“栃木沖積低地”周辺の古墳―伯仲1号墳の位置付けをめぐって―
Kofun Clusters around “Tochigi Alluvial Lowland” : Concerning the Regional Position of Hakuchu No. 1 Burial Mound.
秋元 陽光
( AKIMOTO Harumitsu )
横穴式石室を蔵する推定60mの前方後円墳である栃木市伯仲1号墳の、地域の中での位置付けを考える。伯仲1号墳の地域を従来“永野川流域”と捉えてきたが、東縁に思川、西縁に永野川が流れる“栃木沖積低地”として捉えて、低地東岸と西岸を個別に検討してきた従来とは別な視点を示す。この低地には古墳前期の山王寺大桝塚古墳があり、低地面を挟んだ東側台地上の牧ノ内遺跡との関係も捉えることができる。大桝塚古墳の後、中期には永野川東側低地にある寒川古墳群の鶴巻山古墳に継承される。中期から後期にかけて宇都宮南部から小山市北部へ大形古墳が移行する中で、寒川古墳群の首長墓系列が継続して築造され、低地の東側には野木町野渡古墳群も存在する。
古墳後期は栃木低地に首長墓がなく、周縁台地上に築かれる。低地西側の永野川流域で前方後円墳を中心とした群集墳、東側の思川流域では円墳の群集墳が築造される。永野川流域の長50-60m 級前方後円墳のうち都賀愛宕塚古墳とオトカ塚古墳は古墳群がある谷を押さえる立地で、これらを統括した存在と考えられる。伯仲1号墳は低地に面し、栃木低地面の下泉古墳群を統括する存在と捉える。古墳終末期の大形円墳である思川東岸台地上の千駄塚古墳は円墳の群集墳である牧ノ内古墳群の勢力伸長とも考えられ、低地西縁部台地に前方後円墳が築かれたこととの差の背景を検討する必要がある。
古墳後期は栃木低地に首長墓がなく、周縁台地上に築かれる。低地西側の永野川流域で前方後円墳を中心とした群集墳、東側の思川流域では円墳の群集墳が築造される。永野川流域の長50-60m 級前方後円墳のうち都賀愛宕塚古墳とオトカ塚古墳は古墳群がある谷を押さえる立地で、これらを統括した存在と考えられる。伯仲1号墳は低地に面し、栃木低地面の下泉古墳群を統括する存在と捉える。古墳終末期の大形円墳である思川東岸台地上の千駄塚古墳は円墳の群集墳である牧ノ内古墳群の勢力伸長とも考えられ、低地西縁部台地に前方後円墳が築かれたこととの差の背景を検討する必要がある。