研究紀要

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/143631
引用表記 青森県埋蔵文化財調査センター 2025 『研究紀要』
青森県埋蔵文化財調査センター 2025 『研究紀要』
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=哲|last=髙橋|first2=泰民|last2=西田|first3=智生|last3=佐藤|first4=謙一|last4=小林|first5=淳一|last5=相原|first6=亮子|last6=折登|first7=高|last7=木村|first8=洋|last8=岡本|first9=琢郎|last9=山下|title=研究紀要|origdate=2025-03-12|date=2025-03-12|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/143631|location=青森県青森市大字新城字天田内152-15|volume=30}} 閉じる
ファイル
書名 研究紀要
発行(管理)機関 青森県埋蔵文化財調査センター - 青森県
書名かな けんきゅうきよう
副書名
巻次 30
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
青森県埋蔵文化財調査センター
発行機関
発行年月日 20250312
作成機関ID
郵便番号 0380042
電話番号 0177885701
住所 青森県青森市大字新城字天田内152-15
報告書種別
年報・紀要・研究論集・市史研究等・文化財だより
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されていない(発掘調査報告書総目録の掲載対象外)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
タイトル 縄文時代草創期から前期前葉にかけての青森県出土の磨製石斧について
英語タイトル Polished Stone Axes Excavated from Aomori Prefecture from the Incipient to the Beginning of the Early Jomon Period
著者
髙橋  哲 , TAKAHASHI Akira
ページ範囲 1 - 20
NAID
都道府県 青森県
時代 縄文
文化財種別 考古資料 埋蔵文化財
史跡・遺跡種別
遺物(材質分類) 石器
学問種別 考古学
テーマ 技法・技術 文化系統
他の電子リソース
引用表記
wikipedia 出典テンプレート : {{Citation ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Citation|first=哲|last=髙橋 |contribution=縄文時代草創期から前期前葉にかけての青森県出土の磨製石斧について|title=研究紀要|date=2025-03-12|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/143631|location=青森県青森市大字新城字天田内152-15|volume=30}} 閉じる
抄録(内容要約)  この小論では、青森県における草創期から前期前葉にかけて出土した磨製石斧の製作技法等を分析し、当該期の地域性や文化系統等について論及する。
 これまで、縄文時代前期・中期(髙橋2021)、後期後葉から晩期(髙橋2016)における青森県を中心とした北東北の磨製石斧について、製作技法を中心に論じた。磨製石斧からみると、円筒土器文化は、大きく太平洋側(主に三八上北地域)と日本海側(下北地域・青森平野・津軽地域)とで流通が異なり、これが地域性を派生させる要因の一つと推定した。ただ、本稿で取り扱う時期は、太平洋側に遺跡が偏在しており、円筒土器文化期の流通とは異なることが想定される。
 ここでは、円筒土器文化の流通がどのように発生したかを視野にいれながら、草創期から前期前葉にかけての磨製石斧の製作技法と地域性等を明らかにする。そして、これまで土器を中心に論じられてきた縄文文化の系統論を、磨製石斧の流通を通して考察する。主に青森県の資料を中心に論じるが、岩手県、秋田県や北海道は参考として用いる。なお、青森県の磨製石斧の研究に関する学史の検討は行わないが、この小論を作成するにあたり、齋藤(2003、008、2012、2016ab)の一連の磨製石斧関連論文を参考とした。
タイトル 青森県出土縄文土器の植物混和材
英語タイトル The vegetal temper of Jomon pottery in Aomori prefecture
著者
西田 泰民 , NISHIDA Yasutami
佐藤 智生 , SATO Tomoo
ページ範囲 21 - 29
NAID
都道府県 青森県
時代 縄文
文化財種別 考古資料
史跡・遺跡種別
遺物(材質分類) 土器 繊維製品(紙含む)
学問種別 考古学
テーマ 素材分析
他の電子リソース
引用表記
wikipedia 出典テンプレート : {{Citation ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Citation|first=泰民|last=西田|first2=智生|last2=佐藤|contribution=青森県出土縄文土器の植物混和材|title=研究紀要|date=2025-03-12|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/143631|location=青森県青森市大字新城字天田内152-15|volume=30}} 閉じる
