文化財3Dデータを活用したユニバーサル・ワークショップ「石棒神経衰弱」の挑戦
An Inclusive Workshop Using Cultural Property 3D Data: The Challenge of 'Sekibo Matching Game' for Museum Education
奈良文化財研究所
- 奈良県
はじめに
近年、文化財の3Dデータは記録、保管、公開の目的で蓄積されてきている。しかし、これらのデータが地域の人々や世界中の人々に十分に届けられているとは言い難い。単に蓄積するだけでは、その価値を広く伝えたり、親しみを持ってもらったりすることはできない。そこで、石棒クラブはこの課題に対して、記録、保管のためだけに留めない3Dデータの活用方法を模索してきた。その一つが「石棒神経衰弱」という取り組みである。(図1)
本稿では、石棒神経衰弱がどのように誕生したのか、またどのような内容で、どのような意義があるのかについて紹介し、2024年6月21日開催文化財XRミートアップ奈良等での実践を通じた結果をお伝えする。データ活用に悩む同じ志を持つ皆様にとって、少しでも役立つ情報を提供できればと考えている。

図1 挑戦者求む!石棒神経衰弱
1,石棒クラブとは
石棒クラブは、岐阜県飛騨市が進める関係人口プロジェクトの一環として、2019年に設立した任意団体である。その活動の舞台は飛騨みやがわ考古民俗館である。裏山からは塩屋石が産出されており、縄文時代に石棒の原材料として用いられていたとされる。石棒クラブは、この縄文時代の遺物である“石棒”をシンボルとし、地域住民や考古学に興味を持つ人々が集まり、学びと交流を深める場として機能している。特筆すべきは、飛騨市出身や在住のメンバーに限らず、東京都在住など地縁を持たないメンバーも積極的に参加している点である。これにより、多様な視点が融合し、活動に新たな価値をもたらしている。
石棒クラブの活動内容は多岐にわたる。代表的な取り組みとして、11月11日を「石棒の日」と定め、11月を「石棒強化月間」としてイベントを開催している。また、“一日一石棒”と題したInstagramを活用した写真投稿企画では、ほぼ毎日投稿をした結果、全国的に知られる文化財専門誌『月刊文化財』の表紙にInstagramの写真が採用されるという快挙を成し遂げた。このようなさまざまな取り組みを通じ、縄文時代の中でも特にマニアックとされる石棒の認知度が向上し、飛騨みやがわ考古民俗館の入館者数を6年で5倍に増加させることにつながった。
今回、石棒クラブは“飛騨みやがわ考古民俗館”という枠を越え、さらに多くの人々に“文化財は面白い”と感じてもらうため、新たなコンテンツ“石棒神経衰弱”を企画した。この試みは、石棒クラブのミッションである“石棒をはじめとした文化財の活用を通じて未来の新しいミュージアムの姿を創出すること、そして飛騨市、日本全国、さらには世界の人々に幸せを届けること”を体現するものである。
2,石棒神経衰弱とは
⑴石棒神経衰弱のルール
ここでは石棒神経衰弱のルールについて解説する。図2は石棒神経衰弱の手順とルールをまとめたものである。以下では図中のナンバリングにしたがって、石棒神経衰弱の進め方を説明していく。

図2 石棒神経衰弱のルール
1. ブラックボックスを準備します
2. 石棒を隠します
1と2は中が見えないブラックボックスを用意し、石棒を入れるという準備段階の説明である。ブラックボックスは中身が見えないだけではなく、両手を入れられるよう穴を開けておく必要がある。(図3)
3. ブラックボックスの中の石棒を1本ずつ触ってもらいます
4. 石棒の形状を手ざわりで覚えてもらいます
3と4から石棒神経衰弱の実践に入る。先に準備した石棒入りのブラックボックスの中に、ワークショップ参加者が両手を入れて石棒を触る。そして、手ざわりの感覚だけで石棒の形状を覚えてもらう。ブラックボックスが3個あるなら、3点分の石棒について手の感覚だけで記憶することになる。
5. 別の場所に設置した番号つき二次元コードを読み込みます
6. 石棒の3Dデータをよく観察します テクスチャも外してみよう!
