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菟上遺跡発掘調査報告

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/20942
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.20942
引用表記 三重県埋蔵文化財センター 2005 『三重県埋蔵文化財調査報告227-7:菟上遺跡発掘調査報告』三重県埋蔵文化財センター
三重県埋蔵文化財センター 2005 『菟上遺跡発掘調査報告』三重県埋蔵文化財調査報告227-7
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書名 菟上遺跡発掘調査報告
発行(管理)機関 三重県埋蔵文化財センター - 三重県
有償頒布・配布ページ https://dps-ec.com/
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな うながみいせきはっくつちょうさほうこく
副書名
巻次 本文編/遺構一覧表・遺物観察表・写真図版編
シリーズ名 三重県埋蔵文化財調査報告
シリーズ番号 227-7
編著者名
編集機関
三重県埋蔵文化財センター
発行機関
三重県埋蔵文化財センター
発行年月日 20050300
作成機関ID
郵便番号 5150325
電話番号 0596521732
住所 三重県多気郡明和町竹川503
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
抄録北緯(旧) : 35°02’00”, 抄録東経(旧) : 136°38’00”
所収論文
所収遺跡
遺跡名 菟上遺跡
遺跡名かな うながみいせき
本内順位
遺跡所在地 四日市市伊坂町
所在地ふりがな よっかいちしいさかちょう
市町村コード 24202
遺跡番号 61|62|247
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 350200
東経(世界測地系)度分秒 1363800
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.033333 136.633333
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19990716-20000226
20000616-20010112
調査面積(㎡)
29118
7600
調査原因 近畿自動車道名古屋神戸線(第2名神)愛知県境~四日市JCT建設事業/主要地方道四日市朝日線県単道路改良事業
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
飛鳥白鳳
奈良
鎌倉
戦国
主な遺構
竪穴住居
掘立柱建物
土坑
井戸
主な遺物
弥生土器
須恵器
土師器
山茶椀
木製品
石製品
特記事項 弥生時代中期後半の大集落(棟持柱式掘立柱建物4棟含む)。飛鳥~奈良時代の規格性持つ大型掘立柱建物群。中世後期の129基に及ぶ火葬墓群。
主な時代:弥生 飛鳥~奈良 鎌倉 戦国
要約 弥生時代中期の大集落と古代の大型掘立柱建物群、戦国時代の墓地遺跡などを確認。弥生時代中期には、100㎡を超える大型竪穴住居を含む120基の竪穴住居、独立棟持柱式掘立柱建物4棟を含む掘立柱建物33棟を確認した大規模な集落が営まれる。環濠はないが、磨製石斧の最終加工や木器生産も行われた。付近には扁平鈕付式銅鐸が出土した伊坂遺跡、多数の方形集溝墓が確認された山村遺跡があり、これらとの関連が注目される。古墳時代末葉には、大型の掘立柱建物を中心とする掘立柱建物群が成立する。朝明川南岸には、政庁や正倉の確認により、郡衙であることが明らかになった久留倍遺跡があるが、菟上遺跡の大型掘立柱建物はそれよりもさらに遡るものであり、これらは当地域での郡あるいは評の成立に深くかかわっている可能性が高い。中世後期には129基の火葬墓群が営まれる。これらは伊坂集落や伊坂城跡、伊坂中世墓群と関連するもので、中世後期における遺跡間の関係、集落エリアでのそれぞれの場の属性などを考察する好資料となる。

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