抄録(内容要約)  縄文土器の胎土に植物が混ぜられたものがあることがいつから認識されていたのか、明確ではない。
 円筒土器は菅江真澄がスケッチに残しているように、近代考古学以前より知られていて、下層式の断面から胎土が特徴的であるのは気づかれていても不思議ではないのだが、長谷部言人がオセドウ貝塚の調査成果を報告する中でも、胎土については全く記載がない(長谷部1927)。初めての体系的な研究論文は、山内清男の「関東北に於ける繊維土器」(山内1929)であり、繊維土器の呼称が一般化するきっかけとなるのだが、山内自身が最初に気づいたわけではないらしく、その中で論文発表以前の大正15年(1926)に是川中居貝塚の土器を整理中に八幡一郎が萬田貝殻塚下層(現平塚市)の土器と土質が近似することを指摘したこと、また杉山寿栄男の『原始工藝』(杉山1928)において繊維土器の記載があることを注に記している。杉山寿栄男は是川の円筒土器中に繊維束を芯にして作る技法があるとしていた。なお、さらにそれよりも前の大正13 年(1924)刊の『諏訪史』の中で、鳥居龍蔵が厚手派土器の中に草の類を入れて焼いたものがあると記し、自身が聞き取りを行った北千島の植物を混和させる土器作りの事例を紹介している(鳥居1924)。これらからすると大正末期には研究者の間で植物混和の土器の認識が広まっていたと考えられる。一方、その原材料については、現在の八戸市一王寺(1)遺跡から出土した土器片を対象とした草野の報告(草野1930)を始めとして、関心がもたれながらも現在に至るまで特定ができていない現状がある。
 以前、西田らは三内丸山遺跡出土の円筒下層a,b 式の土器について、繊維がどのように混和されているかX 線CT を用いて、可視化した(西田ほか2005)。その際は土器全体をスキャンすることを優先したため、解像度を低くせざるを得ず、混和材の詳細な形状を解析するのに足る精細な画像をえることはおこなわなかった。改めて、現在使用しているソフトウェア(Molcer Plus, Whiterabbit 社)で空隙率を計算してみると、空隙=混和材と仮定するならば、円筒下層a式とb式では後者の方が混和量が多いことが示された。
 今回は、青森県内の縄文時代早期土器を中心に、X 線CT による観察をする機会を得たので報告する。
 早期を中心としたのは、東北地方における植物混和材の使用は日計式に認められるものの、その後中断があり、早期後半から再び顕著となる現象がみられるためである。関東地方でも早期前半の平坂式・天矢場式に植物混和土器があることが判明していることからも注意がひかれる。なお、この研究は科研費研究「土器製作技術と植物性混和材」(課題番号20H05812、代表者 阿部昭典)の一環である。
本稿の執筆・分担は、1章、3章を西田、2章を佐藤がおもに担当した。
タイトル 青森県における縄文時代後期土器の年代測定(1)
英語タイトル Radiocarbon Dating of Late Jomon pottery in Aomori Prefecture(1)
著者
小林 謙一 , KOBAYASHI Kenichi
佐藤 智生 , SATO Tomoo
相原 淳一 , AIHARA Junichi
ページ範囲 30 - 45
NAID
都道府県 青森県
時代 縄文
文化財種別 考古資料
史跡・遺跡種別
遺物(材質分類) 土器
学問種別 考古学 文化財科学
テーマ 年代特定 資料紹介
他の電子リソース
引用表記
wikipedia 出典テンプレート : {{Citation ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Citation|first=謙一|last=小林|first2=智生|last2=佐藤|first3=淳一|last3=相原|contribution=青森県における縄文時代後期土器の年代測定(1)|title=研究紀要|date=2025-03-12|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/143631|location=青森県青森市大字新城字天田内152-15|volume=30}} 閉じる
抄録(内容要約)  青森県における縄文土器の後期編年は、山内清男の「縄紋土器型式の細別と大別」(山内1937)においては(+)(+)(+)(+) とされ、関東地方における「堀之内式」「加曾利B 式(旧)」「加曾利B 式(新)」「安行1、2式」に相当する四つの未命名型式の存在が示された。戦後、東北地方北部における縄文後期の土器編年は、青森県十腰内遺跡出土資料(今井・磯崎1968)を標式とする「十腰内編年」を基礎とする。十腰内編年は第Ⅰ層から晩期初頭の第Ⅵ群土器、第Ⅱ a 層から出土した第Ⅱ~Ⅴ群土器は関東編年や宮戸島編年に基く型式学的検討を経て、示されている(相原2008)。
 『青森県史』(2013)では、後期1期~8期とさらにそのいくつかの段階に整理され、あわせて年代測定(AMS 法)結果から、縄文後期は4400 ~ 3200 cal BP 頃のおよそ1,200 年間とされた。このうち、本稿で扱う後期中葉は後期4期(「十腰内Ⅱ群」併行)から6期(「十腰内Ⅳ群」併行)に相当し、関東地方の加曾利B1 式から同B3 式に併行するとし、後期後葉は後期7期(「十腰内Ⅴ群」前後)、後期末葉は後期8期(「十腰内Ⅵ期」前後)に相当し、それぞれ関東地方の曽谷式から安行1式、安行2式に併行するとした。
 ところで、山内清男は1936 年に始まる「ミネルヴァ論争」において、縄文時代の終末と弥生時代の開始年代は、日本列島において大きな差はないとし、同一土器型式は同一年代に属するとした。のちに山内は縄紋土器型式を草創期~晩期の6期に大別し、草創期開始をBC2500 年(山内1967)~晩期終末をBC100 年前と平均400 年間として等分し、各期は十内外の土器型式を持ち、平均して同じ位の存続年代である(山内1969)と考えた。その中でも特に後期は中期の二倍もの細別を含み、「二十型式」( 山内1969)と記され、縄文後期における一型式の存続年代は20 年間と想定された。
