藤並地区遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/142921
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.142921
引用表記 公益財団法人和歌山県文化財センター 2012 『藤並地区遺跡』公益財団法人和歌山県文化財センター
公益財団法人和歌山県文化財センター 2012 『藤並地区遺跡』
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書名 藤並地区遺跡
発行(管理)機関 (公財)和歌山県文化財センター - 和歌山県
書名かな ふじなみちくいせき
副書名 県道吉備金屋線道路改良工事に伴う発掘調査報告書
巻次
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
公益財団法人和歌山県文化財センター
発行機関
公益財団法人和歌山県文化財センター
発行年月日 20120319
作成機関ID
郵便番号 6408404
電話番号 0734333843
住所 和歌山県和歌山市湊571-1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 藤並地区遺跡
遺跡名かな ふじなみちくいせき
本内順位
遺跡所在地 和歌山県有田郡有田川町土生・明王寺・水尻
所在地ふりがな わかやまけんありだぐんはぶ・みょうおうじ・みずじり
市町村コード 303666
遺跡番号 32
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 340322
東経(世界測地系)度分秒 1351202
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.056111 135.200555
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20061219-20070316
20070502-20070713
20080501-20080815
20081017-20081226
調査面積(㎡)
1807
608
1472
765
調査原因 吉備金屋線道路改良事業
遺跡概要
種別
散布地
時代
旧石器
飛鳥白鳳
奈良
平安
鎌倉
室町
主な遺構
自然流路
土坑
掘立柱建物
掘立柱穴
井戸
粘土採掘坑
谷状落ち込み
水田跡
石列状遺構
噴砂
主な遺物
ナイフ形石器
スクレーパー
錐状石器
縦長剥片
横長剥片
土師器
黒色土器
須恵器
瓦器
陶器
磁器
瓦質
鉄砲球
特記事項 【旧石器時代】少量ながらナイフ形石器が主体となる石器群。
【飛鳥・奈良時代】遺物の殆どが、中世の水田耕作土・踏み込みから出土。
【平安時代】当該時期の出土遺物が2007‐Ⅲ区に限定。
【鎌倉時代】遺物全体の中では比率的に最も多い段階。二次的な水田耕作土からの出土。
【室町時代】二次的な水田耕作土からの出土。
要約  2007−Ⅲ区、2008−Ⅱ区・Ⅲ区・Ⅶ区の下位層で検出した後期旧石器時代遺物を包含する粗砂細礫層の成因については、南側に位置する1990年調査M地区及び土生池遺跡(25)周辺の谷間からの土砂流による堆積とみられ、ナイフ形石器石器群という遺物の単純組成から一定の時期を反映したものと認めうることができる。後期旧石器時代の石器他の組成は、サヌカイト製ナイフ形石器・サヌカイト製横長剥片・チャート若しくは凝灰岩(硬質頁岩)製縦長剥片・サヌカイト製錐状石器、その他のサヌカイト・凝灰岩(硬質頁岩)・チャート製剥片がある。
 飛鳥時代末~奈良時代については、一定の遺物量と共に広域に散布する遺物の大半が二次的な中世遺物包含層(水田耕作土)からの出土であるため、全ての地区において窯場からの集積を反映したものでないことが確実視されることとなった。出土遺物の中には飛鳥Ⅱの段階の須恵器が一定量認められることから、周辺域に展開する須恵器窯の操業を今少し遡って考える必要を認めうる。一方、2008−Ⅱ区において、単独で検出した奈良時代の掘立柱建物は、関連時期の遺構が全くないことからその位置付けを明確にすることができていない。
 平安時代後期は、掘立柱や溝を検出した2007−Ⅲ区のみに当該期の遺構・遺物が集中して認められることから、東側に水路を挟んで展開する未周知の遺跡に関与することが濃厚であると考えられる。
 平安時代末~鎌倉時代前期の様相については、2007−Ⅲ区の良好な遺物群から当該地区周辺を平安時代後期から続く集落の拠点として、2007−Ⅲ区以西の調査地は中世における水田開発による二次的資料の包含(包含層第3層・第4層)として位置付け理解しうる。

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