奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41250 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132432 件
( 前年度比 + 1747 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147562 件
( 前年度比 + 2122 件 )
現在の文化財論文件数
120576 件
( 前年度比 + 1581 件 )
現在の文化財動画件数
1299 件
( 前年度比 + 115 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む

北小松遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/99769
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.99769
引用表記 宮城県教育委員会 2021 『宮城県文化財調査報告書254:北小松遺跡』宮城県教育委員会
宮城県教育委員会 2021 『北小松遺跡』宮城県文化財調査報告書254
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=章太郎|last=小野|first2=力|last2=西村|title=北小松遺跡|origdate=2021-03-19|date=2021-03-19|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/99769|location=仙台市青葉区本町3-8-1|ncid=BC07056453|doi=10.24484/sitereports.99769|series=宮城県文化財調査報告書|volume=254}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 北小松遺跡
発行(管理)機関 宮城県教育委員会 - 宮城県
書名かな きたこまついせき
副書名 田尻西部地区ほ場整備事業に係る平成22年度発掘調査報告書
巻次
シリーズ名 宮城県文化財調査報告書
シリーズ番号 254
編著者名
編集機関
宮城県教育委員会
発行機関
宮城県教育委員会
発行年月日 20210319
作成機関ID 041017
郵便番号 9808423
電話番号 0222113685
住所 仙台市青葉区本町3-8-1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 北小松遺跡
遺跡名かな きたこまついせき
本内順位
遺跡所在地 宮城県大崎市田尻小松字岩田東ほか
所在地ふりがな みやぎけんおおさきしたじりこまつあざいわたひがしほか
市町村コード 04215
遺跡番号 38005
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 383709
東経(世界測地系)度分秒 1410035
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 38.619166 141.009722
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20100426-20110203
調査面積(㎡)
6412
調査原因 記録保存調査 試掘・確認調査
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
弥生
主な遺構
掘立柱建物跡
竪穴状遺構
石斧集積遺構
埋葬犬骨
遺物包含層
主な遺物
縄文土器
弥生土器
土製品
石器
石製品
骨角牙製品
漆製品
柱材
人骨
動物遺存体
植物遺存体
特記事項 縄文時代晩期中葉から弥生時代前期の居住・倉庫域と犬の墓域、遺物包含層等で構成される大規模集落
要約  北小松遺跡は、宮城県北部にある大崎平野(大崎低地)の北縁部の谷底平野に位置する大規模な遺跡である。ほ場整備事業に係る発掘調査の結果、丘陵の縁辺部で縄文時代晩期中葉から弥生時代前期を主体とする掘立柱建物跡や竪穴状遺構、石斧集積遺構、埋葬犬骨、遺物包含層などを検出した。掘立柱建物群は2箇所、遺物包含層は5箇所で検出し、過去に調査したものも含めると、本遺跡では丘陵に沿って12地点で遺構や遺物包含層を検出している。
 今回の調査で確認した居住・倉庫域は丘陵上から裾部に形成され、おもに掘立柱建物群からなる。建て替えを含む 43 棟の掘立柱建物跡を検出した F-23 区では、丘陵の縁辺に沿って建物跡が重複して弧状に並び、丘陵上にあるその中央部は広場として利用されたものとみられる。この建物群の西から南側には遺物包含層が広がる。遺物包含層の堆積により、丘陵に接続するように微高地状の平坦な地形が形成され、この微高地の落ち際から斜面にかけて、イヌの墓域が形成される。これらの遺構は縄文時代後期後葉から弥生時代前期中葉にかけて形成され、特に晩期中葉から後葉にかけて多くの施設が営まれたものとみられる。
 遺物包含層からは、縄文時代早期中葉から弥生時代前期中葉の遺物が出土している。遺物量が特に多い、東 C・D 丘陵間遺物包含層では、土器や土製品、石器・石製品のほか、骨角牙製品や漆製品、柱材などの有機質の製品や動植物遺存体が多量に出土した。これらの主体となる時期は、晩期中葉から末葉である。一方で、弥生時代前期になると遺物は少なくなり、間もなくして本遺跡の低地部を含む周辺一帯が大規模洪水による堆積物により覆われ、これらの遺構・遺物は地下に良好に残されることとなる。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 616
ファイルダウンロード数 : 1051

全国のイベント

外部出力