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宇都宮市花の木町遺跡出土土器の再検討 栃木県における古墳時代前期末の土器様相

後藤 信祐 ( GOTOU Shinsuke )
 栃木県内のこれまでの古墳時代前期の土器研究の現状を把握する。次に花の木町遺跡の報告時の概要を述べ、花の木町段階の設定を行う。そしてこれらの士器群と関連する県内の遺跡を紹介し、近県の該期の土器様相について概観した後、本県の花の木町段階とその前後の段階の土器様相について補足してみたい。
 これまでに、花の木町段階の設定を軸に、この前後の時期の土器様相について高杯と小型丸底坩の共伴から近県の土器様相を援用しながら本県についてみてきた。また、花の木町遺跡では高杯A1類とB1、B2類との共伴がSI-07、09でみられるが、近県では中実柱状のA1類は東北地方南部に分布の中心をもち関東地方では客体的な分布を示す。一方、高杯B2類と小型丸底坩A類の共伴は東北地方では不明であるが、関東地方ではそれほど珍しいことではない。花の木町遺跡でみられる高杯A類とB類の共伴は、本遺跡のほか埼玉・茨城の両県で散見できるのみであるが、北関東という地域であればこその共伴であり、この事実が関東地方と東北地方の両地域の編年の並行関係を考えるうえで、重要な鍵を握っていることは明らかである。
 花の木町遺跡出土の土器をみていくと、高杯はいずれも近畿地方にその系譜が求められるものであり、本県でそれまで影響の強かった東海系のものはS字輩と壷の一部にその残影がみられる程度である。この段階は本県ではまだ資料が充実しておらず、認識も不十分であるが、従来大きな画期があるとされていた和泉期の一段階前に東海系土器の払拭、畿内系土器への転換が行われていたものと考えられる。この時期、集落については東北地方南部で、遺跡の増加がみられる程度で大きな変化はみられないが、この時代の象徴ともいえる古墳においては、岩崎卓也が「四世紀末にはじまる東日本における土器の変化はそれまでの東海地方からの勢力を介しての間接的接触から、直接的なそれへの転換を意味するかとも思える。もしそうであるなら埋葬施設にみる中央への合一化も、東北地方への古墳分布の拡大もまた、相互に関連しあう、ひと続きの出来事だった公算が大きくなる。…………王権中枢とはひと味異なる個性をとどめた東日本の諸地域も、一部を除いて四世紀末には、王権中枢の直接的な影響下に組みこまれたとも読みとれるのである。割竹形木棺と粘土榔の波及、そして東北地方への古墳分布の拡大は、まさしくこの段階における現象であった。」と指摘するように大きな画期が認められるのである〈岩崎1989)。
 小稿は、本県であまり明確ではなかった古墳時代前期最終段階の十器様相について花の木町遺跡の資料を中心に指摘してみた。高杯A、B類の共伴に関しては、まだ資料が不足しており問題も残るが、多くの方々の御叱正、御批判をいただければ幸いである。
NAID :
時代 古墳
文化財種別 考古資料
史跡・遺跡種別 集落
遺物(材質分類) 土器
学問種別 考古学
テーマ 編年 文化系統
他の電子リソース :
総覧登録日 : 2021-11-26
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wikipedia 出典テンプレート : {{Citation|first=信祐|last=後藤|contribution=宇都宮市花の木町遺跡出土土器の再検討 栃木県における古墳時代前期末の土器様相|title=研究紀要|date=1992-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105394|location=栃木県下都賀郡国分寺町大字国分乙474|ncid=AN10460944|doi=10.24484/sitereports.105394|volume=1}} 閉じる
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この論文は下の刊行物の 27 - 53 ページ に掲載されています。

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