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足利市機神山古墳群の形成過程について

斎藤 弘 ( SAITOU Hiroshi ) 中村 享史 ( NAKAMURA Takashi )
 群中でも傑出した3基の前方後円墳(機神山山頂古墳、行基平山頂古墳、機神山26号墳)について、測量図をもとに墳形を比較し、その形成過程や性格を論じてみたい。また古墳群を評価するにあたり、その築造順序ばかりでなく、諸要素を多角的に分析する必要のあることは言うまでもない。そこで、機神山山頂古墳の石室の実測を実施する等、これまで資料を整えてきた。ここでは石室、副葬品、埴輪などを取り上げ、足利地方の他の古墳と比較し、本古墳群の位置付けに言及する。
 最古の行基平山頂古墳は5世紀末頃、次の機神山26号墳は6世紀代、最新の機神山山頂古墳は6世紀末の築造と考えられる。群集墳はどうか。詳細は測量が進む今後の課題としたいが、現時点ではつぎのように言える。行基平1、3号墳は、石室の形態からTK43-209式期となるだろう。長林寺裏古墳は、副葬品や石室からTK209式期に相当すると考えられる。また織姫神社境内古墳は、出土した鉄鏃などからTK43-209式期の年代が与えられる。
 本古墳群の形成は次のようになるだろう。5世紀末頃、最初の首長墓である行基平山頂古墳が築造される。次の首長墓として、横穴式石室を有する機神山26号墳が築造される。さらに機神山山頂古墳が築造される。これと相前後して、群集墳の多くが造営される。少し遅れて優れた副葬品を有する長林寺裏古墳の造営となるのである。
 このような古墳群形成のあり方は、本地域の他の古墳群と共通する一面がある。明神山古墳群も、前方後円墳築造後程なく多くの群集墳が造営されている。共通の背景があるものと考えられる。
 6世紀代の足利地方には、他より一歩抜きでた首長墓の系譜を辿ることができる。市橋一郎、大津伸啓、足立佳代の各氏が足利市域の古墳について概観している中で、本地域全体の首長墓の変遷を捉えた視野で、常見古墳群を取り上げている。正善寺古墳から海老塚古墳を経て口明塚古墳に至る順序で変遷するという従来の見解が、発掘調査によって裏付けられた。こうした変遷が6世紀の後半代にあり、その間に前方後円墳から円墳へと変化するとしている(市橋ほか1992)。この古墳群は、前方後円墳消滅後としてはひときわ大規模である。また、周囲に群集墳を伴わないことも特色である。このことも他の小首長墓に卓越する古墳群のあり方なのかもしれない。
 機神山古墳群の首長墓の系譜は、機神山山頂古墳を最後に不明瞭になる。その築造は正善寺古墳と海老塚古墳の間とみられる。同じ時期には、水道山古墳が築造されている。これを最後に、足利地方では前方後円墳が消滅すると考えられる。両古墳は最後の前方後円墳であると言えるだろう。
 その後の首長墓の条件としては、前方後円墳ではないにしろ、他より大規模な墳丘を有し、優れた副葬品がみられなくてはならないだろう。現在のところ、候補はあるものの、常見古墳群を除いては明らかになっていない。同じ首長墓ではあるが、常見古墳群と他の古墳群の主墳との聞には、この頃から大きな格差が生じたと思われる。常見古墳群に眠る一族が、6世紀末から7世紀始めまでに足利地方を統括する首長に成長したと考えてよかろう。
 機神山古墳群を中心に足利市の後期古墳について考察してみた。残された課題は多いが、それらを考えることでまとめにかえたい。
 日本の各地域において後期古墳を考えるとき、全国的、斉一的現象として把握できるのは前方後円墳と埴輪の消滅の問題である。栃木県では前方後円墳の消滅後、首長墓は円墳に変化する。これは群馬県や千葉県で方墳に変化するのと対照をなしている。埴輪も前方後円墳に先立って消滅することも知られている。しかし群馬県では最後の前方後円墳まで埴輪が存続しており、地域によって消滅の時期がずれることを示している。足利市においては前方後円墳消滅後は、海老塚古墳のような円墳が築造される点では栃木県内の他の地域と共通している。
 しかし埴輪に関しては市内の殆どの前方後円墳が埴輪を有しており、群馬県に近い状況を呈している。それだけでなく、海老塚古墳でも埴輪が出土しており、前方後円墳消滅後もなお埴輪が残存していたことが分かる。このような特殊性は足利市地域独自のものであるが、その範囲がどこまでおよぶかは今回明確にし得なかった。今後の課題としたい。
 足利市は栃木県でも特に古墳が密集する地域として知られているが、それらのほとんどは群集墳を構成する小規模な古墳である。今回扱った古墳の数は限られており、群集墳論を展開できるような状況にない。しかし埴輪や横穴式石室の様相からは、首長墓と考えられるような大規模古墳と対比した場合、様相が違っていることは分かる。横穴式石室における無袖型胴張り形と埴輪における開く器形は両者とも首長墓よりも群集墳の方が早く出現している。これらの理由については明らかではないが、それぞれの生産体制はもとより、首長墓と群集墳の階層的関係の追求を通して明らかにすべきことであろう。
 足利市は栃木県内にあっては、その地理的条件からほかの地域から独立して考えられることが多い。そのためか、近年、著しい進展を見せている栃木県の古墳時代研究の中でも足利市の古墳については明確な位置付けが成されているとは言い難い。それは本論で見たような古墳時代後期における足利市地域の独自性によるところが大きい。今後、その独自牲をより多く抽出し、詳細な分析をしていかなければならないと考えている。
NAID :
都道府県 : 栃木県
時代 古墳
文化財種別 史跡 考古資料
史跡・遺跡種別 古墳
遺物(材質分類) 土製品(瓦含む)
学問種別 考古学
テーマ 編年 資料紹介
他の電子リソース :
総覧登録日 : 2021-11-26
wikipedia 出典テンプレート : {{Citation ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Citation|first=弘|last=斎藤|first2=享史|last2=中村|contribution=足利市機神山古墳群の形成過程について|title=研究紀要|date=1992-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105394|location=栃木県下都賀郡国分寺町大字国分乙474|ncid=AN10460944|doi=10.24484/sitereports.105394|volume=1}} 閉じる
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この論文は下の刊行物の 107 - 142 ページ に掲載されています。

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