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田光遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/140674
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.140674
引用表記 株式会社イビソク 2024 『田光遺跡』株式会社菊和
株式会社イビソク 2024 『田光遺跡』
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書名 田光遺跡
発行(管理)機関 名古屋市 - 愛知県
書名かな たこういせき
副書名 宅地造成工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
株式会社イビソク
発行機関
株式会社菊和
発行年月日 20241129
作成機関ID 23100
郵便番号 4608508
電話番号 0529723269
住所 愛知県名古屋市中区三の丸三丁目1-1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 田光遺跡
遺跡名かな たこういせき
本内順位
遺跡所在地 名古屋市瑞穂区大喜町3丁目・5丁目、田光町3丁目
所在地ふりがな なごやしみずほくだいきちょう3ちょうめ・5ちょうめ、たこうちょう3ちょうめ
市町村コード 23100
遺跡番号 11-39
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 350728
東経(世界測地系)度分秒 1365539
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.124444 136.927499
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20240126-20240517
調査面積(㎡)
1360
調査原因 宅地造成
遺跡概要
種別
散布地
時代
弥生
古墳
古代(細分不明)
中世(細分不明)
主な遺構
竪穴建物
掘立柱建物
土坑
ピット
道路状遺構
主な遺物
弥生土器
土師器
須恵器
灰釉陶器
山茶碗
中世陶器
輸入陶磁器
石器
獣骨
貝殻
特記事項 弥生終末期から古墳時代の集落や、鎌倉~室町時代の大溝が確認された。
要約  田光遺跡は、瑞穂台地の縁辺部に立地する。今回の調査では、調査区を4か所設定し1区では古墳時代から古代、2区と3区では古代から中世、4区では弥生時代から中世にかけての遺構を検出した。
 弥生時代後期の竪穴建物、焼失竪穴建物、土坑の特徴は、瑞穂台地周辺の集落遺跡と共通しており、今調査で竪穴建物群が営まれている時期が瑞穂台地上の環濠集落が衰退する時期に当たることが確認できた。古墳時代の竪穴建物の周辺土坑からは甕と韓式系土器の甑が出土し、渡来系の文化が取り入れられ始めていた可能性が窺える。古代の竪穴建物が確認できたことから、瑞穂台地上でこれまで希薄であった古代の集落が中腹部に移動していたと推測される。中世の大溝は区画溝として使用され、その後道路として活用されたことが窺えた。また、遺構の主軸方向の変化から町割の変遷が推測でき、増益山大喜寺の所在地を含め、中世の整地以降の町割が現在まで続いていることが窺える。

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