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水町遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/90970
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.90970
引用表記 日田市教育庁文化財保護課 2021 『日田市埋蔵文化財調査報告書140:水町遺跡』日田市教育委員会
日田市教育庁文化財保護課 2021 『水町遺跡』日田市埋蔵文化財調査報告書140
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書名 水町遺跡
発行(管理)機関 日田市 - 大分県
書名かな みずまちいせき
副書名
巻次
シリーズ名 日田市埋蔵文化財調査報告書
シリーズ番号 140
編著者名
編集機関
日田市教育庁文化財保護課
発行機関
日田市教育委員会
発行年月日 20210325
作成機関ID 44204
郵便番号 8778601
電話番号 0973247171
住所 大分県日田市田島2丁目6-1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 水町遺跡
遺跡名かな みずまちいせき
本内順位
遺跡所在地 大分県日田市大字渡里
所在地ふりがな おおいたけんひたしおおあざわたり
市町村コード 442046
遺跡番号 204384
北緯(日本測地系)度分秒 331932
東経(日本測地系)度分秒 1305536
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.3289 130.9243
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20181207-20190306
調査面積(㎡)
398
調査原因 記録保存調査
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
古墳
中世(細分不明)
主な遺構
竪穴建物 2
掘立柱建物 1
溝 1
竪穴遺構 1
土坑 9
主な遺物
弥生土器
土師器
須恵器
青磁
石器
特記事項 弥生時代・古墳時代・中世に、存続期間の短い小規模の集落が断続的に存在していたと考えられる。
要約  水町遺跡は筑後川上流域にある日田盆地の北西寄り、筑後川支流花月川の左岸、標高約82mを測る沖積微高地に位置する。このあたりは国道212号玉川バイパス沿いに住宅地・商業地が急速に広がりつつある地域であるが、調査地は水田のまま残されていた。
 調査では、水田基盤土直下の浅い位置で、弥生時代前期末~後期前半頃の土坑・溝・竪穴遺構、弥生時代後期中頃~古墳時代前期前半頃及び古墳時代後期の竪穴建物、中世(14世紀代)の掘立柱建物が確認された。
 遺構の時期は幅広いものの遺構数は少なく、弥生時代・古墳時代・中世に存続期間の短い小規模な集落が断続的に存在したことが看取できる。大きな河川に近いという立地も関係したためか、生活基盤としては安定せず、集落としての発展はうかがえなかったものと思われる。
 また今回確認された遺構の多くは、調査対象地の北西側から南東側にかけての帯状の範囲に集中しており、それより北~北東側は水田化の際に埋め立てられていたことから、旧地形は花月川に向かって落ち込んでいたと考えられ、沖積微高地から川に向かって下がっていく地形の境界付近の少し高い場所を選んで、断続的に生活域として利用されたものと思われる。

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