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金属製文化財の保存科学研究に関する国際的な動向 ―ICOM-CC Metal 2025参加報告

柳田 明進 ( 奈良文化財研究所 )

International Trends in the Conservation of Metal Cultural Properties — Report from ICOM-CC Metal 2025

Yanagida Akinobu ( Nara National Research Institute for Cultural Properties )
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データ登録機関 : 奈良文化財研究所 - 奈良県
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柳田明進 2025 「金属製文化財の保存科学研究に関する国際的な動向 ―ICOM-CC Metal 2025参加報告」 『埋蔵文化財ニュース』 埋蔵文化財ニュース https://sitereports.nabunken.go.jp/online-library/report/120
 2025年9月1~5日に開催されたICOM-CC METAL2025(国際学会)の報告記事。考古資料、美術工芸品、現代アートなどさまざまな金属製文化財に関する保存科学・保存修復に関する研究発表について、その傾向を分析するとともに、世界の研究トレンドを紹介する。
目次

1.はじめに

 ICOM-CC Metalは国際博物館・美術館会議の保存部会のなかに設置されている分科会「Metals」が3年に1回開催している国際会議です。考古資料に限らず、美術工芸品、現代アートなどあらゆる金属製文化財を対象にする、保存科学・保存修復に関する研究発表の場です。「ICOM-CC Metal 2025」(以下、本大会と表記)は、2025年9月1~5日の5日間、ウェールズのカーディフ大学で開催されました。約300人の保存科学・材料科学研究者、修復家など様々な専門を持つ関係者が集まり、活発な議論が行われました(図1)。埋蔵文化財ニュース188号では本大会の研究発表を紹介し、金属製文化財の保存科学・保存修復に関する研究の最新の動向について紹介します

図1 会場の様子(左:カーディフ大学、右:発表会場)

2.ICOM-CC Metal 2025の研究動向

 本大会は口頭発表とポスター発表から構成されており、それぞれ52件、28件の発表が行われました。ここでは、口頭発表の52件を対象に、研究対象の材質、文化財としての分類、内容の3つのテーマから動向を読み解きます(図2~4)。なお、図2~4では、複数の材質や分類にまたがる研究発表に関しては、複数回答として計数しています。

 研究対象の材質に関しては、銅系合金が41%、炭素鋼・鉄系合金が22%を占めました(図2)。また、銀や鉛製品といった材料に関しての報告も複数みられました。銅製文化財・鉄製文化財では保存処理法や、展示中の湿害による劣化を抑制する展示環境の調整方法に関する研究が中心でした。銀製品、鉛製品では、主に工芸品を対象に有機酸ガスや硫黄化合物ガス等(1の汚染ガスによる劣化に関する研究が多い印象を持ちました。

                        図2 研究対象とされた金属製文化財


 次に文化財の分類を考古資料、工芸品(屋内)、工芸品(屋外)、近代遺産とすると(図3(2)、考古資料が48%、工芸品(屋内)が34%を占めました。銅像などの屋外の工芸品、大型の近代遺産など、屋外で展示されている金属製文化財を対象とした研究も認められました。これらに対するコーティング材料の開発や事例報告など、国内では研究事例が少ない内容についても活発に研究が進められていました。

                           図3 対象とされた金属製文化財の分類


 研究内容での分類では、クリーニング、コーティングといった保存処理に関する研究が29%、展示・保管環境に関する研究が12%でした(図4)。保存処理に関する研究では、新たな処理方法を提案する研究に加えて、後述する環境負荷の低い処理法の開発に関心が持たれているようです。また、修復家による事例紹介が45%を占めており、複数の材料から構成されるような複雑な金属製文化財を対象とした最新の修復事例などが紹介され、活発な情報交換が行われていました。

                                                                                                                   図4 研究内容の分類

また、ヨーロッパでは「GOGREENプロジェクト(3」、「The MEDUSAプロジェクト(4」、「ENDLESS Metal(5」などの横断的なプロジェクトを設定し、社会課題に応じた研究が進められていることも印象的でした。

