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発行機関一覧 (都道府県別) > 福岡県 > 久留米市 > 庄屋野遺跡(第5次)・富本遺跡(第1次)・二子塚遺跡(第5次)・二子塚遺跡(第6次)・京隈侍屋敷遺跡(第15次)

庄屋野遺跡(第5次)・富本遺跡(第1次)・二子塚遺跡(第5次)・二子塚遺跡(第6次)・京隈侍屋敷遺跡(第15次)

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/57899
引用表記 久留米市文化観光部文化財保護課 2009 『久留米市文化財調査報告書278:庄屋野遺跡(第5次)・富本遺跡(第1次)・二子塚遺跡(第5次)・二子塚遺跡(第6次)・京隈侍屋敷遺跡(第15次)』久留米市教育委員会
久留米市文化観光部文化財保護課 2009 『庄屋野遺跡(第5次)・富本遺跡(第1次)・二子塚遺跡(第5次)・二子塚遺跡(第6次)・京隈侍屋敷遺跡(第15次)』久留米市文化財調査報告書278
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書名 庄屋野遺跡(第5次)・富本遺跡(第1次)・二子塚遺跡(第5次)・二子塚遺跡(第6次)・京隈侍屋敷遺跡(第15次)
発行(管理)機関 久留米市 - 福岡県
有償頒布・配布ページ https://www.city.kurume.fukuoka.jp
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな しょうやの いせき だい5じ・とみもと いせき だい1じ・ふたごずか いせき だい5じ・ふたごずか いせき だい6じ・きょうぐま さむらい やしき いせき だい15じ
副書名 久留米市埋蔵文化財調査集報 ; 11
巻次
シリーズ名 久留米市文化財調査報告書
シリーズ番号 278
編著者名
編集機関
久留米市文化観光部文化財保護課
発行機関
久留米市教育委員会
発行年月日 20090315
作成機関ID 40203
郵便番号 8308520
電話番号 0942309225
住所 福岡県久留米市城南町15-3
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 庄屋野遺跡 第5次
遺跡名かな しょうやのいせき
本内順位 1
遺跡所在地 久留米市安武町安武本
所在地ふりがな くるめしやすたけまちやすたけほん
市町村コード 40203
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 331758
東経(世界測地系)度分秒 1302942
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.299444 130.494999
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19920817-19920919
調査面積(㎡)
134
調査原因 専用住宅建設
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
主な遺構
溝 1軒
土坑 3基
地割れ跡 1条
主な遺物
弥生土器
石製品(石鏃、スクレイパー、敲石)
特記事項 弥生時代前期末~中期初頭の環濠、及び弥生時代以降に形成された地割れ跡を検出。
遺跡名 富本遺跡 第1次
遺跡名かな とみもといせき
本内順位 2
遺跡所在地 久留米市田主丸町竹野字一石
所在地ふりがな くるめしたぬしまるまちたけのあざいっせき
市町村コード 40203
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 331915
東経(世界測地系)度分秒 1303925
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.320833 130.656944
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20041015-20041207
調査面積(㎡)
600
調査原因 竹野保育園園庭拡張工事
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
古墳
平安
主な遺構
溝 3条
土坑 6基
ピット
主な遺物
縄文土器
土師器
特記事項 縄文時代後期の土器が出土
遺跡名 二子塚遺跡 第5次
遺跡名かな ふたごづかいせき
本内順位 3
遺跡所在地 久留米市荒木町荒木字二子塚・楢崎
所在地ふりがな くるめしあらきまちあらきあざふたごづか・ならさき
市町村コード 40203
遺跡番号 030972
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 331613
東経(世界測地系)度分秒 1302959
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.270277 130.499722
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20070807-20070921
