奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41236 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132426 件
( 前年度比 + 1741 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147547 件
( 前年度比 + 2107 件 )
現在の文化財論文件数
120575 件
( 前年度比 + 1580 件 )
現在の文化財動画件数
1298 件
( 前年度比 + 114 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む

勝雄遺跡I

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/11258
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.11258
引用表記 神戸市教育委員会 2000 『勝雄遺跡I』神戸市教育委員会文化財課
神戸市教育委員会 2000 『勝雄遺跡I』
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=巧次|last=西岡|first2=敬生|last2=阿部|first3=豊|last3=関野|first4=功|last4=阿部|first5=正|last5=中谷|title=勝雄遺跡I|origdate=2000-03-31|date=2000-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/11258|location=兵庫県神戸市中央区加納町6丁目5番1号|ncid=BA51467441|doi=10.24484/sitereports.11258}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 勝雄遺跡I
発行(管理)機関 神戸市 - 兵庫県
有償頒布・配布ページ https://www.city.kobe.lg.jp/a21651/kanko/bunka/bunkazai/estate/kankoubutu2/index.html
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな かつおいせき1
副書名 県営圃場整備事業(担い手育成基盤整備事業)勝雄地区に伴う第1・2・3・4次埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
神戸市教育委員会
発行機関
神戸市教育委員会文化財課
発行年月日 20000331
作成機関ID 28100
郵便番号 650-8570
電話番号 078-322-5799
住所 兵庫県神戸市中央区加納町6丁目5番1号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
平成21年度科学研究費補助金(研究成果公開促進費)により電子化
所収論文
所収遺跡
遺跡名 勝雄遺跡 第1次 第2次 第3次 第4次
遺跡名かな かつおいせき
本内順位
遺跡所在地 兵庫県神戸市北区淡河町勝雄字天神ノ口119番地ほか
所在地ふりがな ひょうごけんこうべしきたくおうごちょうかつおあざてんじんのくち119ばんちほか
市町村コード 28109
遺跡番号 4-380
北緯(日本測地系)度分秒 344832
東経(日本測地系)度分秒 1350526
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.8121 135.0878
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19970120-19970328
19970408-19970630
19970925-19980304
19980413-19980930
調査面積(㎡)
1610
540
2200
2530
調査原因 圃場整備事業
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
主な遺構
竪穴住居3
溝1
土坑1
主な遺物
弥生土器
特記事項 主な時代:弥生後期
種別
集落
時代
飛鳥白鳳
奈良
主な遺構
竈付き竪穴住居14
掘立柱建物14
溝7
主な遺物
土師器
須恵器
蛸壺
製塩土器
陶硯
墨書土器
特記事項 主な時代:飛鳥から奈良前半
種別
集落
時代
鎌倉
南北朝
室町
主な遺構
掘立柱建物8
主な遺物
土師器
須恵器
青磁器
青白磁器
特記事項 主な時代:鎌倉から室町
要約 当遺構は弥生時代に集落が営まれたが、古墳時代には集落が営まれず七世紀にいたって突如集落が出現する。当初は竪穴集落であったが、七世紀半ばころ掘立柱建物が採用され、一時期並存し、奈良時代までは集落は継続する。このように、畿内縁辺部にある古代集落で竪穴から掘立柱建物への移行を確認できる。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 560
ファイルダウンロード数 : 769

全国のイベント

外部出力