3. 研究紹介

 本大会のトレンドを示す研究内容として「コーティング・防錆処理に関する研究」、「保存・展示環境に関する研究」についてその一部を紹介します。

 コーティング・防錆処理に関する研究 コーティングは保存処理の工程の一つであり、金属製文化財の表面にバリア機能を持つ被膜を作ることで、化学的な劣化・物理的な脆弱性を補う工程です。一方、防錆処理は母材の金属と防錆剤との化学反応によって化学的に不活な被膜を作ることで、劣化を抑制する処理工程です。例えば、世界的には金属製文化財ではアクリル樹脂であるParaloidTM B-72がコーティング(6材料として一般的に利用されています。また、代表的な防錆剤としては青銅製品に対するベンゾトリアゾール(Benzotriazole、以下、BTAと表記)が挙げられます。コーティングと防錆処理を明確に区別できない発表もあり、ここではそれらを合わせて紹介します。

 現在、国内の関連学会ではコーティングに関する研究は活発には行われていませんが、海外ではコーティングによる劣化抑制は保存処理の重要な要素に位置付けられているようです。研究発表では考古資料、屋外の金属製文化財を想定して、既存のアクリル系樹脂によるコーティングの評価、防錆剤との併用による効果を検証する研究(Brancoliniら2025、Changら 2025、Pellisら2025)がある一方、環境負荷が低い新規コーティング材を探索する研究発表も認められました。これは、従来のアクリル樹脂によるコーティングの際に使用される有機溶剤、防錆剤のBTAはともに人、環境に対して負荷が高い化学薬品だからです。本大会では天然素材のCutin(7系コーティング剤(Cofiniら2025)、Chitosan(8系コーティング(Boccaccinら2025)が提案され、実験的に金属試料を用いた効果の評価が実施されていました。また、防錆剤においても天然由来成分の検討が見られました(Elshahawiら2025)。

 保存・展示環境に関する研究 金属製文化財の展示・収蔵に関連する研究も活発に発表されていました。金属製文化財は展示中に劣化が進行する場合があり、例えば、鉄製遺物・青銅製遺物に関しては展示中の湿害、鉛製品、銀製品については有機酸や硫黄化合物ガスによる劣化が挙げられます。これらの課題に対して、例えば、ブロンズ病と呼ばれる青銅製遺物の展示環境下の劣化現象について、実験的にその進行速度の温度依存性を検討し、これを考慮した劣化予測モデルを構築するというメカニズム研究(Thunbergら2025)、展示環境に関する研究では、有機酸の低減と湿度制御の両者に対する調整法に関する研究(Siebelら2025)、Oddy Testに代わる展示環境評価を目的として、金属供試体による新たな評価法を検討する研究も認められました(Molinaら2025)。また、屋外に展示されている金属製文化財の劣化に対して、気候変動が及ぼす影響を検討し、劣化予測式の構築を目指す報告などもあり(Melinis・Thickett 2025)、ここでも社会課題と関連した研究が進められていました。

4.おわりに

 金属製文化財は湿害、汚染ガスといった環境因子に敏感に反応するため、博物館環境においても条件が揃うと劣化が進行します。この課題に対して、古くから保存処理と環境制御の両輪でその保存が図られており、保存処理法の改善・開発、展示中の劣化メカニズムに関する研究などが現在も世界中で取り組まれています。さらに、気候変動への対応や持続可能性という社会課題と文化財保存の両立を模索する研究も近年進められています。昨今の国内の文化財保護行政の状況を鑑みると、環境負荷の低い文化財保存への取り組みを一段と加速させることが求められており、本発表の先行事例は大いに参考になるものと思われます。なお、ここでは研究発表を概要として取り上げましたが、本発表のプロシーディングスはオープンアクセスとして公開されておりますので、興味を持たれた方は本大会HP(https://www.metal2025.org/)をご覧ください。

(埋蔵文化財センター 柳田 明進)

1) 硫化水素、硫化カルボニル、分子状硫黄ガスなど複数の化学物質が含まれます。

2) その他に分類された研究は現代美術作品を対象としたものです。

3) EU連合が助成する文化財保存のプロジェクト。環境負荷が低く、持続可能な文化財の保存修復技術の推進を目的とするようです。https://gogreenconservation.eu/

4) The MEDUSA(MarinE outDoor bronze sUrfaceS)プロジェクトは海洋/沿岸環境にさらされた青銅製文化財の保存技術を開発、実践するイタリアでの取り組み。

5) EUが助成する文化財保存に関するプロジェクト。保存修復の専門家に対し、携帯可能で低コスト、低侵襲性、使いやすくアクセスしやすい分析ツールを提供することを目的としています。

6) ParaloidTM B-72による処置は、国内では「強化処置」と称されることが一般的ですが、考古資料、美術工芸品に対する本処理は本大会ではコーティングに分類されており、本報告ではこれに従った表記としました。

