奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41205 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132406 件
( 前年度比 + 1721 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147517 件
( 前年度比 + 2091 件 )
現在の文化財論文件数
120560 件
( 前年度比 + 1563 件 )
現在の文化財動画件数
1297 件
( 前年度比 + 113 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1247 件
( 前年度比 + 197 件 )
※過去開催分含む
発行機関一覧 (都道府県別) > 全国 > 斎宮跡発掘調査報告Ⅳ

斎宮跡発掘調査報告Ⅳ

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/139876
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.139876
引用表記 斎宮歴史博物館 2024 『斎宮跡発掘調査報告Ⅳ』斎宮歴史博物館
斎宮歴史博物館 2024 『斎宮跡発掘調査報告Ⅳ』
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=勝宏|last=大川|title=斎宮跡発掘調査報告Ⅳ|origdate=2024-03-25|date=2024-03-25|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/139876|location=三重県多気郡明和町竹川503|doi=10.24484/sitereports.139876}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 斎宮跡発掘調査報告Ⅳ
発行(管理)機関 三重県立斎宮歴史博物館 - 三重県
有償頒布・配布ページ http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/saiku/50447036237.htm
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな さいくうあとはっくつちょうさほうこく よん
副書名 西加座南区画の調査 遺構編
巻次
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
斎宮歴史博物館
発行機関
斎宮歴史博物館
発行年月日 20240325
作成機関ID 24442
郵便番号 5150325
電話番号 0596523800
住所 三重県多気郡明和町竹川503
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 斎宮跡
遺跡名かな さいくうあと
本内順位
遺跡所在地 多気郡明和町斎宮・竹川
所在地ふりがな たきぐんめいわちょうさいくう たけがわ
市町村コード 24442
遺跡番号 210
北緯(日本測地系)度分秒 343155
東経(日本測地系)度分秒 1363616
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.5352 136.6016
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19750702-20090911
調査面積(㎡)
9730
調査原因 学術調査ほか
遺跡概要
種別
官衙
時代
奈良
平安
主な遺構
掘立柱建物
土坑
井戸
竪穴建物
道路跡
主な遺物
土師器
須恵器
緑釉陶器
灰釉陶器
貿易陶磁
製塩土器
金属製品
特記事項 奈良時代末~平安時代の方格街区の西風見並区画の検出遺構の総括
要約 ・奈良時代末期~平安時代初期にかけて史跡斎宮跡の東部に造営された方格街区の西加座南区画の遺構を再整理し総括した。
・区画内の建物の変遷の在り様から、斎宮の度会郡移転期を含め、A~F期の7期の画期を整理した。
・A期には区画南西部にSA5840(東西14間×南北12間)による方形区画が造られ、その内部にA期の中でも3段階の建物変遷がある。方形区画に南接するSE5850もこのころまで遡ると考えられ、祭祀的な遺物と相まって斎宮の祭祀的な施設であると考えられる。
・A期の区画東半には、5間×2間の東西棟が8棟並立する建物配置が見られる。
・斎宮が度会郡へ移転している9世紀前葉には建物遺構がみられなくなり、区画道路上に大型の土坑が掘削されるようになる。
・9世紀中葉のB期には、西加座南区画全体で5間×2間の東西棟が10棟程度並列する状況となる。
・9世紀後半のC期には、区画南西部を中心にこれまでと大きく建物の棟方向をたがえる建物群が出現し、これは西隣の柳原区画と一体の建物配置となり、寮庁の機能の一部を移している可能性がある。
・10世紀から11世紀の初頭ころにあたるD・E期には建物が減少し、区画内の中心的な建物も明確でなくなり、特にE期には区画の北西部には建物が皆無になる。
・11世紀代に入るF期には区画南東部に建物が集中し、土器類を大量に投棄する井戸もみられる。これ以降、西加座南区画では建物もその他の遺構も見られなくなり、牛葉東区画や柳原区画・下園東区画などに比べて早く廃絶していく。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 75
ファイルダウンロード数 : 81

全国のイベント

外部出力