奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41267 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132444 件
( 前年度比 + 1760 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147573 件
( 前年度比 + 2131 件 )
現在の文化財論文件数
120578 件
( 前年度比 + 1583 件 )
現在の文化財動画件数
1303 件
( 前年度比 + 119 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1252 件
( 前年度比 + 202 件 )
※過去開催分含む

北経塚遺跡 

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/62188
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.62188
引用表記 山元町教育委員会 2017 『山元町文化財調査報告書14:北経塚遺跡 』山元町教育委員会
山元町教育委員会 2017 『北経塚遺跡 』山元町文化財調査報告書14
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=隆博|last=山田|first2=陽子|last2=川口|title=北経塚遺跡 |origdate=2017-01-31|date=2017-01-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/62188|ncid=BB23574225|doi=10.24484/sitereports.62188|series=山元町文化財調査報告書|volume=14}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 北経塚遺跡 
発行(管理)機関 山元町 - 宮城県
書名かな きたきょうづかいせき
副書名 第5次発掘調査 / 店舗建設事業に係る発掘調査報告書
巻次
シリーズ名 山元町文化財調査報告書
シリーズ番号 14
編著者名
編集機関
山元町教育委員会
発行機関
山元町教育委員会
発行年月日 20170131
作成機関ID 04362
郵便番号
電話番号
住所
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 北経塚遺跡
遺跡名かな きたきょうづかいせき
本内順位
遺跡所在地 宮城県亘理郡山元町小平字北
所在地ふりがな みやぎけんわたりぐんやまもとちょうこだいらあざきた
市町村コード 04362
遺跡番号 14010
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 375904
東経(世界測地系)度分秒 1405204
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 37.984444 140.867777
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20150803-20151005
調査面積(㎡)
1925
調査原因 店舗建設
遺跡概要
種別
城館
時代
鎌倉
南北朝
室町
戦国
主な遺構
掘立柱建物跡
溝跡
井戸跡
土坑
主な遺物
中世陶器
かわらけ
青磁
漆器
特記事項 *種別:屋敷跡
*検出した遺構
掘立柱建物跡16棟
溝跡5条
井戸跡1基
土坑14基
種別
散布地
時代
縄文
主な遺構
落とし穴
主な遺物
縄文土器
石器
特記事項 *縄文時代前期
*検出した遺構
 落とし穴1基
種別
散布地
時代
古墳
主な遺構
土坑
主な遺物
土師器
特記事項 *古墳時代前期
*検出した遺構
 土坑1基
種別
散布地
時代
奈良
平安
主な遺構
木炭焼成土坑
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項 *奈良時代末~平安時代前半
*検出した遺構
木炭焼成土坑1基
要約 ・北経塚遺跡は、宮城県南東部の亘理郡山元町小平字北地内に位置し、阿武隈山地から東に延びる丘陵上に位置する。調査の結果、掘立柱建物跡16棟、溝跡5条、井戸跡1基、土坑41基、柱穴・ピット568個を検出し、縄文土器、石器、土師器、須恵器、かわらけ、中世陶器、青磁、漆器が出土した。
・縄文時代の遺構には、SK176落とし穴状遺構がある。SK176からは遺物は出土していないが、堆積土から採取した炭化物の放射性炭素年代測定の結果や周辺の調査区の事例から、縄文時代前期頃の遺構と考えられる。
・古墳時代の遺構には、SK164土坑がある。SK164からは土師器 器台が出土し、その特徴から古墳時代前期の遺構とみられる。
・奈良・平安時代の遺構には、SK175木炭焼成土坑がある。SK175は、出土した炭化物片の放射性炭素年代測定の結果から、奈良時代末~平安時代前半頃(暦年較正年代788~871cal AD)の遺構とみられる。
・中世の遺構には、掘立柱建物跡16棟(SB185~200)、柱穴・ピット377個(P746~1122)、溝跡5条(SD138~142)、井戸跡1基(SE143)、土坑14基(SK159・161・162・165~174・178)がある。これらは、中世の屋敷を構成する建物とそれに関連する遺構であると考えられる。建物は「L字状」に配置され、建物群の南東部には空閑地があり、屋敷内の生活で使用されたと考えられる土坑が分布する。井戸は建物群の西端に配置され、建物分布範囲の西端には区画溝の可能性がある溝跡が巡る。屋敷を構成する建物は7時期以上の変遷があったと想定され、その年代幅は12世紀代~15世紀後半または12世紀代~17世紀初頭頃の間におさまるとみられる。出土遺物は中世陶器、かわらけ、青磁、漆器が出土した。出土した中世陶器の大半は白石窯等の在地産であるが、渥美産・常滑産・古瀬戸産の中世陶器や中国龍泉窯産の青磁といった搬入品も少量確認された。今回確認した中世集落は、遺跡西側に位置する小平館跡と関連する階層が居住した屋敷跡であった可能性が考えられる。
・この他、時期不明の遺構が多数残されているが、これらの多くは中世に属する可能性がある。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 260
ファイルダウンロード数 : 158

全国のイベント

外部出力