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的場遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/61896
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.61896
引用表記 山元町教育委員会 2014 『山元町文化財調査報告書6:的場遺跡』山元町教育委員会
山元町教育委員会 2014 『的場遺跡』山元町文化財調査報告書6
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書名 的場遺跡
発行(管理)機関 山元町 - 宮城県
書名かな まとばいせき
副書名 常磐自動車道(県境~山元間)建設工事に係る発掘調査報告書 ; 1
巻次
シリーズ名 山元町文化財調査報告書
シリーズ番号 6
編著者名
編集機関
山元町教育委員会
発行機関
山元町教育委員会
発行年月日 20140328
作成機関ID 04362
郵便番号
電話番号
住所
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 的場遺跡
遺跡名かな まとばいせき
本内順位
遺跡所在地 宮城県亘理郡山元町山寺字的場
所在地ふりがな みやぎけんわたりぐんやまもとちょうやまでらあざまとば
市町村コード 04362
遺跡番号 14070
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 375740
東経(世界測地系)度分秒 1405207
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 37.961111 140.868611
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20110627-20110825
20111014-20111020
20130628-20130809
調査面積(㎡)
6790
調査原因 常磐自動車道(県境~山元間)建設工事
遺跡概要
種別
集落
時代
古墳
主な遺構
竪穴住居跡
溝跡
土坑
主な遺物
土師器
特記事項 *古墳時代前期
*検出した遺構
竪穴住居跡2軒
溝跡1条
土坑4基
種別
集落
時代
平安
主な遺構
竪穴住居跡
掘立柱建物跡
土坑
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項 *9世紀後半
*検出した遺構
竪穴住居跡2軒
掘立柱建物跡4棟
土坑7基
焼成遺構2基
種別
城館
時代
江戸
主な遺構
掘立柱建物跡
土坑
溝跡
井戸跡
ピット
主な遺物
陶器
特記事項 *17~19世紀
*検出した遺構
掘立柱建物跡49棟
溝跡5条
土坑3基
井戸跡3基
ピット多数
種別
散布地
時代
縄文
主な遺構
土坑
主な遺物
縄文土器
石器
特記事項 *種別:土坑
*縄文時代前期前葉(大木1式)
*検出した遺構
 土坑14基
種別
散布地
時代
縄文
主な遺構
主な遺物
特記事項 縄文時代晩期
種別
散布地
時代
弥生
主な遺構
主な遺物
弥生土器
特記事項 弥生時代中期
要約  的場遺跡は、亘理郡山元町山寺字的場に所在し、山元町役場の西約800mに位置する。遺跡は、阿武隈山地から東に延びる丘陵の山寺川と涌沢川に挟まれた標高33~41mの中位段丘に立地する。遺跡の範囲は、東西60m、南北320mほどの広がりをもつ。
 調査の結果、竪穴住居跡4軒、掘立柱建物跡53棟、溝跡6条、土坑65基、井戸跡3基、性格不明遺構・焼成遺構4基、ピット221個を検出した。出土遺物は、縄文土器、弥生土器、土師器、須恵器、陶器、石器などである。
 縄文時代の遺構には、縄文時代前期前葉の土坑(陥し穴)14基がある。陥し穴は、一定の間隔で配置されており、遺跡周辺は、「狩り場」として利用されていたと考えられる。
 古墳時代の遺構には、古墳時代前期の竪穴住居跡2軒、溝跡1条、土坑4基がある。
 平安時代の遺構には、9世紀後半代の竪穴住居跡2軒、掘立柱建物跡4棟、土坑7基、焼成遺構2基がある。
 近世以降と考えられる遺構は、掘立柱建物跡49棟、溝跡5条、土坑3基、井戸跡3基、ピット多数であり、これらは屋敷地を構成していたことが推測される。時期は、出土遺物から、概ね17~19世紀を主体とする屋敷跡と考えられる。
 この他、時期不明の遺構が多数あり、これらは縄文時代~近世にかけてのいずれかに属する遺構であると考えられる。また、縄文時代晩期の縄文土器片や弥生時代中期前半の弥生土器片が出土し、周辺にはこの時期の遺構が分布する可能性がある。

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