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長野原地区遺跡群

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/130088
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.130088
引用表記 長野原町教育委員会 2019 『長野原町埋蔵文化財調査報告36:長野原地区遺跡群』群馬県吾妻郡長野原町教育委員会
長野原町教育委員会 2019 『長野原地区遺跡群』長野原町埋蔵文化財調査報告36
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書名 長野原地区遺跡群
発行(管理)機関 長野原町 - 群馬県
書名かな ながのはらちくいせきぐん
副書名 水源地域整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書 ; 2
巻次
シリーズ名 長野原町埋蔵文化財調査報告
シリーズ番号 36
編著者名
編集機関
長野原町教育委員会
発行機関
群馬県吾妻郡長野原町教育委員会
発行年月日 20190328
作成機関ID 104248
郵便番号 3771392
電話番号 0279824517
住所 群馬県吾妻郡長野原町大字長野原1340-1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 町遺跡
遺跡名かな まちいせき
本内順位
遺跡所在地 長野原町大字長野原
所在地ふりがな
市町村コード 10424
遺跡番号 219
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 363305
東経(世界測地系)度分秒 1383823
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.551388 138.639722
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20131007-20131112
20161112-20161214
調査面積(㎡)
150
調査原因 町道長野原向原線道路整備事業
遺跡概要
種別
集落
時代
江戸
主な遺構
礎石建物跡1
井戸跡1
屋外炉跡1
畑跡3
土坑1
溝状遺構7
道路状遺構1
主な遺物
木製遺物(建築部材・木製品)
陶磁器
金属製遺物
石製遺物
特記事項 天明泥流に被災した旧長野原宿の一部を検出。
要約 本遺跡は吾妻川の右岸段丘上に立地する。調査地点の標高は605m位である。天明3年(1783)に浅間火山の大爆発により発生した泥流に埋没した旧長野原宿である。調査面積は150㎡と狭小ではあったが、礎石建物跡1軒、井戸跡1基、屋外炉跡1基、畑跡(単位畑)2枚、土坑1基、溝状遺構7条、道路状遺構1条を検出した。調査地点は宿場のほぼ中央に位置し、建物は旅籠大津屋の一部と考えられる。即ち街道に面した旅籠とその裏庭の一部が検出され、裏庭は東隣の金木屋と共同で使用した井戸、区画溝、道、畑、屋外炉で構成されれいたことが明らかとなった。出土遺物は陶磁器、木製遺物(木製部材・木製品・その他)、金属製品(鉄製品・銅製品)、石製品に大きく分類でき、木製遺物がその大部分を占めた。長野原宿は有名な鎌原村に次ぐ200名の犠牲者を出したことはあまり知られていないが、壊滅的な被害の一端を垣間見る貴重な調査であった。

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