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日向遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/131155
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.131155
引用表記 山元町教育委員会 2017 『山元町文化財調査報告書15:日向遺跡』山元町教育委員会
山元町教育委員会 2017 『日向遺跡』山元町文化財調査報告書15
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wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=隆博|last=山田|first2=惠美|last2=星野|title=日向遺跡|origdate=2017-06-30|date=2017-06-30|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/131155|ncid=BB26151024|doi=10.24484/sitereports.131155|series=山元町文化財調査報告書|volume=15}} 閉じる
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書名 日向遺跡
発行(管理)機関 山元町 - 宮城県
書名かな ひゅうがいせき
副書名 第2次発掘調査 / 土砂採取事業に係る発掘調査報告書
巻次
シリーズ名 山元町文化財調査報告書
シリーズ番号 15
編著者名
編集機関
山元町教育委員会
発行機関
山元町教育委員会
発行年月日 20170630
作成機関ID 04362
郵便番号
電話番号
住所
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 日向遺跡
遺跡名かな ひゅうがいせき
本内順位
遺跡所在地 宮城県亘理郡山元町山寺字日向
所在地ふりがな みやぎけんわたりぐんやまもとちょうやまでらあざひゅうが
市町村コード 04362
遺跡番号 14068
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 375812
東経(世界測地系)度分秒 1405208
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 37.97 140.868888
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20160401-20160630
調査面積(㎡)
3820
調査原因 土砂採取工事
遺跡概要
種別
集落
その他の生産遺跡
時代
奈良
平安
主な遺構
竪穴住居跡
土坑(木炭焼成土坑)
遺物包含層
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項 *検出した遺構
竪穴住居跡9軒(8世紀後半:6軒/9世紀後半~10世紀前半:3軒)
土坑12基
遺物包含層
種別
城館
時代
中世(細分不明)
主な遺構
柱穴列跡
溝跡
土坑
ピット
主な遺物
中世陶器
特記事項 *種別:屋敷跡
*検出した遺構
柱穴列跡1条
溝跡10条
土坑3基
ピット多数
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
土坑
主な遺物
縄文土器
石器
特記事項 *縄文後期初頭~前葉
*検出した遺構
土坑4基
種別
時代
近代(細分不明)
主な遺構
土坑(墓跡)
主な遺物
陶器
磁器
瓦質土器
硝子製品
金属製品
特記事項 *検出した遺構
土坑7基
*金属製品:煙管・銅銭・鉄釘
種別
散布地
時代
弥生
主な遺構
主な遺物
弥生土器
特記事項 弥生中期(枡形囲式・十三塚式)
種別
散布地
時代
古墳
主な遺構
遺物包含層
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項 7世紀後半~8世紀前半
要約  日向遺跡は、亘理郡山元町山寺字日向に所在し、山元町役場の北北西約1.1kmに位置する。遺跡は、阿武隈山地から東に延びる標高16~40mの丘陵南緩斜面及び急斜面に立地する。遺跡の範囲は、東西200m、南北110mほどで現況は、道路、宅地、山林、畑地、荒地である。
 今回の調査(2次調査)で検出した遺構は、竪穴住居跡9棟、柱穴列跡1条、溝跡10条、土坑78基、ピット152個(柱穴列跡を構成する柱穴を含む)、遺物包含層である。これらの遺構や遺物包含層・遺構外からは、縄文土器、弥生土器、土師器(非ロクロ成形・ロクロ成形)、須恵器、中世陶器、陶器、瓦質土器、磁器、石器、金属製品(煙管・鉄釘・銅銭)、硝子製品、鉄滓が出土した。
 縄文時代の遺構には土坑4基(SK25・57・60・74)がある。これらの遺構は、調査区中央部の急斜面上に立地し、その形状からフラスコ状土坑と考えられる。その年代は、SK25土坑出土土器の特徴から概ね縄文時代後期初頭前後のものとみられる。
 奈良・平安時代の遺構には、竪穴住居跡9軒(SI9~17)、木炭焼成土坑12基(SK19~22・24・33・38・41・42・53・56・94)、遺物包含層がある。竪穴住居跡は丘陵南側裾部、木炭焼成土坑は丘陵頂部、遺物包含層は丘陵斜面に谷部2箇所に分布する。出土遺物の特徴等から、竪穴住居跡は大きく8世紀後半頃のもの(SI10~12・15~17)と9世紀後半~10世紀前半代頃のもの(SI9・13・14)に分けられ、木炭焼成土坑についても概ね住居と同時期のものと考えられる。
 中世の遺構には、柱穴列跡1条(SA1)、溝跡10条(SD1~10)、土坑3基(SK66・67・93)、ピット多数がある。その年代は、周辺から出土した中世陶器の特徴、A区(日向遺跡1次調査)の調査事例等から、13世紀後半以降と考えられる。
 近現代の遺構には、土坑7基(SK26~32)がある。これらの土坑は、掘方の形状や出土遺物の特徴から墓跡と考えられる。
 この他、時期不明の遺構が多数残されているが、これらの多くは縄文時代、奈良・平安時代、中世のいずれかの時期に属する可能性が考えられる。また、今回の調査区では、弥生時代中期及び7世紀後半~8世紀前半頃の遺物も出土しており、この時期の遺構も周辺に存在する可能性がある。

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