7. ブラックボックスの石棒と3Dデータの石棒のうちどれが一致するかを考えます
5から7は、石棒神経衰弱の神経衰弱の部分である。まず、会場の別の場所に設置した番号付き二次元コードを、参加者のスマートフォンやタブレットで読み取ってもらう。二次元コードを読み取ると、石棒の3Dデータが画面上に表示される。参加者には画面に表示された石棒の3Dデータを観察してもらう。3Dデータなので、テクスチャ(表面の画像情報)を外し、凹凸だけ見えるモードに切り替えてもらうこともできる。一通り観察を終えたら、ブラックボックスの中で触った石棒の感覚と、今見ている3Dデータのどれが一致するのかを考えてもらう。
8. どの二次元コードとブラックボックスが同じ石棒か予測シールをボードに貼っていきます
9. ブラックボックスを開けて答え合わせをします
8と9は石棒神経衰弱の解答方法と答え合わせの説明である。ブラックボックスの前に置かれたボードに、番号付き二次元コードの数字が書かれた予測シールを貼っていく。参加者どうしで相談すると盛り上がるが、ひとりでシールを黙々と貼りつけていっても問題ない。最後にブラックボックスを開けて、中にある石棒を実際に見てみる。触覚と3Dデータの組み合わせから予測した解答と、ブラックボックスの中の石棒は同じものだろうか?答え合わせが始まる。

図3 石棒神経衰弱設置の様子
⑵石棒神経衰弱の意義
次に、石棒神経衰弱の意義について考えてみたい。文化財の3Dデータ公開が急速に一般化しつつある現在では、石棒の3Dデータを用意するだけでは一般的な資料公開と変わらず、3Dデータの「活用」と言うには物足りない。ワークショップにおいても、ただ3Dデータを見てもらうだけでなく、「3Dデータ+α」のアクティビティが要求されることになる。ところで、文化財の3Dデータ活用を議論するにあたっては、どれだけ最新技術を使えているかという点に関心が向きがちであり、技術面の革新=活用の発展、という思考に行きつくことも珍しくない。もちろん、新しい技術を導入して、これまでにない切り口が出てくることは喜ばしいことであるが、もっと文化財やミュージアムの側から、技術をハックする方向性があっても良いだろう。むしろ、文化財との距離が近い石棒クラブや、文化財行政・ミュージアムの関係者が、積極的に技術を乗りこなすことで、文化財の魅力をより引き出すことができるのではないかと考える。技術を乗りこなすということは、新技術を受容するに留まらず、そこからもっと面白い遊び方(語弊があるかもしれないが)を工夫し実践してみることである。
上記の論点を踏まえた上で、筆者含め身近に文化財に触れることができる立場を振り返ると、資料の観察中に、「実物」と「3Dデータ」の間にある落差を体感することが思い出される。この落差で遊ぶことはできないだろうか?
そこで改めて3Dデータの性質について考えてみたい。3Dデータは基本的に画面の中の存在である。もちろん、3Dプリントをはじめ、ARやVRなど様々なコンテンツが提供されているため、それ自体としても十分に楽しめるものである。しかし、ここで指摘せねばならないこととして、文化財に留まらず、そもそもモノは実体として存在しているということが挙げられる。実体を持つモノは、立体物としての3次元情報のみならず、温度や湿り具合のような、3Dデータに落とし込むことの難しい情報も含んでいる。文化財を「体感」するとなると、こうした現代の技術では扱いづらい情報も不可欠となる。
一方で、3Dデータにはテクスチャを抜き去って凹凸を視覚化できるというメリットもある。私たちは肉眼で凹凸を十分に見分けることができない。実際に触って、つるつる、ざらざら、といった感覚として理解することも多い。しかし、3Dデータの場合、テクスチャを外すことで、通常は目に捉えられない凹凸を視覚化することができる。触っていないのに、それが接触時にどのような体感をもたらすものであるのか、ある程度は想像できるのである。
実物には実物のメリットがあり、3Dデータには3Dデータのメリットがある。両者を行き来することで、より理解が深まるということは、考古学研究者が資料の分析を進める際に実感するものである。こうした感覚を、より多くの人に共有できれば、今までとは違う視点から文化財を楽しんでもらうことができるのではないだろうか。実物と3Dデータの行き来によって、文化財への理解が深まることを体感してもらうということが、石棒神経衰弱の持つ第1の意義である。
