文化財建造物の維持管理データベースの構想試案

井川 博文 ( 文化庁 文化資源活用課 文化財調査官 )

A Conceptual Framework for a Maintenance and Management Database of Cultural Property Buildings in Japan

Ikawa Hirofumi ( Agency for Cultural Affairs, Government of Japan )
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データ登録機関 : 奈良文化財研究所 - 奈良県
詳細ページ表示回数 : 143
井川博文 2025 「文化財建造物の維持管理データベースの構想試案」 『デジタル技術による文化財情報の記録と利活用』 XR・LiDAR・3D・デジタルアーカイブ・知的財産権 https://sitereports.nabunken.go.jp/online-library/report/87
 本論は、文化財建造物の維持管理において顕在化している目視点検依存や人材不足などの課題を解決するため、AIによる損傷検出と3Dモデルを連携させたデータベースの構築を提案する。画像解析AIで微細な劣化を効率的に捉え、時系列で変化を追跡可能な3Dモデルと併せることで、劣化情報を一元管理し、補修計画の最適化や専門家知見の共有を図る。これにより、限られた資源でも文化財を持続的に保存・活用できる次世代の維持管理体制を目指す。
目次

1. はじめに

 日本には多くの文化財建造物が存在し、その保存と次世代への継承は重要な課題である。しかし現在の維持管理手法にはいくつかの問題が指摘されている。まず、定期的な点検は主に専門家による目視点検に依存しており、時間と労力を要する。また、微細な損傷の見落としや人為的な記録ミスが起こり得るなど、従来手法には限界がある。さらに、文化財の保存現場では熟練技術者の高齢化と後継者不足が深刻化しており、維持管理の担い手が減少している。このような状況下で、限られた人員でも効率的かつ的確に文化財を守る新たな仕組みが求められている。

 近年、この課題に対しAI(人工知能)技術や3Dモデリングなどデジタル技術の活用が注目されている。画像認識を用いたAIは、従来困難だった微細な損傷の検出を高精度に行えるため、保存作業の精度と効率を飛躍的に向上し得ると期待されている。また、デジタルアーカイブや3次元モデル化によって文化財の形状や状態を詳細に記録・共有する取り組みも進んでおり、災害など有事の際の復旧活動や広範な公開にも資する有効な手段となっている。

 本論文では、以上の背景を踏まえ、AI技術と3Dデジタル技術を組み合わせた新しい文化財建造物維持管理データベースの構想を提案する。まず、令和4年度までに文化庁が行った文化財建造物の維持管理に関する調査研究を概観し、従来手法の問題点と今後の課題を整理する。続く第3節では、本研究に関連する先行研究として、AIによる損傷検出技術やIoT・3Dモデリング・デジタルアーカイブの現状、および3Dモデルと維持管理の統合技術に関する事例を紹介する。第4節で本研究が提案する手法の詳細(データベースの構成、画像解析AIの適用方法、3Dモデル連携、運用モデル)を述べ、第5節で提案手法の有効性や実装上の課題、現場での活用可能性について考察する。最後に第6節で結論と今後の展望を示す。


2. 令和4年度までの調査研究の概要と維持管理における課題

 文化庁では、文化財建造物の維持管理にAIなどを活用する調査研究を令和2年度から4年度にかけて行った(注1)。ここでは令和4年度までの主な取組内容と、各研究で指摘された課題を整理する。

 初年度となる令和2年度(2020)には、重要文化財の木造建造物(こけら葺き屋根)を対象にパイロット研究が実施された。雨漏りなど屋根の劣化が建造物全体の保存に直結することから、屋根画像のAI解析による劣化状態の診断に焦点を当てたものである。藤井義久教授(京都大学 大学院農学研究科 森林科学専攻)と藤原裕子研究員(京都大学 生存圏研究所 居住圏環境共生分野)らの専門家の協力のもと、破損箇所にタグ付けした多数の屋根写真をAI(ディープラーニング)の教師データとして準備し、劣化度合いを識別するセグメンテーション型のモデルを構築した。この結果、AIによる屋根破損画像の認識が概ね可能であることが確認されたものの、十分な精度を得るには専門家による大量のアノテーション作業が必要で、作業負担が大きいことが課題となった。実際、令和2年度の研究まとめでは、「AI画像解析の判定精度向上」および「アノテーション作業の効率化」が重要な課題として挙げられている。さらに、AIが出力した劣化判定を鵜呑みにせず専門家の判断を補完するものと位置付けるべきことや、損傷の深刻度や種類を判定する機能の検討も今後のテーマとされた。