調査面積(㎡)
1197
調査原因 屋外運動場改築
遺跡概要
種別
集落
時代
古墳
主な遺構
掘立柱建物 3棟
竪穴住居 5軒
溝 1条
土坑 4基
主な遺物
須恵器
土師器
埴輪
特記事項
種別
集落
時代
奈良
主な遺構
土坑 2基
主な遺物
須恵器
土師器
特記事項
種別
集落
時代
平安
主な遺構
土坑 1基
主な遺物
須恵器
土師器
特記事項
種別
集落
時代
中世(細分不明)
主な遺構
溝 8条
土坑 3基
主な遺物
土師器
瓦器
国産陶器
輸入陶磁器
石鍋
特記事項
種別
集落
時代
近世(細分不明)
近代(細分不明)
主な遺構
溝 1条
主な遺物
近世陶磁器
ガラス瓶
特記事項 古墳時代後期から近代まで続く複合遺跡である。二子塚古墳とほぼ同時期の集落が検出され、中世の遺構からは同古墳に伴うと考えられる埴輪片が出土した。
遺跡名 二子塚遺跡 第6次
遺跡名かな ふたごづかいせき
本内順位 4
遺跡所在地 久留米市荒木町荒木字北浦
所在地ふりがな くるめしあらきまちあらきあざきたうら
市町村コード 40203
遺跡番号 030972
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 331616
東経(世界測地系)度分秒 1303006
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.271111 130.501666
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20080811-20080822
調査面積(㎡)
119
調査原因 校舎改築
遺跡概要
種別
集落
時代
奈良
平安
主な遺構
土坑 1基
溝 2条
主な遺物
土師器
陶器
特記事項 奈良~平安時代の土坑、溝を検出した。当該期の遺構は、小学校敷地全域に点在するものと推定される。
遺跡名 京隈侍屋敷遺跡 第15次
遺跡名かな きょうぐまさむらいやしきいせき
本内順位 5
遺跡所在地 久留米市中央町2-83外
所在地ふりがな くるめしちゅうおうまち2-83ほか
市町村コード 40203
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 331911
東経(世界測地系)度分秒 1303010
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.319722 130.502777
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20080902-20080911
調査面積(㎡)
128
調査原因 道路新設工事
遺跡概要
種別
城館
時代
近世(細分不明)
主な遺構
土坑 4基
ピット 8基
主な遺物
近世陶磁器
土師器
須恵器
銭貨
特記事項 近世の土坑・ピットを検出した。全体に撹乱を受けており、詳細は不明である。ピットのうち1基からは近世以前の須恵器が出土。
要約 (庄屋野遺跡 第5次)
調査地は舌状に張り出した低台地の先端部に位置する。地形に沿って幅3.1~4.0m、深さ1.5m余りの規模を有する、弥生時代前期末~中期初頭の大溝が確認された。この大溝は推定で内径50m程度の環濠になる可能性もあるが、環濠の内部施設についてはピットや浅い土坑が確認されたのみで、詳細は不明である。またこの大溝を切って幅30~80cmの地割れ跡も確認された。時期的に見れば、『日本書紀』天武七年(679)条に記された「筑紫大地震」に伴う地割れと考えても矛盾はないものの、推測の域を出るものではない。
(富本遺跡 第1次)
竹野郡衙推定地の南西約400mに位置し、竹野小学校遺跡の南西部に当たる。今回の調査では古墳群の存在が考慮されたが、その痕跡を確認することが出来なかった。また、遺構には伴っていないが縄文土器が出土している。
(二子塚遺跡 第5次)
隣接する二子塚古墳と時期的にもほぼ併行する後期の集落を検出した。これが古墳を造営するためのキャンプサイトであるのか否か今後の調査の進展が望まれる。また、同古墳に伴うと見られる埴輪片が出土したが、すべて中世遺構に混入したものであった。「荒木近藤氏文書」には付近一帯が畠地となり、「ふたこつか」と呼称されていたとの室町時代ころの記述がある。同古墳の破壊が中世段階に進んだことが確認できた。さらに、字境の大溝を埋め戻して建設された小学校旧講堂の建設年代については、従来大正11年説と昭和11年説の2説があったが、調査の結果、後者の説が正しいことが立証された。
(二子塚遺跡 第6次)
奈良~平安時代にかけての土坑や溝を検出した。これまでの調査で、市立荒木小学校敷地内からは当該期の遺構が点在している状況が判明しており、『和名抄』にみえる筑後国三潴郡荒木郷の一角を占めるものと思われる。
(京隈侍屋敷遺跡 第15次)
『御家中略系図』によれば「太田家」の敷地内にあたる。しかし調査区の大半は撹乱を受けており、今回の調査にて詳細を得ることはできなかった。検出遺構のピットのうち1基からは須恵器が出土しており、近世以前の遺構も僅かではあるが残されているようである。

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