土器
転用硯
漆付着土器
製塩土器
弥生土器
縄文土器
打製石器
サヌカイト剥片
特記事項 古代末から中世にかけて条里型地割に基づく水田及び畠を検出
縄文時代晩期末~古代の集落縁辺部の状況
河川は旧大和川の分流路の可能性がある
要約  今回の調査では縄文時代後期後葉~晩期中葉の河川を検出した。河川からは、宮滝式、滋賀里Ⅰ式~Ⅲ式の土器に混じって、早期押型文土器や中期・後期の土器が出土した。河川は晩期中葉には埋没、放棄流路化していたと考えられる。なお、この河川は旧大和川の分流路である可能性が考えられる。
 その後、縄文時代晩期末には土砂の供給が安定し、古代までの土坑や溝、ピットなどの遺構を検出した。遺構は複数の時期のものを含んでおり、散漫な状況で集落の縁辺といった様相を示す。なお、特筆すべき遺物として、「博」と墨書された須恵器杯蓋があげられる。
 古代~中世は複数の耕作面を検出した。耕作地は条里に規制されたいわゆる条里型水田で、南北方向に長い長地型の区画が11世紀ごろより踏襲されていることが分かった。最古の条里型水田面は10世紀に遡る可能性もあり、今後の坪境での調査での検討が必要である。

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