 令和3年度(2021)は瓦屋根に着目して研究が行われたが、前年の課題を踏まえ手法の改善が試みられた。当初は画像を分類型AIで正常/不良に振り分けるアプローチを検証したものの、瓦の破損パターンを十分捉えられず有効ではなかった。そこで専門家の提案により、瓦のずれによる「隙間」に注目した検出型AIモデルに切り替えた経緯がある。またこの年度には、スマートフォンアプリを活用した点検の実証や、AI用データ蓄積方法の整理も行われており、現場で撮影した画像や点検記録簿・修理票といった既存データの扱いについて検討がなされた。令和3年度の成果として、瓦屋根画像に対するAI検出の有用性が一定示された一方、2次元画像のみでは撮影角度の影響で見落としが発生するなど精度向上に限界があることが報告されている。この反省から「今後は3次元データの活用も想定される」と指摘され、オープンソースの文化財管理プラットフォーム「Arches」が点群データや3Dモデルデータを取り込んで劣化状況を管理した事例等の調査も行なった。すなわち、従来の2D写真による記録に加えて3Dモデルと紐付けた管理が、次世代の維持管理手法の鍵となる課題として浮上した。

 令和4年度(2022)には、上記の知見を踏まえて文化財建造物維持管理データベースの具体的構想が検討された。この調査研究では、AI画像解析モデルの実証と並行して、維持管理システム全体の要件定義が行われた。提案されたデータベース構想では、当面AIで解析する対象を屋根に限定しつつ、基本情報、修理履歴、画像データ、AI判定結果などを一元管理する設計が示された。また、専門家の知見をシステムに反映するため、AIの劣化判定は「異常の有無」に留め、最終判断は専門家が行うという役割分担も前提条件として明記された。これはAIが熟練者の判断を代替するのではなく、あくまで補助し効率化することを目的としている。令和4年度の報告書では、試験運用の位置付けやクラウド環境(AWS)でのシステム実装案、概算コスト試算なども提示されており、実用化に向けた具体的課題(他システムとの連携、セキュリティ、運用体制等)の洗い出しが進められた。

 以上、令和4年度までの調査研究を通じて明らかになったのは、目視点検中心の現行手法では効率・精度面に限界があること、AIによる画像解析は有望だが精度向上や専門家知見との融合が課題であること、そして3Dデータを含む包括的なデータベース構築が今後の方向性として有望視されていることである。これらを踏まえ、本研究ではAIと3Dモデルを統合した維持管理データベースの具体像を提示し、これまでの課題に対する解決策を提案する。


3. 関連する先行研究のレビュー

3.1 AIによる文化財建造物の損傷検出技術

 文化財の保存分野でAI(人工知能)を活用する研究は近年世界的に活発化している。画像認識技術の進歩により、写真から劣化や損傷を自動的に検出・評価する試みが多く報告されている。例えば、深層学習を用いたマスクR-CNN(Mask R-CNN)モデルで瓦の損傷箇所をセグメンテーション(領域抽出)した研究(注2)では、適切に学習させることで平均適合率0.975という高い精度で破損領域を検出できたと報告している。これはAIによる自動損傷検出が一定の実用水準に達しつつあることを示す。一方で、複雑な幾何学形状をもつ深刻な損傷の検出には課題が残り、さらなる教師データの拡充と最新手法の適用によって改善の余地があるとも指摘されている。このように、AIは従来人間が見落としがちな微細なひび割れや劣化を高精度に検出できる一方、極端なケースへの対応や汎用性確保のためには引き続き研究開発が必要とされる。

 日本においても、橋梁やトンネル等のインフラ点検向けにAIでコンクリートのひび割れを検出するシステムが実用化段階にある。例えば富士フイルムの提供するひび割れ検出AI「ひびみっけ」では、高解像度カメラやドローンで撮影したコンクリート表面の画像をAI解析することで、肉眼では見づらい微細なクラックも自動で抽出し、幅や長さを計測・図面化することが可能である。実験では、人間の技術者がひびを抽出してデータ化するのに14.5時間要した作業を、AIならば大幅に短縮(富士フイルム社のHPによると5.5時間に短縮)できることが示されている。これら産業界の取り組みは、文化財建造物にも応用できる基盤技術といえる。AIを活用した損傷検出技術は点検作業の省力化と精度向上に寄与する強力な手段であり、文化財保存の現場においても十分実用可能なレベルに近づきつつある。今後は、文化財特有の素材(木材、漆喰、瓦等)や経年劣化パターンに合わせてAIモデルを最適化し、専門家の知見を組み込んだ判断基準をセットで整備することで、一層信頼性の高い損傷検出システムが構築できるだろう。

