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千里大久保遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/86615
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.86615
引用表記 福岡市教育委員会 2018 『福岡市埋蔵文化財調査報告書1334:千里大久保遺跡』福岡市教育委員会
福岡市教育委員会 2018 『千里大久保遺跡』福岡市埋蔵文化財調査報告書1334
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書名 千里大久保遺跡
発行(管理)機関 福岡市 - 福岡県
書名かな せんりおおくぼいせき
副書名 千里大久保遺跡第1次調査報告
巻次 1
シリーズ名 福岡市埋蔵文化財調査報告書
シリーズ番号 1334
編著者名
編集機関
福岡市教育委員会
発行機関
福岡市教育委員会
発行年月日 20180326
作成機関ID 40130
郵便番号 8108621
電話番号 0927114667
住所 福岡県福岡市中央区天神1丁目8番1号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 千里大久保遺跡
遺跡名かな せんりおおくぼいせき
本内順位
遺跡所在地 福岡県福岡市西区大字千里大久保85-1
所在地ふりがな ふくおかけんふくおかしにしくおおあざせんりおおくぼ
市町村コード 40135
遺跡番号 2892
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 333335
東経(世界測地系)度分秒 1301459
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.559722 130.249722
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20160706-20160723
調査面積(㎡)
593
調査原因 記録保存調査(太陽光発電所建設)
遺跡概要
種別
集落
古墳
時代
弥生
古墳
主な遺構
古墳
土壙墓
竪穴住居
土坑
小穴
主な遺物
弥生土器
土師器
須恵器
土製品
石製品
鉄製品
特記事項 3基の古墳を調査。1号墳第1主体部では3体分の人骨が出土。3号墳の箱式石棺棺外で鉄製直刀が出土。
要約 調査地点は、福岡県立筑前高校の南東側に位置し、高祖山北西麓から南東から北西方向に延びる痩せた尾根上にある。3箇所の地形変換部において古墳3基を確認、調査を実施した。すべて円墳と推定され、1号墳は2つの主体部があり、第1主体部は組合式箱式石棺、第2主体部は竪穴式石室である。2号墳の主体部は竪穴式石室、3号墳は組合式箱式石棺である。石室内では遺物は出土しなかったものの、古墳に伴う遺物としては、3号墳石棺墓から棺外副葬の鉄製直刀が出土し、2号墳の周溝内からはベンガラを充填した小壷が出土した。また、1号墳第1主体部では3体分の人骨を確認した3基の古墳の築造時期は3号墳が5世紀前葉頃、2号墳が5世紀中葉頃、1号墳が5世紀後葉頃に位置付けられるものと推測され、尾根の高所から順に築造されたものと考えられる。調査地の周辺で本格的に群集墳が築造され始める6世紀前半に先行する小型古墳群として位置づけられる。また、1号墳墳丘下で検出した、弥生時代中期頃の所産と考えられる竪穴式住居や土坑等の存在や試掘調査および踏査時に採集した弥生時代中期後葉~末頃の遺物群の存在は、尾根上や谷部周辺にこの時期の集落や墓地が存在したことを示唆するものである。今回の調査では、当地周辺の弥生時代から古墳時代にかけての土地利用の変遷、集落・墓地の様相を窺い知る成果を得られた。

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