URL |
https://sitereports.nabunken.go.jp/131589
|
DOI 二次元コード |
|
DOI |
http://doi.org/10.24484/sitereports.131589
|
引用表記 |
公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センター 2023 『京都府遺跡調査報告集』公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センター
|
公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センター 2023 『京都府遺跡調査報告集』
|
wikipedia 出典テンプレート :
{{Cite book|和書|first=陽子|last=高野|first2=威彦|last2=名村|first3=瀬奈|last3=荒木|first4=雅興|last4=大石|title=京都府遺跡調査報告集|origdate=2023-03-25|date=2023-03-25|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/131589|location=京都府向日市寺戸町南垣内40-3|ncid=BD0202340X|doi=10.24484/sitereports.131589|volume=188}}
閉じる
|
ファイル |
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
|
書名 |
京都府遺跡調査報告集 |
発行(管理)機関 |
(公財)京都府埋蔵文化財調査研究センター
- 京都府
|
書名かな |
きょうとふいせきちょうさほうこくしゅう |
副書名 |
|
巻次 |
188 |
シリーズ名 |
|
シリーズ番号 |
|
編著者名 |
|
編集機関 |
公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センター
|
発行機関 |
公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センター
|
発行年月日 |
20230325 |
作成機関ID |
|
郵便番号 |
6170002 |
電話番号 |
0759333877 |
住所 |
京都府向日市寺戸町南垣内40-3 |
報告書種別 |
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
|
資料タイプ |
Research Paper |
発掘調査報告 |
掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象) |
所蔵大学(NCID) |
|
JP番号 |
|
他の電子リソース |
|
備考 |
|
所収論文 |
|
所収遺跡 |
遺跡名 |
丹波丸山古墳群 第1次 |
遺跡名かな |
たんばまるやまこふんぐん |
本内順位 |
1 |
遺跡所在地 |
京都府京丹後市峰山町丹波 |
所在地ふりがな |
きょうとふきょうたんごしみねやまちょうたんば |
市町村コード |
26209 |
遺跡番号 |
5105 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
353800.47 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1350410.26 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.633463 135.069516
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
20160603-20161214
|
調査面積(㎡) |
2000
|
調査原因 |
道路建設 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
古墳
|
時代 |
古墳
奈良
平安
|
主な遺構 |
古墳
土坑
舟形木棺
|
主な遺物 |
鉄製鉇
土師器
朱
|
特記事項 |
古墳時代前期前葉を中心とする古墳6基を調査した。主墳の埋葬施設は舟形木棺を用い、鉄鉇を副葬するもので弥生時代以来の伝統を受け継ぐ墓制である。 |
|
遺跡名 |
丹波丸山古墳群 第2・3次 |
遺跡名かな |
たんばまるやまこふんぐん |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
京都府京丹後市峰山町丹波 |
所在地ふりがな |
きょうとふきょうたんごしみねやまちょうたんば |
市町村コード |
26209 |
遺跡番号 |
5105 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
353805.49 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1350410.26 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.634858 135.069516
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
20170808-20170921
20180930-20181122
|
調査面積(㎡) |
350
458
|
調査原因 |
道路建設 |
遺跡概要 |
種別 |
古墳
|
時代 |
平安
鎌倉
|
主な遺構 |
埋納遺構
中世墓
|
主な遺物 |
菊花双鳥文鏡
東播系須恵器
鉄製刀
|
特記事項 |
経塚の可能性が高い東播系須恵器を埋納する遺構や、中世墓、菊花双鳥文鏡を出土する土坑など13世紀を中心とする遺構群を検出した。 |
|
遺跡名 |
丹波丸山古墳群 第4次・平ヶ岡古墳群 第1次 |
遺跡名かな |
たんばまるやまこふんぐん・ひらがおかこふんぐん |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
京都府京丹後市峰山町丹波・矢田 |
所在地ふりがな |
きょうとふきょうたんごしみねやまちょうたんば・やた |
市町村コード |
26209 |
遺跡番号 |
5105 5163 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
|
東経(世界測地系)度分秒 |
|
調査期間 |
20190906-20191031
|
調査面積(㎡) |
110
|
調査原因 |
道路建設 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
古墳
|
時代 |
飛鳥白鳳
|
主な遺構 |
|
主な遺物 |
|
特記事項 |
|
|
遺跡名 |
平ヶ岡古墳群 第2次 |
遺跡名かな |
ひらがおかこふんぐん |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
京都府京丹後市峰山町丹波・矢田 |
所在地ふりがな |
きょうとふきょうたんごしみねやまちょうたんば・やた |
市町村コード |
26209 |
遺跡番号 |
5163 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
353807.28 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1350410.19 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.635355 135.069497
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
20200928-20210122
|
調査面積(㎡) |
600
|
調査原因 |
道路建設 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
飛鳥白鳳
|
主な遺構 |
掘立柱建物跡
土坑
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
|
特記事項 |
飛鳥時代の掘立柱建物1棟を検出した。周辺に同時期の遺構は確認されず、丘陵上に単独で構築された特徴ある立地を示す。 |
|
遺跡名 |
靏尾遺跡 第2次 |
遺跡名かな |
つるおいせき |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
京都府京丹後市峰山町丹波 |
所在地ふりがな |
きょうとふきょうたんごしみねやまちょうたんば |
市町村コード |
26209 |
遺跡番号 |
5527 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
353803.58 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1350409.53 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.634327 135.069313
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
20211124-20220304
|
調査面積(㎡) |
500
|
調査原因 |
道路建設 |
遺跡概要 |
種別 |
官衙
|
時代 |
奈良
|
主な遺構 |
土坑
溝
柱穴
|
主な遺物 |
墨書土器
九九木簡
荷札木簡
|
特記事項 |
旧丹波国の国名発祥の地とされる京丹後市峰山町丹波で、奈良時代の文字資料がまとまって出土し、古代官衙の一画に当たる可能性がある。九九木簡は、九の段から五の段までが完全に書かれており特筆される。 |
|
遺跡名 |
木津川河床遺跡 第37次 |
遺跡名かな |
きづがわかしょういせき |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
京都府八幡市八幡 |
所在地ふりがな |
きょうとふやわたしやわた |
市町村コード |
26210 |
遺跡番号 |
204 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
345323.72 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1354203.47 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
34.889922 135.700963
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
20210601-20211007
|
調査面積(㎡) |
800
|
調査原因 |
橋りょう修繕 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
弥生
古墳
中世(細分不明)
近世(細分不明)
|
主な遺構 |
竪穴建物
木組み
井戸
溝
道路状遺構
|
主な遺物 |
弥生土器
土師器
木製品(木球、も えさし他)
|
特記事項 |
弥生時代中期、古墳時代、中世から近世にかけて継続的に集落が営まれたことが判明した。淀川河川交通と岩清水八幡宮をつなぐ交通路に位置し、近世の「御幸道」と推定される道路上遺構を検出した。 |
|
|
要約 |
|