3.2 文化財保存におけるIoT・3Dモデリング・デジタルアーカイブの現状

 AIによる画像解析と並んで、Io T技術や3Dモデリング、デジタルアーカイブも文化財の保存管理に革新をもたらしている分野である。IoTセンサーは、これまで人間が手作業で行っていた環境モニタリングや構造健全性の監視を自動化できる。例えば歴史的建造物内に温湿度や照度センサーを設置し、温度・湿度変動が文化財に与える影響をリアルタイム分析して最適な環境管理を行う試みがある。AIは大量のセンサーデータからパターンを発見し、カビ発生のリスクや材質劣化の兆候を早期に捉えて警告を発することが可能である。このように環境データ×AIによる予防保全は、文化財の劣化を未然に防ぐ新たなアプローチとして注目されている。

 さらに、地震など構造的リスクに対しては振動センサーや歪み計を用いたモニタリング技術が開発されている。名古屋市立大学を中心とした研究チーム(注3)は、大規模地震後に損傷した石造建造物の構造安全性を評価するため、光学的3D計測(レーザースキャン)と振動モニタリングデータに機械学習を適用するプロジェクトを進めている。具体的には、高感度加速度センサーを石積みに配置し、常時の微振動や地震時の応答を長期取得して異常検知モデルで解析するとともに、定期的に3Dスキャンした点群データから表面の変位や亀裂発生を検出するという。初年度にはモバイルLiDARで効率的に現状の3Dモデルを構築し、取得した点群データの異常(経年変化や損傷)を深層学習で検知する手法を検証している。また振動特性の変化から材料の劣化を逆推定し、3Dモデルに反映する試みも行われている。このようなIoTセンサー×AI×3Dの融合は、文化財建造物をデジタルツインとして捉え、遠隔かつ継続的に見守る未来志向の取り組みと言える。

 一方、3Dモデリングとデジタルアーカイブは文化財保存の分野で既に一定の実績を上げている。1990年代以降、写真測量やレーザー計測の発達により、美術品から建造物まで様々な文化財を高精細なデジタルデータとして記録するプロジェクトが世界的に進められてきた。例えばユネスコやグローバル企業が連携して、危機遺産の3次元記録(デジタル遺産)をオンライン公開する動きもある。日本国内でも近年、ドローンと写真測量技術を組み合わせて城郭や寺院を3Dモデル化し、保存する試みがなされている。この試みでは高精度のLiDARスキャナを用いて、建物の屋根から内部・細部に至るまで数千万点規模の点群データとして取得し、それをもとに詳細なポリゴンモデルを生成している。誤差数ミリ単位で実物を再現できるため、有事に文化財が被災した時には、デジタルデータから被災範囲を精密に検証することも可能である。また、取得した3DモデルはVR(仮想現実)コンテンツとして一般公開することで、文化財の魅力発信や教育普及にも役立てることが可能である。一方で課題として、大規模な3Dデータの保管・管理コストや、各プロジェクトでフォーマットが異なることによるデータ互換性の問題などが指摘される。

3.3 3Dモデルとの連携を活用した文化財管理技術

 前節で述べた3Dデータの活用は、単に記録・保存するだけでなく、維持管理データベースと連携させて活用する動きが現れている。代表的な例が、米国ゲッティ財団が開発したオープンソースの文化遺産管理システム「Arches」である。Archesは地理空間情報を扱えるWebベースのデータプラットフォームで、世界各地の文化財台帳システムに採用され始めている。中国敦煌の石窟群ではArchesを基盤にして省全体の石窟情報を一元管理する遺産目録システムが構築され、各石窟の基本情報や保存状態の定期評価をデータベース化している(注4)。このシステムでは、文化財(石窟)そのものの3D点群データや高精細画像だけでなく、劣化の所見や修復履歴、担当者情報なども紐付けられれるようにして、セマンティックなグラフモデルによって多角的な情報検索・可視化が可能となっている。標準化されたデータモデルの上に構築されているため、データの互換性と長期保存性も高く評価されている。さらに、フロリダ州の文化遺産監視プロジェクトではArchesに市民参加型で現場写真を投稿し、危機に瀕する遺産のモニタリングに活用する取り組みも報告されている(注5)。このように3Dモデルを含む包括的データベースとWeb技術を組み合わせることで、文化財の保存・管理・活用を一体的に支援する先行事例が蓄積されつつある。

