奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41234 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132423 件
( 前年度比 + 1738 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147544 件
( 前年度比 + 2104 件 )
現在の文化財論文件数
120575 件
( 前年度比 + 1580 件 )
現在の文化財動画件数
1298 件
( 前年度比 + 114 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む

寺家前遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/21888
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.21888
引用表記 静岡県埋蔵文化財センター 2012 『静岡県埋蔵文化財センター調査報告19:寺家前遺跡』静岡県埋蔵文化財センター
静岡県埋蔵文化財センター 2012 『寺家前遺跡』静岡県埋蔵文化財センター調査報告19
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=司|last=及川|first2=律子|last2=中川|first3=吾郎|last3=平野|first4=理治|last4=松川|title=寺家前遺跡|origdate=2012-03-26|date=2012-03-26|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/21888|location=静岡県静岡市駿河区谷田23番20号|ncid=BB08850983|ncid=AA12664240|doi=10.24484/sitereports.21888|series=静岡県埋蔵文化財センター調査報告|volume=19}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 寺家前遺跡
発行(管理)機関 静岡県埋蔵文化財センター - 静岡県
書名かな じけまえいせき
副書名 第二東名建設事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書 ; 藤枝市-4/第二東名No.81地点
巻次 1 : 古代・中-近世編
シリーズ名 静岡県埋蔵文化財センター調査報告
シリーズ番号 19
編著者名
編集機関
静岡県埋蔵文化財センター
発行機関
静岡県埋蔵文化財センター
発行年月日 20120326
作成機関ID
郵便番号 4228002
電話番号 0542624261
住所 静岡県静岡市駿河区谷田23番20号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 寺家前遺跡
遺跡名かな じけまえいせき
本内順位
遺跡所在地 静岡県藤枝市中ノ合642-1外
所在地ふりがな しずおかけんふじえだしなかのごう642-1ほか
市町村コード 22214
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 345355
東経(世界測地系)度分秒 1381451
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.898611 138.247499
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20000114-20010329
20030926-20070331
調査面積(㎡)
21800
33255
調査原因 第二東名建設事業
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
古墳
奈良
平安
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
竪穴住居
掘立柱建物
井戸
柵列
土坑
流路
杭列大畔
土坑墓
主な遺物
弥生土器
土師器
須恵器
灰釉陶器
山茶碗
陶磁器
陶馬
土錘
転用硯
磨製石斧
砥石
石鏃
五輪塔
銅釧
銅環
鉄鏃
鉄斧
銭貨
四穴田下駄
大足
建築材
矢板
かわらけ
特記事項
種別
田畑
時代
主な遺構
主な遺物
特記事項
種別
時代
主な遺構
主な遺物
特記事項
要約  当地の西側には市史跡である衣原古墳群が隣接し、烏帽子形山から派生する丘陵上には寺家山古墳群の存在が知られていた。また周辺には今川氏に関連する屋敷跡の存在が想定され、北西の丘陵には「花倉の乱」の舞台となった花倉城もある。調査以前から付近に集落跡が存在することが想定されていた。しかしこれまで葉梨地域では大規模な発掘調査をする機会がなく、実態は不明であった。今回の調査では、弥生時代後期後半に初めてこの地に人の手が入り、集落と水田を開発した痕跡が見つかった。集落域では竪穴住居や掘立柱建物を検出した。水田域では低地一面に続く畔が見つかり、当時の土器や石器、建築材などの木製品が大量に出土した。水脈は集落の東側に流れる葉梨川や背後の丘陵からの水流が豊富であったと考えられる。その後、集落は一端途絶え、古墳時代後期になると再び居住域となった。奈良~平安時代の遺構はごく僅かであったが、水田域では条里制地割を持つ水田と大畔が検出された。条里水田は葉梨中流域では初めての発見となった。やや時期をあけて、11世紀末になると再び居住域となり、溝や柵列等で区画された屋敷地が3箇所見つかった。屋敷地群は12~13世紀代に最盛期であったようで、山茶碗を始めとする土器が数多く出土した。なかでも「花押」のある墨書土器は葉梨荘領主を表す可能性のあるものとして注目される。出土する陶磁器の年代から、屋敷群は14世紀以後も規模は縮小するものの存続していたと想定される。建武4年(1437)、足利尊氏が今川範国に恩賞として「葉梨の荘」を与えて以降、14世紀半ばには当地も大きな転換期となったであろう。近世以降は、小規模な集落と墓群が存在している。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 730
ファイルダウンロード数 : 646

全国のイベント

外部出力