報告書種別一覧 >
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等 >
多賀城跡
多賀城跡
URL | https://sitereports.nabunken.go.jp/72299 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
DOI 二次元コード |
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
DOI | http://doi.org/10.24484/sitereports.72299 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
引用表記 | 宮城県多賀城跡調査研究所 2019 『多賀城跡』宮城県多賀城跡調査研究所 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宮城県多賀城跡調査研究所 2019 『多賀城跡』 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
wikipedia 出典テンプレート :
{{Cite book ... 開く
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファイル |
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
書名 | 多賀城跡 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発行(管理)機関 | 宮城県多賀城跡調査研究所 - 宮城県 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
書名かな | たがじょうあと | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
副書名 | 政庁南面地区2 / 城前官衙総括編 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
巻次 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シリーズ名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シリーズ番号 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
編著者名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
編集機関 |
宮城県多賀城跡調査研究所
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発行機関 |
宮城県多賀城跡調査研究所
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発行年月日 | 20190325 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
作成機関ID | 04000 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
郵便番号 | 9850325 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
電話番号 | 0223680102 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
住所 | 宮城県多賀城市高崎1-22-1 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
報告書種別 |
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
資料タイプ | Research Paper | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発掘調査報告 | 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所蔵大学(NCID) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
JP番号 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
他の電子リソース |
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
備考 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所収論文 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所収遺跡 |
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
要約 | ・城前官衙は、政庁から南東へ延びる尾根を中心に造営された官衙で、政庁南大路に面する。 ・官衙はⅰ期~ⅳ期と変遷するが、実年代と政庁遺構期との対応関係は、ⅰ期が8世紀前半~中頃で第Ⅰ期、ⅱ期は8世紀中頃~宝亀11年(780)で第Ⅱ期、ⅲ-1期は宝亀11年(780)~8世紀後葉で第Ⅲ-1期、ⅲ-2期は8世紀後葉~9世紀後半で第Ⅲ-2期~第Ⅳ期、ⅳ期は10世紀前葉で第Ⅳ期であり、政庁遺構期に対応する変遷が明らかになった。 ・ⅱ期は、官衙全体に火災の痕跡が認められる。火災は宝亀11年(780)の伊治公呰麻呂の乱に起因するものであり、政庁とともに全焼したと考えられる。 ・ⅱ期官衙は、東西5棟ずつの副屋と南北の向屋を加えた12棟が主屋と前庭を囲むロ字型配置をとる。城内の実務官衙の中で、ロ字型配置またはコ字型配置が第Ⅱ期まで遡るのは本例が初めてである。前庭が主屋の北にあることから官衙は政庁のある北側を向いており、官衙中軸線や建物位置の計画性からみて、政庁と一体性が強い。 ・ⅱ期官衙は、出土木簡の検討から鎮守府関係の文書業務を行っており、鎮守府の職務に携わる人物もいたと考えられる。 ・ⅲ-2期官衙は、南北軸線をⅱ期を基準とし建物は3列構成となること、主屋がⅱ期とほぼ同位置で、構造や瓦葺きとなることはⅱ期と共通する。その一方で、広場は持たないことから、ⅱ期官衙の機能を継承しつつも、より実務性を強めたと考えられる。 |