奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41196 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132400 件
( 前年度比 + 1715 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147515 件
( 前年度比 + 2089 件 )
現在の文化財論文件数
120553 件
( 前年度比 + 1556 件 )
現在の文化財動画件数
1297 件
( 前年度比 + 113 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1243 件
( 前年度比 + 193 件 )
※過去開催分含む

川尻遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/91739
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.91739
引用表記 喜界町教育委員会 2021 『喜界町埋蔵文化財発掘調査報告書17:川尻遺跡』喜界町教育委員会
喜界町教育委員会 2021 『川尻遺跡』喜界町埋蔵文化財発掘調査報告書17
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=拓司|last=野﨑|first2=信之|last2=松原|first3=憲史|last3=安武|title=川尻遺跡|origdate=2021-02-23|date=2021-02-23|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/91739|location=鹿児島県大島郡喜界町湾1746|ncid=BC06484622|doi=10.24484/sitereports.91739|series=喜界町埋蔵文化財発掘調査報告書|volume=17}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 川尻遺跡
発行(管理)機関 喜界町 - 鹿児島県
書名かな かわじりいせき
副書名 畑地帯総合整備事業(担い手育成型)手久津久地区に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名 喜界町埋蔵文化財発掘調査報告書
シリーズ番号 17
編著者名
編集機関
喜界町教育委員会
発行機関
喜界町教育委員会
発行年月日 20210223
作成機関ID 46529
郵便番号 8916292
電話番号 0997553308
住所 鹿児島県大島郡喜界町湾1746
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 川尻遺跡
遺跡名かな かわじりいせき
本内順位
遺跡所在地 鹿児島県大島郡喜界町大字手久津久字川尻
所在地ふりがな かごしまけんおおしまぐんきかいちょうおおあざてくづくあざかわじり
市町村コード 46529
遺跡番号 37-135
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 281729
東経(世界測地系)度分秒 1295607
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 28.291388 129.935277
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20090610-20061130
20130403-20131217
20140402-20150529
調査面積(㎡)
251
6834
7718
調査原因 畑地帯総合整備事業(担い手育 成型)手久津久地区
遺跡概要
種別
散布地
時代
縄文
古代(細分不明)
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
不明土坑
土坑墓
ピット
主な遺物
面縄西洞式土器
兼久式土器
貝製品
骨製品
開元通寶
特記事項 縄文時代後期の不明土坑を検出。
兼久式土器期に骨・貝製品に多様な加工を施す資料が出土。
要約  川尻遺跡は,喜界島南西部に位置する標高約10 ~ 12m の海岸段丘下面に所在する。試掘・確認調査で出土した兼久式土器や貝製品から,これまで不明瞭であった喜界島の古墳~古代にかけての良好な遺構群があると想定された。
 平成24 年から始まった本調査はうだるようなシマの真夏の暑さや,日光を反射して電子レンジのような状態になる白砂とのたたかいでもあった。
 縄文時代の遺構は主に白砂層面で検出した。検出した土坑は直径3~4m 程あり,7m を超える大型の土坑も確認した。内部からは焼けた拳大のサンゴ礫・炭化物・灰が互層をなしており,床面からは炭化材を検出した。炭化材の一部は並べられているような状況で出土している。奄美群島内では同様の出土例がなく,構築目的も不明である。土坑内からは面縄西洞式土器や石皿・磨敲石などが出土しており,縄文時代後期の生活を考えるうえで注目される成果である。
 古代の遺物は奄美群島の在地土器である兼久式土器が多く出土した。兼久式土器は何百年もほぼ形状が変わらないが,時間の経過とともに文様が簡素化することなどがこれまでの研究で分かってきている。本遺跡の土器に目を向けると突帯のみで文様はほぼないことが判明した。また,土師器・須恵器と供伴することから本遺跡の資料は兼久式土器の最終段階に近い9~ 10 世紀頃と想定している。同時期の島内には城久遺跡群が営まれている(城久Ⅰ期)ことが判明しており,本遺跡のように標高10m 前後の低段丘面には在地系土器である兼久式を主体とする人々が,標高100m の台地の上には非在地系土器である土師器系土器を使用する人々がいたことが想定される。
 喜界島で兼久式土器と共に貝製品・骨製品・鉄製品が出土したことは,今後の兼久式土器期の研究に大きな影響を与える成果であるとともに,これまで行ってきた喜界島での調査状況を考えるうえでも重要な成果であるといえる。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 587
ファイルダウンロード数 : 948

全国のイベント

外部出力