 また、建築分野で発達したBIM(Building Information Modeling)技術を歴史的建造物の維持管理に応用する研究も進んでいる。例えば櫻井一弥氏らの研究(注6)では、文化財建造物の実測点群データからBIMモデルを構築し、修繕計画の立案や維持管理への活用方法を検討している。BIMは元来、新築建物の設計・施工から維持管理まで一貫して情報管理する手法であるが、既存の文化財建造物に適用すれば、過去の図面が無い場合でも詳細な3Dモデルを起こして将来の改修計画に役立てることができる。この研究では従来手法と写真測量、3Dスキャンを比較し、短時間で高精度な記録が可能であることを示すとともに、得られたBIMデータを修繕履歴や部材情報と関連付けて管理する枠組みを提案している。BIM化されたモデル上で時系列の修理履歴を追跡できれば、過去にどの部位をどのように修繕したかが一目で分かり、将来の補修判断にも役立つ。さらにクラウド上でこのモデルを共有すれば、関係者間で情報をリアルタイムに更新・閲覧でき、遠隔地から専門家がアドバイスすることも可能となる。これはAI・3Dモデル統合型データベースにも通ずる考え方であり、先行研究の知見を大いに参考にできる。

 以上の先行研究レビューから、本研究の提案するアプローチの有用性が裏付けられる。すなわち、AIによる損傷検出と3Dモデルを核としたデータ統合を組み合わせることで、文化財建造物の維持管理はより精緻かつ効率的になると考えられる。次節では、これらの知見を踏まえた提案手法について具体的に説明する。


4. 提案手法

 本節では、文化財建造物の維持管理に関する新たな提案手法として、AI技術と3Dモデルを統合的に活用した維持管理データベースの構築について述べる。提案手法は、第2節と第3節で見てきた課題を解決するため、(1)多様な情報を一元管理するデータベース、(2)画像解析AIによる損傷自動検出、(3)3Dモデルと連携した時系列管理、の三つの柱で構成される。さらに、これを現場で運用する際のワークフロー(運用モデル)についても示す。

4.1 データベースの構成要素

 提案する維持管理データベースは、文化財建造物に関する情報を集約し、関係者が必要なデータを迅速に参照・更新できるプラットフォームである。特に以下のような情報層を設け、それぞれを相互に関連付けて管理することを想定している。

  • 基本情報:建造物の名称、所在地、文化財指定の種別(国宝・重文等)、構造形式、建立年や寸法などの基本的属性データ。
  • 修繕・点検履歴:過去に実施した保存修理工事の内容・年月日・担当者、修理報告書の情報、定期点検の記録(劣化の所見や対応方針)など。これら文章や記録簿のデータをデジタル化して蓄積し、時系列で検索・参照できるようにする。
  •  画像・センサー情報:定期点検時に撮影された高精細画像、ドローン空撮画像、細部劣化箇所のアップ写真、ならびに設置されたIoTセンサー(温湿度、振動、傾斜計など)のモニタリングデータ。画像には撮影日時・場所・方向、使用機材などのメタデータを保存し、センサーデータはタイムスタンプ付きの時系列データとして管理する。
  •  AI解析結果:後述する画像解析AIが出力した損傷検出結果や評価指標。具体的には、検出した劣化箇所の位置(画像上の座標)、種別(ひび割れ、変色、部材欠損など分類ラベル)、劣化度(例えばひび幅や剥落面積)、確信度スコア等である。これらは元画像や3Dモデル上の位置とリンクさせて記録し、過去の解析結果と比較できるようにする。
  •  3Dモデル:対象建造物全体の三次元データ(例:レーザースキャンによる点群、ポリゴンメッシュモデル、BIMデータ等)。モデル上には重要部材の名称や位置情報を付与し、上記の劣化検出箇所をマーキングして可視化する。可能であれば時系列でモデルをバージョン管理し、劣化の進行を3D空間上で再現できるようにする。

 以上の要素を有機的に結び付けることで、たとえば「ある部材の5年前からの損傷の変遷」や「最新の点検写真に対応する過去の修理履歴」といった横断的な検索・分析が可能となる。


表1:提案データベースにおける主な情報構成要素と内容例

4.2 画像解析AIの適用手法

 本システムの中核となるのが、蓄積された画像データに対する損傷検出AIである。提案手法では、目視に代わる自動判定ツールとしてディープラーニングを用いた画像解析モデルを組み込み、定期点検時に撮影された写真から劣化兆候を見逃さず抽出することを目指す。以下に適用手法の概要を示す。

