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内橋坪見遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/121958
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.121958
引用表記 粕屋町教育委員会 2019 『粕屋町文化財調査報告書44:内橋坪見遺跡』粕屋町教育委員会
粕屋町教育委員会 2019 『内橋坪見遺跡』粕屋町文化財調査報告書44
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書名 内橋坪見遺跡
発行(管理)機関 粕屋町 - 福岡県
書名かな うちはし つぼみ いせき
副書名 福岡県糟屋郡粕屋町大字内橋字辻寺所在の官衙遺跡の調査
巻次 1次・2次
シリーズ名 粕屋町文化財調査報告書
シリーズ番号 44
編著者名
編集機関
粕屋町教育委員会
発行機関
粕屋町教育委員会
発行年月日 20190331
作成機関ID 403491
郵便番号 8112314
電話番号 0929392984
住所 福岡県糟屋郡粕屋町若宮一丁目1-1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 内橋坪見遺跡1次
遺跡名かな うちはしつぼみいせき
本内順位
遺跡所在地
所在地ふりがな
市町村コード 40349
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 333720
東経(世界測地系)度分秒 1302744
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.622222 130.462222
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20120210-20121009
調査面積(㎡)
1100
調査原因 通信局舎
遺跡概要
種別
集落
官衙
時代
弥生
古墳
飛鳥白鳳
奈良
主な遺構
竪穴建物
掘立柱建物
築地塀
土坑
主な遺物
弥生土器
土師器
須恵器
金属器
石器
特記事項 推定駅路に隣接し、大型掘立柱建物2棟、区画溝、柵、築地塀、大宰府式鬼瓦、多量の瓦が出土。夷守駅とみられる。
遺跡名 内橋坪見遺跡2次
遺跡名かな うちはしつぼみいせき
本内順位
遺跡所在地
所在地ふりがな
市町村コード 403491
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 333719
東経(世界測地系)度分秒 1302743
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.621944 130.461944
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20131107-20131213
調査面積(㎡)
11
調査原因 保存目的確認調査
遺跡概要
種別
集落
官衙
時代
弥生
奈良
主な遺構
土坑
主な遺物
弥生土器
土師器
須恵器
特記事項 駅家を構成する柵を検出。1次調査の延長上にあり、南北長50 mに及ぶ。
要約 推定駅路に隣接する官衙遺跡であり、同時期に併存した糟屋郡衙(阿恵遺跡)とは1㎞の距離にある。8世紀前半代には、区画溝と柵による囲繞施設、地域最大級規模の掘立柱建物2棟を確認した。これらの官衙施設は周辺の条里地割に沿う方位をとる。8世紀中ごろ以降は、官衙施設全体が正方位に変化し、総瓦葺礎石建物に建て替えられ、築地塀も設置される。大宰府式鬼瓦・軒丸瓦・軒平瓦・熨斗瓦・面戸瓦をはじめ、赤色顔料(ベンガラ)が付着した隅切の軒平瓦がある。瓦と一緒に白色土も出土していることから、赤塗りの柱と白壁をもち、総瓦葺きで寄棟造か入母屋造の非常に格式の高い建物が存在したことが判明した。駅路に隣接する立地環境と、上記調査成果から、駅家(夷守駅)とみられる。

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