第2の意義もある。それは、石棒神経衰弱を3Dデータを用いたユニバーサル・ワークショップの素描にしようというものだ。これは第一の意義から派生した発想である。ブラックボックスの中で、手の感覚だけで、石棒を捉える。これは全ての参加者から視覚情報を遮断し、触覚のみで「見る」ことを要求するものである。切り口を変えれば、ここでは視覚という身体感覚に根差さない鑑賞方法を参加者に提供していると言える。先にも述べたように、現在の3Dデータは、画面の中の存在であり、視覚による鑑賞の典型となっている。石棒神経衰弱の参加者は、視覚によらない鑑賞方法を体験したところで、3Dデータと相対することになる。これは、同じモノを前にしながらも、身体感覚をまるごと切り替えていく鑑賞の実践と言える。石棒神経衰弱は、視覚だけが文化財との絶対的な向き合い方ではないことを確認した上で、視覚の先鋒たる3Dデータに対面するという、感覚のあり方を揺さぶる鑑賞の実験としての側面も持つのだ。
現在の石棒神経衰弱のルールでは、身体感覚として触覚と視覚が必要である。まだ実践したことはないが、本物の石棒に触れた後に、3Dデータではなく、3Dプリントした石棒レプリカに触れて、石棒神経衰弱を行うとすれば、完全に視覚を用いない、触覚をさらに分節する(本物の石棒と樹脂製石棒の違いを味わう)ワークショップも実現可能であろう。
全ての人が同じ身体感覚を持つ訳ではなく、その受容器官にも大きな個人差がある。だからこそ、身体感覚の差異を当然のものとした上で楽しめるアクティビティでなくては、ユニバーサル・ワークショップにはならない。石棒神経衰弱の第2の意義は、その実現への第一歩というところにも見出せるだろう。
⑶石棒神経衰弱を行う上での手続きや用意するもの、注意事項
奈良県をはじめ東京都、愛知県等全国各地へ展開している石棒神経衰弱であるが、体験で用いる石棒は県の重要文化財に指定されているため、文化財保護の観点から事務的な手続きが必須である。石棒の住所である飛騨みやがわ考古民俗館から別の場所へ持ち出すような場合には、岐阜県文化財保護条例第6条第3項に基づき所在場所変更届の提出が義務付けられている。この書類によって、変更の原因や移動後の所在の記録を残し、資料の紛失を防いでいる。終了後は記録した持ち出し資料リストと実物を照らし合わせ、全てが問題無く帰ってきたかを確認する。3Dデータと実物の一致ならぬ、リストと実物を一致させる「石棒神経衰弱」が待ち受けているのである。
無論、体験中も資料の保存が運営側の最も重要な役割であるが、石棒神経衰弱において過保存は参加者の娯楽の邪魔にもなり得る。学芸員でなくとも貴重な文化財に触ることができるというある種の優越感のようなものが石棒神経衰弱の醍醐味の一つであることは、参加者の反応から明白である。そのため、その体験を奪うほどの制限をかけると、石棒神経衰弱の意義が果たされない。体験中は参加者に文化財を委ねつつも、資料を扱う上での注意点を伝え監視の目を光らせておく必要がある。(図4)
石棒触り放題という夢のような体験から一気に現実世界に引き戻されるような話であるが、文化財の「活用」は「保存」が大前提で成り立っているのである。文化財と一般の人々との間の距離を狭めることは、博物館や文化財専門職員に求められていることであると同時に、文化財を脅威に晒す行為でもあることを忘れてはならない。

図4 ボックスに付ける注意喚起の貼紙
3,文化財XRミートアップ奈良での実践
⑴開発からミートアップ奈良に参加するまで