(1)撮影と前処理

 点検者(文化財担当職員や技術者)は、決められたポイントから建造物を撮影する。ドローンを用いる場合は、文化財周辺での安全確保・許可取得に留意しつつ、屋根や高所の細部まで撮影を行う。撮影画像はデータベースにアップロードされ、AI解析に先立って前処理が施される。具体的には画像の歪み補正、解像度の標準化、ノイズ低減、必要に応じたコントラスト調整などを行い、各画像に撮影位置・方向のメタデータを付与する。

(2)損傷検出AIモデル

 前処理後の画像に対し、ディープラーニングを用いたインスタンスセグメンテーション手法(例:Mask R-CNN、U-Net等)を適用し、画像内の劣化箇所を検出する。各損傷箇所について、種別(ひび割れ、変色、部材欠損など)、劣化度(例:ひび幅、面積)、確信度スコアを算出する。学習時は、文化財特有の多様な条件下の画像を豊富に取り入れ、転移学習やデータ拡張を行い、モデル精度の向上を図る。

(3)解析結果の評価と保存

 AIモデルが出力した結果は、検出箇所にバウンディングボックスやマスクを付与し、劣化の種類や定量的な情報として記録される。担当者はインターフェース上で結果を確認し、必要に応じて訂正を加え、最終的な確定データをデータベースに保存する。ここでは、各劣化箇所の画像内座標や3Dモデル上の位置情報、検出日時、使用モデルのバージョンなども記録する。

4.3 3Dモデルとの統合による時系列データ管理

 提案手法の特徴は、画像解析AIが検出した劣化情報を、対象建造物の3Dモデルと統合して管理する点にある。各画像の撮影位置・方向データをもとに、劣化箇所を3D空間上にマッピングし、時間経過による劣化の進行を可視化する。これにより、例えば「ある屋根の軒先が年々垂下している」といった時系列変化を直感的に把握可能とする。Webブラウザ上で動作する3Dビューア(例:Cesium、Three.js)との連携により、ユーザーは任意の時点の劣化状態を確認し、詳細情報にアクセスできるようになる。

4.4 維持管理システムの運用モデル

 本システムは、文化財所有者、現場点検者、専門家、行政担当者などの関係者がクラウド上で情報共有できるプラットフォームとして運用される。

【運用フロー例】

1. 定期点検時に、現場点検者が所定箇所の撮影を行い、画像データをクラウドにアップロード。

2. アップロード後、AI解析が自動実行され、暫定的な劣化検出レポートが生成される。

3. 現場点検者がレポート内容を確認し、必要に応じて修正。

4. 専門家が遠隔でデータを精査し、最終的な点検結果を確定。

5. 確定結果は、維持管理データベースに登録され、行政担当者が修理計画等に活用する。

6. 3Dビューアを通じ、時系列で劣化の進行状況を可視化し、優先的な補修対象の決定に役立てる。


5. 考察

5.1 提案手法の有効性と先行研究との比較

本提案のAI+3Dモデル統合型データベースは、従来の目視点検に依存する手法と比較して、点検効率と精度の向上が期待できる。AIによる自動解析は、従来の作業時間を大幅に短縮し、専門家の主観に頼らない定量的評価を可能にする。また、3Dモデルとの統合により、劣化の時系列変化が一元管理され、修理の優先順位付けが容易になる。先行研究との比較では、Arches等の既存システムが台帳管理に重点を置く中、本提案は画像解析AIの結果を直接反映し、より自動化された維持管理を実現する点で独自性がある。

5.2 実装上の課題

提案手法の実用化に向け、以下の課題が残る。

  • データの多様性とAIモデル精度: 文化財特有の多様な劣化パターンを十分に学習させるため、教師データの拡充とAIの学習プロセスが必要。
  • 撮影・計測環境の制約: ドローン撮影などに伴う法規制や現場環境の制約を考慮し、複数のセンサーを併用する必要がある。
  • 人材と組織の受容性: データベースの策定にともなう専門家への教育・ガイドライン整備が求められる。
  • コストと持続性: 3Dモデルを作成する最初の段階で高精度な機材を導入するイニシャルコストと、クラウドシステムの運用コストの確保などの、継続的な費用負担が課題である。
  • 互換性・標準化: 中長期的に3Dデータ等をほかの用途で用いる上でのデータ互換性の確保が必要。