 土器付着炭化物のAMS 法による年代測定(小林2008)では縄文後期は4420 ~ 3220 cal BP とされ、準ウイグルマッチングとした較正曲線と時期ごとの年代値との関係および、OxCal プログラムのMedianの値から、縄文後期は4490 ~ 3220 cal BP と微修正された(小林2017・2019)。後期中葉から後葉の年代は、加曾利B1 式段階のK4 期3900 - 3750 cal BP、加曾利B2 式段階のK5 期3750 - 3525 cal BP、加曾利B3 式段階のK6 期3525 - 3420 cal BP、曽谷式段階のK7 期3420 - 3370 cal BP、安行式段階のK8 期3370 - 3320 cal BP である。 縄文後期中葉は土器型式の斉一化と顕著な広域分布、後葉においては瘤付土器として東北地方の地域性が再び顕在化する時期に相当する(相原2008、2015、2022a・b)。型式学的検討による土器型式の併行関係についてはほぼ誤りのない段階に到達しているものと思われるが、関東地方の個々の土器型式の年代が、その存続期間の長短も含め、そのまま本州北端の青森県の年代にも反映されているか否は不詳である。後期中葉土器の広域分布は北海道にも及び、青森県下の後期土器の年代の詳細を明らかにすることは、縄文後期文化総体の動態を考える上でも欠くことのできない課題である。
 なお、本稿は相原淳一が1章、小林謙一が2章、佐藤智生が3章を分担し、4章を協議の上、作成した。
タイトル 「切断壺形土器」事例報告と付着物の分析
英語タイトル Case Report on 'Cut Jar-Shaped Pottery' and Analysis of Adhered Materials
著者
折登 亮子 , ORITO Ryoko
ページ範囲 45 - 60
NAID
都道府県 青森県
時代 縄文
文化財種別 考古資料 埋蔵文化財
史跡・遺跡種別
遺物(材質分類) 土器 漆器
学問種別 考古学
テーマ
他の電子リソース
引用表記
wikipedia 出典テンプレート : {{Citation ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Citation|first=亮子|last=折登|contribution=「切断壺形土器」事例報告と付着物の分析|title=研究紀要|date=2025-03-12|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/143631|location=青森県青森市大字新城字天田内152-15|volume=30}} 閉じる
抄録(内容要約)  「切断壺形土器」(葛西2005、以下切断壺形土器)は、縄文時代中期後半から後期前半に製作される、特徴的な器種である。昨年度、切断壺形土器について調べた際(折登2024)、付着物がみられる土器を確認した。また、未報告の優品があることがわかった。
 本稿では、切断壺形土器研究の基礎情報として、これら資料の図面・写真を報告(再報告)する。また、付着物の内容を推定するためにFT-IR 分析を行う。遺物の観察所見、分析結果、類例の検討等から、未だ不明な部分が大きい切断壺形土器の用途・性格について考察する。
タイトル 令和6年度 「地元の縄文」再発見プロジェクト事業 実施報告
英語タイトル Implementation report of "Local Jomon" Rediscovery Project in 2024
著者
木村 高 , KIMURA Takashi
岡本 洋 , OKAMOTO Yo
山下 琢郎 , YAMASHITA Takuro
ページ範囲 61 - 80
NAID
都道府県 青森県
時代 縄文
文化財種別 考古資料 埋蔵文化財
史跡・遺跡種別
遺物(材質分類) 石器 石製品 骨・歯・角製品 土器 土製品(瓦含む) 木製品 漆器
学問種別 考古学
テーマ 活用手法 事業報告
他の電子リソース
引用表記
wikipedia 出典テンプレート : {{Citation ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Citation|first=高|last=木村|first2=洋|last2=岡本|first3=琢郎|last3=山下|contribution=令和6年度 「地元の縄文」再発見プロジェクト事業 実施報告|title=研究紀要|date=2025-03-12|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/143631|location=青森県青森市大字新城字天田内152-15|volume=30}} 閉じる
抄録(内容要約)  本事業は「地元の縄文」の活用促進を目的とする「取組1」と、「地元の縄文」の魅力の再発見と情報の発信を行う「取組2」で構成されている。取組1は県(当センター)と市町村が連携して活用の仕組みを構築していくための地域連携会議の開催、教材の制作〜市町村への配布。取組2は、「地元の縄文」再発見フェアの開催とあおもり縄文カードの作成、インターネットによる縄文遺跡と出土品の紹介である。
所収遺跡
要約

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 253
ファイルダウンロード数 : 0

全国のイベント

>> 確認する

外部出力

BibTeX
TSV
JSON