石棒神経衰弱の開発は2024年3月17日に名古屋大学で開催された「歴史フェス」というイベントから始まる。石棒クラブでは、以前から文化財のデジタルアーカイブの推進に取り組んでおり、それまで積み上げてきた成果もあり歴史フェスへの出展打診があった。石棒クラブは、基本的に依頼があれば即座に引き受ける精神で活動している。歴史フェスで、石棒クラブに求められたことは、「文化財3Dデータの活用」を紹介することであった。この要請を受けて、石棒クラブのメンバーで出展内容についてのミーティングを行った。その際、突如として「石棒神経衰弱」というワードが飛び出し、内容が決まっていない段階ではあったが、「石棒神経衰弱」で向かうことに決定した。その後、ルールを考えるミーティングを行い、2,石棒神経衰弱で記載したルールが確立された。ルールのほとんどは、名古屋大学大学院人文学研究科の井上隼多氏(本稿の筆頭筆者)が考えたものである。歴史フェスでの、「とりあえずやってみる、とりあえず引き受けるの精神」をかわれてか、続いて文化財XRミートアップ奈良出展の打診をもらい、こちらもその日の内に参加の意思を表明した。このような積極的な対応が、プロジェクトの推進力となっている。
⑵当日の体験者の感想、反応
「石棒神経衰弱」企画説明を聞いた参加者からは、「え、触っていいんですか?」という反応が寄せられた。普段、一般市民が目にする文化財は主にガラスケース内で展示されていることが多く、触覚を通じた体験の希少性が高いことが示唆される。(図5)
実際に体験を終えた参加者からは、「文化財に触れることができて感動した」や「形状だけで当てるのは予想以上に難しかった」といった感想が寄せられた。また、「縄文人はなぜ石棒を製作したのか」といった自然発生的な議論の場面も観察された。この企画は、体験者同士が能動的に「問い」を持ち、議論を促進する機会を提供したといえる。

図5 会場の様子
4,石棒神経衰弱の課題と応用
⑴課題
石棒神経衰弱における最も大きな課題は、通信環境やスマホ操作の得意不得意が体験の質を左右するという点である。インターネット上のサイトに投稿されている3Dデータは読み込みに時間を要し、ロード画面のまま一向にデータが表示されないこともある。そもそも、ネット環境が整備されていない場所では実施することすら叶わない。ネット機器を所有していない人にとっては石棒神経衰弱の機会、すなわち体験という財産が得られず、所有者ー非所有者間でデジタルデバイドが生じてしまう。3Dデータの閲覧方法を変えることが対策として考えられるが、その方法は模索中である。この課題をクリアすることで体験に取り残される者が減り、石棒神経衰弱がユニバーサル・ワークショップへまた一歩近づくと考えられる。
⑵応用
石棒神経衰弱は今までに2通りの方法で実践している。一つ目は初級・中級・上級の3×3レーンにBOXを配置するレベル選択方式、二つ目は複数のBOXを1列に並べる流動方式である。(図6)

図6 2つの方式のイメージ図
レベル選択方式は、全体説明や参加者が体験に専念する時間が与えられている場合に有効である。その時間、参加者は石棒神経衰弱のみを目的としているため、石棒や体験の意義等の説明を踏まえた濃厚な体験をしてもらうことが可能である。さらに、年齢や経験値によって難易度を選択できること、他の参加者と石棒を通じた交流が生まれることがレベル選択方式の特長である。
一方の流動方式は、イベントのブースのように体験者の参加の在り方の自由度が高い場合に採用している。不特定多数の人が立ち寄るため、より幅広い対象に向けた発信が可能である。この方法では、体験者の興味の深浅や方向性が石棒との向きあい方に現れる。全問正解を目指して本気で取り組む人もいれば、普段触る機会のない石棒を触って満足する人、3Dデータに興味を持つ人など様々である。母体イベントの趣旨や会場のスペースに合わせて方式を変えているが、これからも需要に合わせて新たな方式が生まれていくものと思われる。石棒神経衰弱の未来は無限大である。
5,総括
本稿では、石棒クラブが実施してきたワークショップである石棒神経衰弱について、その背景と内容の紹介を行った上で、実務面の状況、参加者による感想、そして課題と将来の応用について述べてきた。石棒神経衰弱というワークショップは、もとは歴史フェスの打診を受けて開催されたオンライン会議で、井上が何気なく発した言葉に由来する(ちょうどスマートフォンの神経衰弱アプリとARアプリで遊んだ直後だったため)。口に出した以上は、次のミーティングまでに形にしなくてはならないということで、何とかワークショップとしてひねり出したものであった。したがって、石棒神経衰弱は、名前が先行した上で、3Dデータ活用のワークショップを設計するという流れで案出されており、ユニバーサル・ワークショップという視点は、意図せざる結果として到達したものということになる。
