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久留米市内遺跡群

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/57945
引用表記 久留米市市民文化部文化財保護課 2013 『久留米市文化財調査報告書333:久留米市内遺跡群』久留米市教育委員会
久留米市市民文化部文化財保護課 2013 『久留米市内遺跡群』久留米市文化財調査報告書333
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ファイル
書名 久留米市内遺跡群
発行(管理)機関 久留米市 - 福岡県
有償頒布・配布ページ https://www.city.kurume.fukuoka.jp
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな くるめしないいせきぐん
副書名
巻次 平成24年度
シリーズ名 久留米市文化財調査報告書
シリーズ番号 333
編著者名
編集機関
久留米市市民文化部文化財保護課
発行機関
久留米市教育委員会
発行年月日 20130331
作成機関ID 40203
郵便番号 8308520
電話番号 0942309225
住所 福岡県久留米市城南町15-3
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 塚崎遺跡 第1次
遺跡名かな つかざきいせき
本内順位 1
遺跡所在地 久留米市三潴町高三潴156-2ほか
所在地ふりがな くるめしみづままちたかみづま156-2ほか
市町村コード 40203
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 331552
東経(世界測地系)度分秒 1302721
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.264444 130.455833
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20111018-20111028
調査面積(㎡)
17
調査原因 試掘・確認調査
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
主な遺構
土坑 4基
溝 1条
柱穴
主な遺物
弥生土器
石器
特記事項 弥生時代中期~後期にかけての集落跡。
遺跡名 西海道跡 第3次
遺跡名かな さいかいどうあと
本内順位 2
遺跡所在地 久留米市荒木町荒木24-1ほか
所在地ふりがな くるめしあらきまちあらき24-1ほか
市町村コード 40203
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 331632
東経(世界測地系)度分秒 1303048
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.275555 130.513333
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20111116-20111124
調査面積(㎡)
52
調査原因 試掘・確認調査
遺跡概要
種別
その他
時代
古代(細分不明)
中世(細分不明)
近代(細分不明)
主な遺構
溝 1条
土坑 1基
主な遺物
土師器
特記事項 西海道推定路線上で野添川旧流路と交差する地点。河川作用と地下げで、遺跡は既に失われた可能性がある。
遺跡名 善導寺境内遺跡 第10次
遺跡名かな ぜんどうじけいだいいせき
本内順位 3
遺跡所在地 久留米市善導寺町飯田550
所在地ふりがな くるめしぜんどうじまちいいだ550
市町村コード 40203
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 331949
東経(世界測地系)度分秒 1303612
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.330277 130.603333
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20120319
調査面積(㎡)
23
調査原因 試掘・確認調査
遺跡概要
種別
社寺
時代
中世(細分不明)
主な遺構
土坑 2基
溝 1条
主な遺物
土師器
特記事項 低台地北端部で、遺構の密度が低く、残りも悪い。
遺跡名 久留米城下町遺跡 第19次
遺跡名かな くるめじょうかまちいせき
本内順位 4
遺跡所在地 久留米市中央町15-3ほか
所在地ふりがな くるめしちゅうおうまち15-3ほか
市町村コード 40203
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 331916
東経(世界測地系)度分秒 1303019
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.321111 130.505277
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20120419-20120423
調査面積(㎡)
36
調査原因 確認調査
遺跡概要
種別
集落
時代
近世(細分不明)
主な遺構
溝 1条
主な遺物
近世陶磁器
特記事項 築島町と新道との町境の調査。
遺跡名 白口経塚遺跡 第8次
遺跡名かな しらくちきょうづかいせき
本内順位 5
遺跡所在地 久留米市荒木町白口2361-12ほか
所在地ふりがな くるめしあらきまちしらくち2361-12ほか
市町村コード 40203
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 331734
東経(世界測地系)度分秒 1303008
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.292777 130.502222
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20120525-20120531
調査面積(㎡)
40
調査原因 記録保存調査
遺跡概要
種別
集落
時代
奈良
主な遺構
溝 1条
ピット 40基
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項 古代筑後国三潴郡荒木郷に含まれる集落の一角。
遺跡名 辻遺跡 第6次
遺跡名かな つじいせき
本内順位 6
遺跡所在地 久留米市東櫛原町1418-2、-5
所在地ふりがな くるめしひがしくしはらまち1418-2、-5
市町村コード 40203
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 331919
東経(世界測地系)度分秒 1303125
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.321944 130.523611
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20120808-20120817
調査面積(㎡)
53
調査原因 記録保存調査
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
主な遺構
掘立柱建物 1棟
