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真尾猪の山遺跡Ⅱ

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/139145
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.139145
引用表記 財団法人山口県ひとづくり財団 山口県埋蔵文化財センター 2008 『山口県埋蔵文化財センター調査報告64:真尾猪の山遺跡Ⅱ』財団法人山口県ひとづくり財団 山口県埋蔵文化財センター
財団法人山口県ひとづくり財団 山口県埋蔵文化財センター 2008 『真尾猪の山遺跡Ⅱ』山口県埋蔵文化財センター調査報告64
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書名 真尾猪の山遺跡Ⅱ
発行(管理)機関 (公財)山口県ひとづくり財団山口県埋蔵文化財センター - 山口県
書名かな まなおいのやまいせきⅡ
副書名
巻次
シリーズ名 山口県埋蔵文化財センター調査報告
シリーズ番号 64
編著者名
編集機関
財団法人山口県ひとづくり財団 山口県埋蔵文化財センター
発行機関
財団法人山口県ひとづくり財団 山口県埋蔵文化財センター
発行年月日 20080327
作成機関ID 35203
郵便番号 7530073
電話番号 0839231060
住所 山口県山口市春日町3番22号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 真尾猪の山遺跡(Ⅳ・Ⅴ地区)
遺跡名かな まなおいのやまいせき
本内順位
遺跡所在地 山口県防府市大字真尾
所在地ふりがな やまぐちけんほうふしおおあざまなお
市町村コード 35206
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒 341134
東経(日本測地系)度分秒 1320110
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.196 132.0169
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20070608-20071227
調査面積(㎡)
4000
調査原因 農道整備
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
平安
主な遺構
竪穴住居跡 11棟
土坑 121基
溝状遺構 6条
段状遺構 18基
階段状遺構 1基
性格不明遺構 5基
経塚 1基
かまど跡 1基
焼土跡 2基
柱穴 755個
主な遺物
弥生土器
土師器
須恵器
土製品
石器
金属製品
炭化種子・炭化米
特記事項 弥生時代中期・終末期の高地性集落跡
平安時代の遺構遺物
土師質経筒を持つ経塚
要約  佐波川左岸の標高約80m(比高40m)の丘陵上に位置する、弥生時代中期、終末期の高地性集落跡。集落の中心時期は中期で、頂上部および斜面に竪穴住居跡、土坑などが多数確認された。土坑は121基確認され、それらの多くは貯蔵用として機能していた。炭化種子・炭化米がまとまって出土した例もあり、当時の貯蔵方法等を考える資料となる。急傾斜の斜面には、通路および生活空間としての段状遺構が18基あり、限られた範囲の中で生活面確保の跡がうかがえる。出土遺物では、7点の鉄器が出土したことが注目される。18年度調査の成果とあわせて、弥生時代における高地性集落の性格や、当地域における集落の構造や推移を考えるうえで良好な資料である。
 古代~中世においては、9~10世紀の遺構遺物が確認され、弥生遺構面を一部整地して構築されている。経塚は、県内でも珍しい土師質経筒であり、簡易な主体部構造とあわせて平安時代末から中世にかけてのものとみられる。この時期における遺構の性格は明らかでないが、遺跡周辺にはかつて松尾山天皇院光明寺(9世紀創建、戦国期に焼失)があったとされ、関連性が指摘される。

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