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尾高城跡3 ‐山下地区の調査‐

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/62723
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.62723
引用表記 一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室 2019 『一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財発掘調査報告書15:尾高城跡3 ‐山下地区の調査‐』一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室
一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室 2019 『尾高城跡3 ‐山下地区の調査‐』一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財発掘調査報告書15
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書名 尾高城跡3 ‐山下地区の調査‐
発行(管理)機関 (一財)米子市文化財団 - 鳥取県
書名かな おだかじょうあと3 ‐さんげちくのちょうさ‐
副書名
巻次
シリーズ名 一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財発掘調査報告書
シリーズ番号 15
編著者名
編集機関
一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室
発行機関
一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室
発行年月日 20190327
作成機関ID 31202
郵便番号 683-0011
電話番号 0859262455
住所 福市281番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 尾高城跡 第3次
遺跡名かな おだかじょうあと
本内順位
遺跡所在地 鳥取県米子市尾高
所在地ふりがな とっとりけんよなごしおだか
市町村コード 312029
遺跡番号 68
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 352515
東経(世界測地系)度分秒 1332439
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.420833 133.410833
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20171113-20171214
調査面積(㎡)
360
調査原因 歩道設置工事
遺跡概要
種別
城館
時代
縄文
中世(細分不明)
主な遺構
土塁
通路
自然流路
主な遺物
縄文土器
陶磁器
土師質土器
特記事項
要約 尾高城跡は、米子平野の東部に位置し、大山山麓からなだらかに広がる台地の縁辺部にあり、山下地区はその台地の裾部に位置する。今回の調査では、土塁2基と通路を検出した。本調査地の北東側に隣接する既往の調査地でも、両側を土塁によって防御された通路が検出されており、既往の調査と合わせると土塁Ⅰと通路は約20mを確認したことになる。また、昭和53年度調査では、当初、土塁Ⅰと土塁Ⅲにより防御された通路が構築され、その後、土塁Ⅲを削平し、通路を埋め立てて、土塁Ⅱを構築して通路を拡張したことが明らかとなっている。本調査地でも通路が一気に雨られた状況を呈しており、昭和53年度調査と同様に通路を拡張したと考えられる。通路を拡張した時期は、土塁Ⅱの帰属時期から16世紀後半から17世紀初頭と考えられる。土塁Ⅱよりも南東側は、16世紀代に平場が造成されているが、平場からは中世の遺物の出土はごくわずかであり、遺構も認められないことから、居住域としては機能していなかったと考えられる。

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