5.3 現場における活用可能性

 提案システムは、限られた人材で多数の文化財を管理する自治体や寺社において、点検の効率化と早期劣化発見を実現するポテンシャルを持つ。また、緊急時の迅速な状況把握や、デジタルツインとしての活用により、文化財の保存と活用の両面で効果が期待される。デジタル化による情報共有は、専門家間のナレッジ共有を促進し、結果として保存技術の標準化にも寄与する。


6. 結論

 本論では、日本の文化財建造物の維持管理における現状の課題(目視点検の限界、技術者の高齢化・担い手不足など)を踏まえ、AI技術と3Dデジタル技術を活用した新しい維持管理データベースの構想を提案した。提案手法は、画像解析AIによる損傷検出と3Dモデル統合データベースの組み合わせにより、劣化情報の高精度な把握と一元管理を実現し、効率的かつ予防的な文化財の見守りを目指すものである。

 本論文ではまず、令和2~4年度の調査研究に基づき、従来の手法の問題点と今後の課題を整理した。次に、国内外の先行研究をレビューし、AIによる損傷検出技術やIoT・3Dモデリングの進展が示す可能性を確認した。これらの知見を踏まえ、提案する維持管理データベースは、情報の一元管理、定量的評価、時系列の劣化進行の可視化という新たなアプローチを提示した。

 今後は、実証実験を通じて、提案システムの実用化を進める必要がある。これにより、限られた資源でも文化財保存を持続可能にする、次世代の維持管理体制の実現が期待される。


謝辞

 本論文は、筆者が文化庁の「AIを利用した文化財建造物の見守りシステムの調査研究事業」を担当した際の経験が基になっておりますが、個人的な研究としてまとめたものであり、文化庁の取り組みとは関係ありません。研究にご協力いただいた関係各位に深く感謝申し上げます。


注1 文化庁「令和4年度 AIを利用した文化財建造物の見守りシステムの調査研究 業務成果報告書」(2023).

注2 Niannian Wang, Xuefeng Zhao, Zheng Zou, Peng Zhao, Fei Qi (2019) “Autonomous damage segmentation and measurement of glazed tiles in historic buildings via deep learning” (和訳:ディープラーニングによる歴史的建造物の釉薬タイルの自律的な損傷区分と測定).

注3 青木 孝義 他 (2023)「文化財組積造建造物の構造安全性に関するモニタリング技術 研究課題」 名古屋市立大学主導の基盤研究(B)として、2023年4月1日~2026年3月31日の期間に実施中。

注4 Xiaowei Wang, Yipu Gong, David Myers, and Shunren Wang, “ARCHES DUNHUANG: Heritage Inventory System for Conservation of Grotto Resources on the Gansu Section of the Silk Road in China,”(和訳: ARCHES敦煌:中国シルクロード甘粛区間の石窟資源保全のための文化遺産インベントリーシステム) in The International Archives of the Photogrammetry, Remote Sensing and Spatial Information Sciences, Vol. XLVI‐M‐1‐2021, presented at the 28th CIPA Symposium “Great Learning & Digital Emotion”, 28 August–1 September 2021, Beijing, China.

注5 Sarah E. Miller & Emily Jane Murray (2018) “Heritage Monitoring Scouts: Engaging the Public to Monitor Sites at Risk Across Florida,”(和訳: ヘリテージ・モニタリング・スカウト:フロリダ州全域の危機遺産を市民参加で監視する) Conservation and Management of Archaeological Sites, 20(4): 234–260.

注6 櫻井一弥・恒松良純「BIMを用いた文化財建造物の修繕・利活用計画策定と維持管理に関する研究」日本建設情報総合センター研究報告 (2016). 

引用-システム内 :
引用-システム外 :
Cultural data online report map :
井川博文「文化財建造物の維持管理データベースの構想試案」『デジタル技術による文化財情報の記録と利活用7』 - 表1:提案データベースにおける主な情報構成要素と内容例
NAID :
都道府県 :
時代 :
文化財種別 : 建造物
史跡・遺跡種別 :
遺物(材質分類) :
学問種別 :
テーマ : 保存修復 活用手法
キーワード日 : AI画像解析 3Dモデル 文化財建造物 維持管理 データベース 損傷検出 点検効率化 デジタルアーカイブ IoT
キーワード英 : AI Image Analysis 3D Model Cultural Property Buildings Maintenance and Management Database Damage Detection Inspection Efficiency Improvement Digital Archive IoT
データ権利者 : 井川博文
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総覧登録日 : 2025-03-12
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