奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41252 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132433 件
( 前年度比 + 1748 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147563 件
( 前年度比 + 2123 件 )
現在の文化財論文件数
120576 件
( 前年度比 + 1581 件 )
現在の文化財動画件数
1300 件
( 前年度比 + 116 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む

辻垣下出口遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/122060
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.122060
引用表記 行橋市教育委員会 2020 『行橋市文化財調査報告書66:辻垣下出口遺跡』行橋市教育委員会
行橋市教育委員会 2020 『辻垣下出口遺跡』行橋市文化財調査報告書66
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=裕平|last=山口|title=辻垣下出口遺跡|origdate=2020-03-31|date=2020-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/122060|location=福岡県行橋市中央一丁目1番1号|ncid=BB30708591|doi=10.24484/sitereports.122060|series=行橋市文化財調査報告書|volume=66}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 辻垣下出口遺跡
発行(管理)機関 行橋市 - 福岡県
有償頒布・配布ページ https://www.city.yukuhashi.fukuoka.jp/site/bunkazai/list49-112.html
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな つじがき しもでぐち いせき
副書名 県営ほ場整備事業(元永地区)関係埋蔵文化財発掘調査報告 ; 3
巻次
シリーズ名 行橋市文化財調査報告書
シリーズ番号 66
編著者名
編集機関
行橋市教育委員会
発行機関
行橋市教育委員会
発行年月日 20200331
作成機関ID
郵便番号 8248601
電話番号 0930251111
住所 福岡県行橋市中央一丁目1番1号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 辻垣下出口遺跡
遺跡名かな つじがきしもでぐちいせき
本内順位
遺跡所在地 福岡県行橋市大字辻垣
所在地ふりがな ふくおかけんゆくはししおおあざつじがき
市町村コード 402133
遺跡番号 14046004
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 334221
東経(世界測地系)度分秒 1310010.54
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.705833 131.002927
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20010417-20010903
調査面積(㎡)
4900
調査原因 県営ほ場整備事
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
古墳
古代(細分不明)
鎌倉
主な遺構
掘立柱建物
土坑
井戸
柵列
柱穴
主な遺物
弥生土器
土師器
須恵器
緑釉陶器
瓦器
瓦質土器
輸入陶磁器
石庖丁
砥石
鉄釘
特記事項 猿面硯が出土
要約  京都平野北部を北流する、祓川流域東岸の三角州(標高10m)に立地する。
 主に弥生時代から鎌倉時代に至る遺構、遺物を検出したが、平安時代から鎌倉時代初頭に盛期を認められる。
 集落を形成する遺構は掘立柱建物、井戸などがあるが、本調査区は祓川の氾濫原であったと考えられ、流路跡と考えられる帯状の浅い土坑、溝を多く検出した。遺物の大半はこの流路跡に伴うものである。
 特筆すべき遺物に、8~9世紀頃に位置づけられる須恵器の猿面硯がある。緑釉陶器も防長産に加えて畿内産や近江産を含み、古代仲津郡の公的施設が近隣に所在したと考えられる。
 出土する輸入陶磁器は白磁を中心とし、連弁文をもつ龍泉窯系政治をまったく含まないことから、12世紀末頃の鎌倉時代初頭には集落は廃絶し、田畑になったと考えられる。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 213
ファイルダウンロード数 : 185

全国のイベント

外部出力