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米子城跡第54次調査

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/70675
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.70675
引用表記 一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室 2020 『一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財発掘調査報告書21:米子城跡第54次調査』一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室
一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室 2020 『米子城跡第54次調査』一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財発掘調査報告書21
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書名 米子城跡第54次調査
発行(管理)機関 (一財)米子市文化財団 - 鳥取県
書名かな よなごじょうあとだい54じちょうさ
副書名
巻次
シリーズ名 一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財発掘調査報告書
シリーズ番号 21
編著者名
編集機関
一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室
発行機関
一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室
発行年月日 20200331
作成機関ID 31202
郵便番号 683-0011
電話番号 0859260455
住所 鳥取県米子市福市281番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 米子城跡 第54次
遺跡名かな よなごじょうあと
本内順位
遺跡所在地 鳥取県米子市西町
所在地ふりがな とっとりけんよなごしにしまち
市町村コード 31202
遺跡番号 719
北緯(日本測地系)度分秒 352546
東経(日本測地系)度分秒 1331935
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.4326 133.3237
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20190304-20190618
調査面積(㎡)
600
調査原因 立体駐車場建設
遺跡概要
種別
集落
城館
時代
弥生
古墳
室町
戦国
安土桃山
江戸
明治
大正
昭和
主な遺構
掘立柱建物
井戸
土坑
主な遺物
陶磁器
土師器
弥生土器
ガラス製品
木製品
特記事項 江戸時代初頭頃の溝を検出。
要約  米子城跡第54次調査では、近世後期の絵図に記載のある、荒尾氏の家臣、早瀬玄佐の屋敷跡を調査した。調査の結果、弥生時代終末期の遺物が大量に出土し、これまでの隣接地の調査で出土しているのと同様に、近畿系の土器が含まれていることを確認した。近世の武家屋敷については、城下町の土地区画に平行する溝を確認し、城下町造成初期に行われた土木工事の痕跡と考えられた。また、この溝が埋没した後に直交する塀が造られており、その塀を境に掘立柱建物が密集するエリアと、建物があまり建てられていないエリアに分かれていることが判明した。武家屋敷地の造成については、近世初期から砂質傾向の強い土が使用されており、土中に小型の土錘を多く含むことや、貝殻を敷き詰めた層が面的に広がっていることから、中海や加茂川から浚渫した土砂を造成土の混和剤として使用していたと推測された。近代には井戸が造られており、一般の住宅地であったと考えられる。井戸の埋没した時期は、昭和23年までに埋められたものであり、戦前の一般家庭で使用された陶磁器やガラス食器など、一括性の高い一群と考えられる資料が得られた。

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