奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41264 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132441 件
( 前年度比 + 1757 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147568 件
( 前年度比 + 2127 件 )
現在の文化財論文件数
120577 件
( 前年度比 + 1582 件 )
現在の文化財動画件数
1302 件
( 前年度比 + 118 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む

北大竹遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/129421
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.129421
引用表記 公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団 2022 『埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書477:北大竹遺跡』公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団
公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団 2022 『北大竹遺跡』埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書477
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=理伊知|last=渡邊|first2=浩一|last2=赤熊|title=北大竹遺跡|origdate=2022-03-23|date=2022-03-23|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/129421|location=埼玉県熊谷市船木台4丁目4番地1|ncid=BC13738050|ncid=BC13738152|doi=10.24484/sitereports.129421|series=埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書|volume=477}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 北大竹遺跡
発行(管理)機関 (公財)埼玉県埋蔵文化財調査事業団 - 埼玉県
書名かな きたおおたけいせき
副書名 行田富士見工業団地拡張地区産業団地整備事業埋蔵文化財発掘調査報告
巻次
シリーズ名 埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書
シリーズ番号 477
編著者名
編集機関
公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団
発行機関
公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団
発行年月日 20220323
作成機関ID
郵便番号 3690108
電話番号 0493393955
住所 埼玉県熊谷市船木台4丁目4番地1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 北大竹遺跡
遺跡名かな きたおおたけいせき
本内順位
遺跡所在地 埼玉県行田市大字若小玉字枳1900-1
所在地ふりがな さいたまけんぎょうだしおおあざわかこだまあざからたち1900-1
市町村コード 11206
遺跡番号 48
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 360848
東経(世界測地系)度分秒 1392937
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.146666 139.493611
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20191015-20201031
調査面積(㎡)
5280
調査原因 工業団地建設
遺跡概要
種別
集落
時代
古墳
飛鳥白鳳
奈良
平安
主な遺構
住居跡
井戸跡
溝跡
土壙
遺物集中
掘立柱建物跡
柱穴列
土壙
鍛冶関連遺構
旧河川跡
流路跡
主な遺物
須恵器
土師器
石製品
子持勾玉
石製模造品
臼玉
玉類
金属製品
特記事項  45点を数える子持勾玉や石製模造品、臼玉、残存率の高い甕を始めとした須恵器や大型高坏などの大量の土師器類、単鳳環頭達太刀柄頭、海獣葡萄鏡、大量の鉄鏃や鉄製模造品、瑪瑙や琥珀、碧玉製の玉類などの遺物が出土している。
要約  北大竹遺跡は、埼玉県行田市藤原町・若小玉に所在する。現在はほぼ平坦な地形で加須低地に属するが、北に流れる利根川による河川堆積と関東造盆地運動によって形成された埋没台地となっている。
 本事業に伴う発掘調査によって、古墳時代後期から飛鳥時代にかけての祭祀関連とみられる遺物が集中した地点が、3 箇所確認された。遅くとも6 世紀中頃から祭祀行為が開始された可能性があるが、6 世紀後半にピークを迎える。主に甕を中心とした須恵器と、大量の土師器や鉄製品とともに、多数の子持勾玉を用いる点が大きな特徴といえる。なお、これらとともに単鳳環頭大刀が出土している点も特徴として挙げられる。
 7 世紀代にも継続して祭祀行為が執り行われている。遺物量がやや減少する点や土器類の器種組成に変化がみられるが、子持勾玉と須恵器甕を用いる点は、一貫している。このことから、本遺跡で執り行われた祭祀は子持勾玉と須恵器甕が重視されていたことがうかがえる。
 周辺に展開する若小玉古墳群において前方後円墳が造営される時期と重なり、7 世紀代に八幡山古墳や地蔵塚古墳が造営される頃まで、継続することから、若小玉古墳群との関連性が想定される。埼玉古墳群の将軍山古墳や鉄砲山古墳に副葬された遺物と類似した遺物が出土していることから、埼玉古墳群との関連性も想定される。
 また、これらの遺物と同じ古墳時代後期から平安時代にかけての集落跡が検出された。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 1122
ファイルダウンロード数 : 1666

全国のイベント

外部出力