奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
40093 件
( 発行機関数 742 機関 )
現在の書誌登録数
132037 件
( 前年度比 + 1167 件 )
( 発行機関数 1912 機関 )
現在の遺跡抄録件数
146947 件
( 前年度比 + 1702 件 )
現在の文化財論文件数
120114 件
( 前年度比 + 1061 件 )
現在の文化財動画件数
1262 件
( 前年度比 + 73 件 )
( 登録機関数 113 機関 )
文化財イベント件数
1161 件
( 前年度比 + 109 件 )
※過去開催分含む

御望A遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/70037
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.70037
引用表記 岐阜県文化財保護センター 2020 『岐阜県文化財保護センター調査報告書144:御望A遺跡』岐阜県文化財保護センター
岐阜県文化財保護センター 2020 『御望A遺跡』岐阜県文化財保護センター調査報告書144
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=慎吾|last=笠井|title=御望A遺跡|origdate=2020-02-28|date=2020-02-28|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/70037|location=岐阜県岐阜市三田洞東1-26-1|ncid=BB29776710|doi=10.24484/sitereports.70037|series=岐阜県文化財保護センター調査報告書|volume=144}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 御望A遺跡
発行(管理)機関 岐阜県文化財保護センター - 岐阜県
書名かな ごもAいせき
副書名
巻次 第1分冊 / 第2分冊
シリーズ名 岐阜県文化財保護センター調査報告書
シリーズ番号 144
編著者名
編集機関
岐阜県文化財保護センター
発行機関
岐阜県文化財保護センター
発行年月日 20200228
作成機関ID 21000
郵便番号 5020003
電話番号 0582378550
住所 岐阜県岐阜市三田洞東1-26-1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 御望A遺跡
遺跡名かな ごもえーいせき
本内順位
遺跡所在地 岐阜県岐阜市御望
所在地ふりがな 岐阜県岐阜市御望
市町村コード 21201
遺跡番号 02769
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 352832.5
東経(世界測地系)度分秒 1364205
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.475694 136.701388
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20160517-20161209
調査面積(㎡)
1866
調査原因 記録保存調査
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
弥生
古墳
古代(細分不明)
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
竪穴建物
掘立柱建物
溝状遺構
単独柱穴
土坑
主な遺物
縄文土器
弥生土器・土師器
須恵器
灰釉陶器
山茶碗
中近世陶磁器
石器・石製品
金属製品
特記事項 縄文時代時代前期・中期、弥生時代後期~古墳時代前期、古墳時代後期、古代の集落跡を検出した。
要約 御望A遺跡は、縄文時代前期後葉、縄文時代中期後葉、弥生時代後期から古墳時代前期、古墳時代後期、古代の集落跡を確認した遺跡である。今回、当遺跡の中央部西側を調査し、各時代において竪穴建物等の遺構を検出した。縄文時代前期後葉は、岐阜市教育委員会の調査と同様に人々の活発な活動を確認した時期である。出土した土器は、西日本系、東日本系、在地系のものからなり、表面に赤彩を施すものも認められた。今回の調査では、これまで当遺跡で確認されていなかった古墳時代後期の集落跡を検出した。竪穴建物14軒及び掘立柱建物3棟と、特に多くの建物を検出した時期でもある。遺跡に近接する御望山に立地する古墳群の造営時期と重なることから、古墳群を造営した集団の居住域の候補地の一つと想定できる。中世以降になると、遺構及び遺物数が極端に減少し、近代にかけては耕作地としての土地利用に変化したことが想定される。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 603
ファイルダウンロード数 : 1453

全国のイベント

外部出力