石棒神経衰弱では、参加者に考古資料へと直に触れる機会を提供している。手触りのみで石棒を把握しなくてはいけないという条件が、参加者間の交流を活発にし、石棒と縄文時代の議論につながる場面も見受けられたことは、石棒神経衰弱が知的好奇心を喚起することに成功した結果とも捉えることができる。そこに、触覚を通じた体験の希少性が作用していることも見逃せない。
ミュージアムが視覚に特権的な立ち位置を付与していることは、ユニバーサル・ミュージアムの議論において、久しく指摘されてきたことである(広瀬2023)。近年はさわることを積極的に打ち出した展示の実践もなされているが、鑑賞者には「さわる展示」を「さわれる展示」として理解されてしまうという課題が指摘されている(黒澤2021)。加えて、晴眼者による触覚展示の設定自体が、視覚に障害のある方に対する一方的な処遇であるという構造上の問題も意識せねばならない(川内2021)。
石棒神経衰弱は、設計段階からユニバーサル・ワークショップを企図したものではなかった。そのため、触覚と視覚の双方を要求するものとなっているが、工夫すれば触覚のみで実践することも可能である。そして、ゲーム性の付与という名目で視覚情報を遮断するため、ブラックボックスに手を入れて触覚で見ることを自然に受け入れてもらうことができる。もし、最初からユニバーサル・ワークショップを考え出そうとしていたら、この流れを作り出すことはできなかっただろう。
ところで、ミュージアムにおける視覚の特権性は、晴眼者からも触覚を通じた鑑賞体験を奪ってきたと言える。仮に触覚展示が準備されていたとしても、晴眼者は自分のための展示品とは考えず、実際にさわる人は少ない。その背後には、鑑賞の本道は視覚であるという前提の上で、他の鑑賞方法を特別視する意識があることは否定できないだろう。逆説的ではあるが、石棒神経衰弱のユニバーサル性とは、触覚による鑑賞を、晴眼者の側にも取り戻したという点にあるのかもしれない。
石棒神経衰弱は、3Dデータの活用も兼ねた、新しい鑑賞方法を作ろうとしたところ、意図せずしてユニバーサル・ワークショップへの入り口を発見したというのが実態である。したがって、ユニバーサル・ワークショップとしては不完全であるし、未完成とも言える。3Dデータに依拠する上では不可避ともいえるデジタルデバイドが、ユニバーサル性を棄損していることも事実であろう。こうした技術面の問題も含め、今後もできるところから改善策と改良案を考え続けていきたい。
おわりに
石棒クラブの「とりあえずやってみる、とりあえず引き受けるの精神」がなくては、石棒神経衰弱というワークショップが世に出ることはなかった。過疎化に対する関係人口の創出という目標を掲げることでもたらされた積極性が、石棒クラブを新しい価値観を生み出す創造的な場にしているのかもしれない。それは地域住民のみならず、世界中の人々に、石棒を筆頭とする地元の文化財の価値を伝達し、親しみを持ってもらおうという、未来志向があるからこそ実現できたものだと考える。
石棒クラブのメンバーの皆様には、石棒神経衰弱という、口をついて出たアイデアを具現化する機会をいただいたのみならず、考案した内容についても、非常に好意的に受け取っていただき、何度も実演を手伝っていただきました。そして、行政上の実務面においては、飛騨市教育委員会の皆様に手厚いサポートをしていただいていることも、このワークショップを成り立たせる要素として不可欠のものでした。石棒神経衰弱を実践する機会と会場を提供してくださった諸機関の関係者にも感謝いたします。そして、実際に体験していただいた皆様、本当にありがとうございました。末筆とはなりますが、石棒神経衰弱に関係した全ての方々に心よりお礼を申し上げます。
参考文献
川内有緒、2021、『目の見えない白鳥さんとアートを見に行く』、集英社インターナショナル:東京。
黒澤 浩、2021、「「さわる展示」の意義と苦悩-南山大学人類学博物館の実践から-」『特別展 ユニバーサル・ミュージアム——さわる!”触”の大博覧会』、pp.194-197、国立民族学博物館:京都。
広瀬浩二郎、2023、『ユニバーサル・ミュージアムへのいざない 思考と実践のフィールドから』、三元社:東京。
