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崩り遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/22634
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.22634
引用表記 喜界町教育委員会 2018 『喜界町埋蔵文化財発掘調査報告書16:崩り遺跡』喜界町教育委員会
喜界町教育委員会 2018 『崩り遺跡』喜界町埋蔵文化財発掘調査報告書16
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書名 崩り遺跡
発行(管理)機関 喜界町 - 鹿児島県
書名かな くんでぃいせき
副書名 畑地帯総合整備事業(担い手育成型)手久津久地区に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次 1
シリーズ名 喜界町埋蔵文化財発掘調査報告書
シリーズ番号 16
編著者名
編集機関
喜界町教育委員会
発行機関
喜界町教育委員会
発行年月日 20180122
作成機関ID 46529
郵便番号 8916292
電話番号
住所 鹿児島県大島郡喜界町湾1746
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 崩リ遺跡
遺跡名かな くんでぃいせき
本内順位
遺跡所在地 鹿児島県大島郡喜界町大字手久津久字崩リ
所在地ふりがな かごしまけんおおしまぐんきかいちょうおおあざてくづくあざくんでぃ
市町村コード 46529
遺跡番号 37-136
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 281720
東経(世界測地系)度分秒 1295617
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 28.288888 129.938055
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20090610-20091130
20110623-20120319
20120403-20130301
調査面積(㎡)
14006
調査原因 畑地帯総合整備事業(担い手育成型)手久津久地区
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
中世(細分不明)
主な遺構
竪穴状遺構27基
土坑16基
溝状遺構15条
掘立柱建物跡41棟
土坑墓2基
土坑15基
焼土9基
製鉄関連遺構
主な遺物
面縄東洞式
嘉徳式
松山式
龍泉窯系青磁
白磁
カムィヤキ
特記事項 製鉄関連遺構が広がる879㎡を盛土保存している。
要約 崩リ遺跡は,喜界島南西部に位置する標高約23mの段丘上に所在する。畑地帯総合整備事業(担い手育成型)手久津久地区に伴い平成23~24年度に実施した本調査では,遺跡南側付近に縄文時代の遺構を検出し,中央付近と北側に中世の遺構を検出した。
 縄文時代の遺構は,竪穴状遺構や土坑,溝状遺構があり,遺構からは土器や石器・獣骨などが出土した。放射性炭素年代測定や土器型式から縄文時代後期~晩期に相当する遺構と考えられる。出土した土器は,主に面縄東洞式や嘉徳ⅠA式,嘉徳Ⅱ式土器があり,それに伴って松山式や市来式土器も出土した。また,石器については200点近くの有溝砥石をはじめ,特徴ある石器が出土している。遺構内から大量に見つかる石器や礫はすべて喜界島では産出しない石材と考えられ,これらの
遺物からは当時の人々の海を介した頻繁な動きが見えてきている。
 中世の遺構では掘立柱建物跡や土坑墓,土坑,焼土跡,溝状遺構,畝状遺構を検出した。遺物は,11世紀末~12世紀頃と考えられる白磁やカムィヤキ,滑石製品などが遺跡中央付近の遺構から出土し,また遺跡北側では,14世紀後半頃~15世紀前半頃と考えられる龍泉窯系青磁やビロースクタイプ白磁椀などが出土した。これらの遺構からは,母屋・小屋・倉庫と考えられる建物のセット関係が確認でき,それに付随して焼土・土坑が作られている状況がうかがえた。これらの周囲には遺構の無い空間があることから,建物群に付随する庭や広場といった空間利用の可能性が考えられる。
 掘立柱建物跡などの遺構から少し離れた遺跡西側では,製鉄関連遺構が検出された。出土遺物から概ね11世紀~12世紀頃の遺構と考えられ,製鉄関連遺構の中世最南端の事例となった。この時期の南西諸島における製鉄の意義は大きく,今後喜界島の歴史的評価につながる重要な遺構として盛土保存された。

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