7) 被子植物の葉・果実など地上部表面のクチクラ層を構成する天然脂肪族ポリエステル。

8) 甲殻類外骨格などのキチンから得られる物質。銅合金表面ではアミノ基(–NH₂/–NH₃⁺)の吸着・配位により腐食抑制被膜を形成しうるため、低環境負荷コーティングの候補材料として検討されています。

引用文献

Boccaccini F, Barbetta A, Fratello C, Pascucci M, Riccucci C, Messina E & Di Carlo G. A sustainable approach to preserve patinated bronze artifacts: Aesthetic, protective and removability properties of chitosan-based coatings. In: Emmerson N, Thunberg J & Watkinson D (eds) Metal 2025: Proceedings of the International Conference on Metals Conservation. Cardiff Studies in Archaeology and Conservation (2025), pp. 128–134.

Brancolini T, Mugnaini S, Caruso O, Galeotti M & Porcinai S. Mapping of coating thickness: A useful tool to set up anti-tarnishing strategies for silver. In: Emmerson N, Thunberg J & Watkinson D (eds) Metal 2025: Proceedings of the International Conference on Metals Conservation. Cardiff Studies in Archaeology and Conservation (2025), pp. 135–142.

Chang YH. An analysis of the effectiveness of chitosan and L-cysteine as green corrosion inhibitor coatings compared to benzotriazole in Paraloid B-44 on bronze. In: Emmerson N, Thunberg J & Watkinson D (eds) Metal 2025: Proceedings of the International Conference on Metals Conservation. Cardiff Studies in Archaeology and Conservation (2025), pp. 151–154.

Cofini E, Bernardi E, Balbo A, Zanotto F, Buratti E, Martini C & Chiavari C. A first assessment of poly(ester-urethane) cutin-based coating for the protection of outdoor bronzes. In: Emmerson N, Thunberg J & Watkinson D (eds) Metal 2025: Proceedings of the International Conference on Metals Conservation. Cardiff Studies in Archaeology and Conservation (2025), pp. 119–127.

Elshahawi A, Rifai M & Abdel Hamid Z. Corrosion inhibition of bronze alloy by Nigella sativa extract in neutral media for application on archaeological bronze artifacts. In: Emmerson N, Thunberg J & Watkinson D (eds) Metal 2025: Proceedings of the International Conference on Metals Conservation. Cardiff Studies in Archaeology and Conservation (2025), pp. 163–171.

Melinis A & Thickett D. Developing steel damage functions to improve sustainability. In: Emmerson N, Thunberg J & Watkinson D (eds) Metal 2025: Proceedings of the International Conference on Metals Conservation. Cardiff Studies in Archaeology and Conservation (2025), pp. 203–211.

Molina MT, Díaz Ocaña I, Ramírez Barat B & Cano E. Use and limitations of indoor corrosivity assessment standards in museums. In: Emmerson N, Thunberg J & Watkinson D (eds) Metal 2025: Proceedings of the International Conference on Metals Conservation. Cardiff Studies in Archaeology and Conservation (2025), pp. 190–197.

Pellis G, Biondi C, Tiburziano M, Giussani B, Letardi P, Poli T, Sansonetti A, Salvadori B, Rizzi P & Scalarone D. InCARE project: Narrowing the gap between laboratory studies and conservation practice. In: Emmerson N, Thunberg J & Watkinson D (eds) Metal 2025: Proceedings of the International Conference on Metals Conservation. Cardiff Studies in Archaeology and Conservation (2025), pp. 155–162.

Siebel KF, Brieger O, Bur C, Eggert G, Grieb H & Pfeifer R. Pollutants? Potassium carbonate! A new solution for a healthy atmosphere in metal display cases. In: Emmerson N, Thunberg J & Watkinson D (eds) Metal 2025: Proceedings of the International Conference on Metals Conservation. Cardiff Studies in Archaeology and Conservation (2025), pp. 181–189.

Thunberg J, Watkinson D & Emmerson N. The impact of temperature on the rate of bronze disease between 10 °C and 60 °C. In: Emmerson N, Thunberg J & Watkinson D (eds) Metal 2025: Proceedings of the International Conference on Metals Conservation. Cardiff Studies in Archaeology and Conservation (2025), pp. 173–180.


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キーワード日 : 金属製文化財 保存科学 保管環境 保存処理 国際博物館会議
キーワード英 : Metal object Conservation science Preservation environment Conservation treatment ICOM
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総覧登録日 : 2025-10-29
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