ピット 多数
主な遺物
弥生土器
石器
特記事項 弥生時代後期の集落跡を確認。
遺跡名 南薫西遺跡 第7次
遺跡名かな なんくんにしいせき
本内順位 7
遺跡所在地 久留米市南薫西町1984-1ほか
所在地ふりがな くるめしなんくんにしまち1984-1ほか
市町村コード 40203
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 331901
東経(世界測地系)度分秒 1303122
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.316944 130.522777
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20120522-20120604
調査面積(㎡)
48
調査原因 記録保存調査
遺跡概要
種別
集落
時代
奈良
平安
主な遺構
土坑 3基
溝 1条
ピット
主な遺物
土師器
須恵器
馬歯
古瓦
近世陶磁器
特記事項 古代筑後国御井郡櫛原郷の集落。
遺跡名 正覚山浄土寺飯田庵跡 第1次
遺跡名かな しょうがくさんじょうどじいいだあんあと
本内順位 1
遺跡所在地 久留米市善導寺町飯田1062-5ほか
所在地ふりがな くるめしぜんどうじまちいいだ1062-5ほか
市町村コード 40203
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 331933
東経(世界測地系)度分秒 1303644
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.325833 130.612222
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20120823-20120831
調査面積(㎡)
64
調査原因 記録保存調査
遺跡概要
種別
田畑
社寺
時代
奈良
平安
鎌倉
近世(細分不明)
主な遺構
掘立柱建物 1基
溝 1条
ピット
主な遺物
弥生土器
土師器
須恵器
中世陶磁器
染付
特記事項 13~14世紀の遺物が出土。条里と同じ方向に走る溝を検出。
遺跡名 久留米城外郭遺跡 第20次
遺跡名かな くるめじょうそとくるわいせき
本内順位 9
遺跡所在地 久留米市篠山町170-1
所在地ふりがな くるめしささやままち170-1
市町村コード 40203
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 331916
東経(世界測地系)度分秒 1303043
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.321111 130.511944
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20120829-20120831
調査面積(㎡)
14
調査原因 記録保存調査
遺跡概要
種別
城館
時代
近世(細分不明)
主な遺構
土塁 1基
堀 1条
溝 1条
主な遺物
特記事項 近世久留米城外郭の土塁線の調査。
要約 (塚崎遺跡 第1次)
調査地は、広川左岸域に形成された標高6mの低台地上に位置する。江戸時代に細形銅剣2本が出土した御廟塚貝塚の西側に所在する。弥生時代前期末~中期前半ころを中心に、一部後期にいたる土坑や溝、掘立柱建物を構成すると考えられる柱穴などを検出した。遺物は主に土坑から、土器やせっきなど生活用品が出土している。
(西海道跡 第3次)
調査地の北東約1.3㎞の地点で実施された車地遺跡第3次調査では、路面幅約9mで両側溝を持つ道路遺構が検出されている。また、南方約300mの地点は「車路」の地名が残り、木下良氏によって歴史地理学的な見地から、西海道路線が推定されていた。調査地点はこの推定路線上にあたり、西流する野添川の急流路と交差する位置にある。しかし、関連遺構は全く検出されなかった。河川の作用によって流出したか、もしくは地下げで削平されたのか、あるいはそれらが複合原因となり消滅したのか定かではない。
(善導寺境内遺跡 第10次)
調査地は善導寺本堂の裏手にあたり、巨瀬川の氾濫原に面する低位段丘端部に位置する。これより北側は段丘崖となっており、急激に標高を下げる。このような状況であるためか、遺構密度は低く、かつ深さも浅く残りは極めて悪い。情報量も極めて少ないが、これらの遺構は、SK10からの出土遺物により、中世頃の年代が考えられるのみである。
(久留米城下町遺跡 第19次)
城下町の屋敷境を確認することを目的とした調査である。片岩を6~7段ほど平積みした石組溝1条を検出した。存続年代は、18世紀末~19世紀中頃である。溝埋没後の明治以降は、石組溝間に石列を並べ境界を標示している。この石組溝SD1は、天保年間久留米城下図にある築島町と新道の境界線に比定される。この両町の間には道路がと描かれているため、SD1は道路東側の側溝となろう。
(白口経塚遺跡 第8次)
本調査地は、西海道に近い微高地に位置し、上津荒木川と広川に挟まれた水陸の交通の要所である。道と川に挟まれたこの三角地帯には、律令期の集落遺跡が集中しており、西方の三潴郡衙と北東の筑後国府とを結ぶ重要な役割を持っていたことがうかがえる。検出遺構は、溝1条と掘立柱建物の柱穴と考えられるピットである。調査区が狭いため、建物の規模や配置は明らかでないが、律令期の荒木郷に含まれる集落であった可能性が高い。
(辻遺跡 第6次)
調査地は、久留米市街地の北東部に位置し、筑後川左岸の氾濫原に突出した低位段丘上に立地する。標高は13.0mを測る。調査の結果、掘立柱建物1棟とピット多数を検出した。掘立柱建物については、平面形式1間✕1間以上の規模で、出土遺物から弥生時代後期の所産と推定される。過去の調査結果から本遺跡では、弥生時代中期の甕棺墓群が営まれる以前に、比較的短期間居住域が広がっていたものと考えられた。しかし、今回の調査の結果、弥生時代後期の掘立柱建物を検出しえたことから、中期の甕棺墓群が営まれて以降も、再び集落が形成されることが判明した。
(南薫西遺跡 第7次)
調査地は、筑後川左岸に形成された標高14m低台地上に位置する。周辺には弥生時代の集落や甕棺墓群が数多く認められる。今回は8~9世紀の土坑3基、溝1条などが検出され、転用硯や布目瓦の出土から、筑後国御井郡櫛原郷における中心的な集落と思われる。
(正覚山浄土寺飯田庵跡 第1次)
調査地は、巨瀬川左岸の自然堤防上に位置し、建保6年(1218年)開山とされる正覚山浄土寺の伝承地である。中世以降の掘立柱建物1基のほか、旧山本郡の条里と同じく、西へ2°偏位する溝を検出し、12世紀ごろまで条里地割の溝が存続していた可能性がある。また、13~14世紀の輸入陶磁器が出土し、鎌倉時代に集落があったと思われる。
(久留米城外郭遺跡 第20次)
調査地は、久留米城外郭の北東隅部にあたる。ここは、土塁と掘を挟んで東に位置する櫛原小路から城内へ出入りする櫛原口であり、枡形を形成する土塁の検出を目的として調査した。結果、現地表下には良好な状態で土塁積み土が残存していることが判明した。外郭北辺土塁は、土嚢を基礎に、外堀の掘削土である砂礫を積み上げている状況が見られた。枡形の土塁は、これに粘土混じりの土を託して積み上げている。なお、土塁下部に幅6.8mの濠状遺構が存在することが判明した。その機能や築造時期をふくめ、新たな論議を提供することになった。

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