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駿河A遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/59325
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.59325
引用表記 春日市教育委員会 2015 『春日市文化財調査報告書74:駿河A遺跡』春日市教育委員会
春日市教育委員会 2015 『駿河A遺跡』春日市文化財調査報告書74
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書名 駿河A遺跡
発行(管理)機関 春日市 - 福岡県
書名かな するがAいせき
副書名 1次調査/福岡県春日市原町所在遺跡の調査
巻次
シリーズ名 春日市文化財調査報告書
シリーズ番号 74
編著者名
編集機関
春日市教育委員会
発行機関
春日市教育委員会
発行年月日 20150331
作成機関ID
郵便番号 816-0804
電話番号 092-584-1111
住所 福岡県春日市原町3-1-5
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 駿河A遺跡 第1次
遺跡名かな するがAいせき
本内順位 1
遺跡所在地 福岡県春日市原町3丁目1-5
所在地ふりがな ふくおかけんかすがしはらまちさんちょうめ
市町村コード 40218
遺跡番号 B3
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 333158
東経(世界測地系)度分秒 1302812
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.532777 130.47
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19890606-19900214
調査面積(㎡)
8250
調査原因 記録保存調査
遺跡概要
種別
集落
時代
旧石器
主な遺構
遺構なし
主な遺物
石器
特記事項 弥生時代中期後半から終末期を主体とする集落。住居跡からは高い割合で鉄器やガラスが小玉が出土する。32号住居は玉作り工房の可能性が高い。
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
土坑5
主な遺物
縄文土器
石器
特記事項
種別
集落
時代
弥生
主な遺構
竪穴建物39
掘立柱建物56
土坑17
井戸2
溝10
周溝2
竪穴1
主な遺物
弥生土器
石器
鉄器
玉類
土製品
青銅器
青銅器鋳型
特記事項
種別
集落
時代
奈良
主な遺構
竪穴建物3
土坑1
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項
要約  駿河A遺跡は春日市東部の低台地上に立地する遺跡である。米軍基地などによる整地のため、遺跡の大部分が消滅していたが、竪穴建物跡42軒、掘立柱建物跡56棟等が確認された。遺跡の中心時期は弥生時代中期から後期にかけてであり、特に後期後半頃が集落の最盛期であったとみられる。調査範囲内においては環濠や墓地などは認められなかった。大形の建物跡が多くあり、長方形を呈する竪穴住居跡には長辺が9m近くのものも数軒見られる。また、掘立柱建物跡は、大まかに倉庫と平地式住居の2種類が存在するものと考えられる。多くの住居跡から鉄器や玉類が出土していることから、有力集団によって営まれた集落だったことが推察される。奴国の中心地とされる須玖遺跡群と並び存在していた周辺市群の様相を窺う貴重な遺跡と言える。

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