奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41489 件
( 発行機関数 759 機関 )
現在の書誌登録数
132563 件
( 前年度比 + 1889 件 )
( 発行機関数 1918 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147727 件
( 前年度比 + 2285 件 )
現在の文化財論文件数
120647 件
( 前年度比 + 1654 件 )
現在の文化財動画件数
1314 件
( 前年度比 + 130 件 )
( 登録機関数 118 機関 )
文化財イベント件数
1263 件
( 前年度比 + 214 件 )
※過去開催分含む
報告書種別一覧 > 埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等 > 首都圏中央連絡自動車道埋蔵文化財調査報告書

首都圏中央連絡自動車道埋蔵文化財調査報告書

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/139573
引用表記 公益財団法人千葉県教育振興財団 2024 『千葉県教育振興財団調査報告797:首都圏中央連絡自動車道埋蔵文化財調査報告書』公益財団法人千葉県教育振興財団
公益財団法人千葉県教育振興財団 2024 『首都圏中央連絡自動車道埋蔵文化財調査報告書』千葉県教育振興財団調査報告797
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=潔|last=今泉|first2=昂博|last2=小林|title=首都圏中央連絡自動車道埋蔵文化財調査報告書|origdate=2024-03-22|date=2024-03-22|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/139573|location=千葉県四街道市鹿渡809-2|series=千葉県教育振興財団調査報告|volume=797}} 閉じる
ファイル
書名 首都圏中央連絡自動車道埋蔵文化財調査報告書
発行(管理)機関 (公財)千葉県教育振興財団文化財センター - 千葉県
書名かな しゅとけんちゅうおうれんらくじどうしゃどうまいぞうぶんかざいちょうさほうこくしょ
副書名 多古町千田の台遺跡(2)
巻次 46
シリーズ名 千葉県教育振興財団調査報告
シリーズ番号 797
編著者名
編集機関
公益財団法人千葉県教育振興財団
発行機関
公益財団法人千葉県教育振興財団
発行年月日 20240322
作成機関ID
郵便番号 2840003
電話番号 0434228811
住所 千葉県四街道市鹿渡809-2
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 千田の台遺跡(2)
遺跡名かな ちだのだいいせき
本内順位
遺跡所在地 千葉県香取郡多古町千田字屋倉153ほか
所在地ふりがな ちばけんかとりぐんたこまちちだあざやぐら153ほか
市町村コード 12347
遺跡番号 020
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 354250
東経(世界測地系)度分秒 1402642
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.713888 140.445
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20210518-20211124
調査面積(㎡)
2346
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
散布地
時代
縄文
主な遺構
陥穴3
主な遺物
土器(早期~後期)
石器
特記事項
種別
散布地
時代
弥生
主な遺構
主な遺物
土器(前期~後期)
特記事項
種別
集落
時代
古墳
奈良
平安
主な遺構
竪穴住居跡13
土坑23以上
溝1
主な遺物
土師器
須恵器
灰釉陶器
墨書
土製品
石製品
金属製品
特記事項
種別
集落
時代
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
掘立柱建物跡15
柵列2
地下式坑4
墓坑2
井戸1
溝8
台地整形区画2
土坑758以上
小ピット371以上
主な遺物
土器類
陶磁器類
石製品
金属製品
銭貨
特記事項
要約 千田の台遺跡は、太平洋に注ぐ栗山川の支流である高谷川と多古橋川に挟まれた標高40mの台地上に立地する。7世紀中葉から集落が営まれ、7世紀後葉~8世紀前葉に集落の盛期を迎え、その時期に斜行する溝も開削される。9世紀後葉になって再び集落規模が拡大し、第2のピークとなる。以降、規模を縮小させて10世紀代には集落はほぼ終焉すると考えられる。また10世紀代を中心に直径1m程度の土坑群が集落景観に加わる。周辺の境貝塚や芝山町山ノ台遺跡でも同時期の集落が展開しており、これらとの関連も注目される。
 中世になると、造営方位が20°ほど西偏した、掘立柱建物・溝などの遺構群が、台地一帯にあらわれる。また合わせて台地整形区画も築かれる。その縁辺には地下式坑を伴うことがわかり、こうした状況は1次調査の調査成果と一連のものになると考えられる。地下式坑の出土資料からは15世紀後半~16世紀前半の時期と考えられ、中世の遺構群はほぼこの時期におさまるであろう。こうした趨勢は、近隣の境砦跡の消長とも同調するものであると考えられる。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 95
ファイルダウンロード数 : 0

全国のイベント

外部出力