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赤羽根遺跡
赤羽根遺跡
URL | https://sitereports.nabunken.go.jp/130078 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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DOI 二次元コード |
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DOI | http://doi.org/10.24484/sitereports.130078 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
引用表記 | 長野原町教育委員会 2020 『長野原町埋蔵文化財調査報告40:赤羽根遺跡』群馬県吾妻郡長野原町教育委員会 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
長野原町教育委員会 2020 『赤羽根遺跡』長野原町埋蔵文化財調査報告40 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
wikipedia 出典テンプレート :
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書名 | 赤羽根遺跡 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発行(管理)機関 | 長野原町 - 群馬県 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
書名かな | あかばねいせき | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
副書名 | 太陽光発電所建設工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
巻次 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シリーズ名 | 長野原町埋蔵文化財調査報告 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シリーズ番号 | 40 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
編著者名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
編集機関 |
長野原町教育委員会
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発行機関 |
群馬県吾妻郡長野原町教育委員会
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発行年月日 | 20200323 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
作成機関ID | 104248 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
郵便番号 | 3771392 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
電話番号 | 0279822244 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
住所 | 群馬県吾妻郡長野原町大字長野原1340番地1 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
報告書種別 |
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
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資料タイプ | Research Paper | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発掘調査報告 | 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所蔵大学(NCID) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
JP番号 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
他の電子リソース |
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備考 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所収論文 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所収遺跡 |
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要約 | 本遺跡は吾妻川の支流である遅沢川左岸の南向き斜面に位置する。調査区の標高は760 ~ 800 m、ほとんどの部分が傾斜を持ち、生活に適した平坦面は中心部にしか存在しない。ただし、その平坦面も平安時代の土砂崩れにより出現したものと推測される。縄文時代の遺構として、前期初頭の石器製作跡、焼土を伴う土坑が調査範囲西端で検出されている。中期には中央部分の谷沿いに土器埋設遺構が5基確認された。平安時代においては集落が存在するが、時期として9世紀後半に限定されるようである。検出された10 軒の住居跡の内、1 軒は長軸7 m、短軸6.3 mと規模が大きい。同時期に比定される鍛冶工房跡も1 基認められ、関係性が注目される。また、その鍛冶工房で使用されたと思われる炭の供給目的で土坑状の炭窯が5 基作られていた。陥し穴も当該期前後のものと考えられ、59 基が谷沿いを中心に検出された。中近世の遺構と思われるものは、柱間が2.1 mと広い2間×3間の掘立柱建物跡が1棟、それに付随するものを含めた柱列が3条、方形竪穴状遺構1基、開発に伴う大溝2条、排水目的の小溝2条、ヤックラ3基が検出されているが、特筆すべきは草津道と推定される両側溝を持つ道路跡である。 |